口裂け女

口裂け女 ~プロローグ~


空にオレンジが差し込み、ひぐらしの声が聞こえ始める、夏の夕方。

智彦と上村が、雑談をしながら地面に影を伸ばしている。


「いやぁ羅観香氏も太っ腹ですな!そんな高そうなタブレットをポンと渡してくれるなんて」

「ホントだよ。電子書籍リーダーで良いのが無いか聞いただけなのに…うわ、10万もチャージされてる」

「まぁ、羅観香氏も恩返しできる機会が出来て、嬉しかったと思いますぞ」

「いや、もう十分貰ってると思うんだけど」


智彦はアガレスの要望を基に、電子書籍を読める媒体を探していた。

すると、タイミングよく羅観香からの仕事の愚痴メール。

ついでだからと相談した所、ファストフード店に集合し、高そうなタブレットをプレゼントされた。


あのライブ後、智彦と上村は、夢見羅観香とプライベートの繋がりを築く事ができた。

勿論、友人としてだ。

ただ、周囲にバレて恋愛関係の流れになると厄介な為、必ず3人で行動するようにしている。


羅観香の隣は、霊となり彼女を見守っている嶺衣奈の席だ。

智彦はそこに立ち入る事は出来ないし、立ち入ろうとも思っていない。


(だけど、何だろうな。嶺衣奈さん、少し雰囲気が変わってた)


智彦が抱いた、違和感。

普段は静かに羅観香を見ていた嶺衣奈の視線が、揺れていたのだ。

羅観香だけでは無く、周囲に視線を動かす事が増えている。

それが何をもたらすのかは判らないが、今後注意深く観察しようと、智彦は考えた。


「ところで謙介、この間はイベント一緒に行けなくてごめんね」

「八俣氏も忙しかったでしょうからな、仕方ないですぞ」

「そうなんだけど、申し訳なくてさ」

「はははっ、別に自分の趣味に合わせる必要はありませんぞ?」


親友がオタクなら、自分もオタクになるべきだ。

智彦は一度失った親交を手放さぬよう、上村に合わせようとしている節がある。

それはごく些細な事でもあったが、上村は智彦の『焦り』を感じ取っていた。


「自分はそっちの『裏』の世界に足を踏み入れませぬが、八俣氏は自分を軽蔑しますかな?」

「そんな事は無い」

「そう、自分もそうですぞ。こっちの世界に来なくても、八俣氏との関係は変わりませんな」


それに、と上村は含み笑いで続ける。


「智彦にオタクは似合わないって」

「あははっ、酷いな。とは言え、新しい世界を見たいって思いはあるんだ。羅観香さんのライブも想像以上にすごかったしさ」

「ふむ、ならば来週、『2人じゃ無理キュア!』のイベントがあるので、行きますかな?知り合いも紹介しますぞ」

「なんか、すごく濃そうな気がする」

「車椅子生活ながらも腐女子を爆進するカシマ氏、尼さんですがアニメが大好きな八百氏、欧州から来たオタクで常に貧血気味なヴラド氏。皆個性豊かで楽しいですぞ」

「異性や外人のオタクと付き合ってる点で、すごいと思うよ」


その後も続く、オタク談義。

智彦としてはライトノベルを嗜む程度だが、興味を引く話題も多く、楽しそうに笑う。

結局暗くなるまで公園で語り合い、そのまま解散となった。


「では八俣氏、また遊びましょうぞ!」

「うん、じゃあね!」


上村と別れ、外灯が心許ない道を歩く智彦。

灯りに群がる虫を憂鬱に見つめていると、何かしらが揺らぐ気配がした

それは流れていた風が急に止まりその場で淀むような、嫌悪感とは違う違和感。

智彦は気になり、異常を感じた方向へ走り出す。


場所は、建築会社の駐車場。

建機の横に数体の影を見つけ、躊躇なく近づいた。



パキン、と薄いガラスが割れるような音。



智彦が駐車場へ足を踏み入れると、見慣れた制服の女性が弾かれたように、智彦へと首を向けた。

女性を囲んでいる、異なる制服に身を包んだ女性陣が、智彦を警戒し、構える。


「誰っ、って、八俣君!?」

「鏡花さん?って事は、そっち方面の仕事中ですか?」


天恵女学院でアルバイトしていたと智彦は、田原坂鏡花ともそれなりに交流していた。

最初は身構えていた鏡花だったが、その言動は徐々に軟化している。


とは言え、智彦の緊張感の無い声に、鏡花はつい面食らってしまった。

周りでは、鏡花を囲んでいた女性陣がざわざわと騒ぎ出す。

聞こえてくるのは、智彦への畏怖だ。

平凡な見た目である智彦を外見で侮らず、漂ってくる得体の知れない空気を感じる点で、鏡花と共にいる女性陣の優秀さを垣間見る事が出来る。

鏡花以外は全員、智彦から距離を取りだした。


「えと、何か俺、怖がられてるような……」

「こっちの実力者3人も倒してるんだから、当然だと思うわよ。あーぁ、人除けの結界まで壊して……」

「ごめんね、あと、アレは降りかかる火の粉払っただけなんだけどな。それより、何してるんです?」


外傷こそないが、鏡花達の顔は疲労が濃く、衣服も乱れている。

何者かと戦っているわけでは無さそうだが、何らかのトラブルを抱え込んでいる。

知らぬ仲では無いので、つい、智彦は尋ねてしまった。


「あー……うん、クチサケの捕獲、かな」

「クチサケって、口裂け女、の事ですよね?」

「うん、最近話題の怪異の事ね」

「退治ではなく、捕まえるんですか?」


智彦の問いに、鏡花は溜息を吐きながら、心底面倒そうに首肯した。

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