前へ発つ少女
風薫る、午後。
夏にしては比較的涼しくなった今日、ここ天恵女学院では、多くの女生徒が青春を謳歌している。
恋愛話に花を咲かせる女生徒。
課題に勤しむ女生徒。
陽の光を楽しむ女生徒。
その中に、一人、男性……智彦が紛れ込んでいた。
ガーデンチェアに座り、本を読む智彦。
女学院では異物とされる男性だが、周りからの認識は「駄菓子屋の人」だ。
なので、女生徒はすでに慣れているし、そこに居るだけでは警戒もされない。
ただ、悲しいかな。
見た目が地味なため、恋愛に発展するような事も無いようだ。
とは言え、本人にそのような浮いた感情が皆無ではあるのだが。
ふと、智彦の読んでいる本へ、影が差した。
チラリと振り向くと、灰色の長い髪を持つ美少女が、本を覗き込んでいる。
「……それは何という本、ですか?」
「ラッキークエスト、ってタイトルのファンタジー小説だよ」
智彦の言葉に、女生徒は黒い瞳をぱちくりとさせた。
顔に喜びを張り付け、本に顔を近づける。
「あぁ、あの白い竜がでる!続きが出てたんですね」
「ちょっとちょっと!ありす!また人の後ろから本を覗き込んで!」
女生徒……ありすの友達、だろう。
黒いポニーテールの女生徒が、ありすの両肩を掴み、智彦から剥がし始める。
「すみません、駄菓子屋さん!この娘の悪い癖で!」
「いえ、本がよほど好きなんですね」
「そうなんですよ、もう……ほら、ありす!謝りなさい!」
「あ、すみません!何を読んでるのか気になると、つい知りたくなって……」
ポニーテールの女生徒が促すと、ありすはばつが悪そうに謝罪した。
そして間をおいて、智彦の顔をじっと見つめてくる。
「あの、どこかで、お会いした事ありませんか?」
「……いえ。駄菓子屋で、ではないですか?」
「そう、ですよね。すみません、変なこと聞いて」
友達と一緒に頭を下げ、自分達の席へと帰って行く、ありす。
その間に数回、智彦の方を振り返った。
目を細め、智彦は再び本を読み始める。
すると、テーブルを挟んだ向かいに、誰かが座った。
「ごきげんよう、八俣さん」
「こんにちは、養老樹さん。忙しいみたいですね」
「ホントにねぇ、誰かさんのお陰で、もうめちゃくちゃよ」
智彦の目の前で、養老樹が大きなため息を吐く。
そして、智彦へと恨めしそうな目を向けた。
「悪魔は逃すし、何故か昇格するし、最悪ですわぁ」
「昇格したならいいじゃないですか」
「良くないのよぉ!実力じゃないからモヤモヤするのよぉ!」
智彦は本を閉じ、楽しそうに笑い、先日の事を思い出した。
悪魔の力を借り、智彦は子安神父の凶刃から、ありすを救った。
その後すぐさま、現代へと戻される。
この時智彦自身、過去を変えてしまって大丈夫なのか……な不安が漠然とあった。
だがそこで待っていたのは、智彦と養老樹の記憶以外、色々と都合よく改変された世界だった。
まず子安神父。
彼は智彦が過去で消した為、その場から消えていた。
代わりに杉田神父と言う見た覚えがない中年が、悪魔にやられたと言う設定で気絶していた。
その後養老樹が調べた結果、子安神父は悪魔祓いを失敗し死亡と言う事になっていたらしい。
次に、養老樹。
智彦が戻ると、禁書が消えていた。
だが「禁書が存在していた」事実はあったため、養老樹が悪魔を撃退し、禁書を消滅させた・・・事と、なっていた。
この件に関しては、杉田神父もその事実を認めてしまってるようだ。
智彦としては、その他諸々含め悪魔のサービス精神が溢れた結果だろうと考えている。
そして……。
智彦の視線を、養老樹が追う。
友達に囲まれた郷津ありすが、笑顔を咲かせ、楽しそうにお喋りをしている。
「……世界各地の言語を習得、それどころか、古文等にもあかるい。海外の有名出版社や考古学に定評のある大学から勧誘がきてるそうですわ」
「本が好きなら、天職かもしれないね」
ふと、智彦とありすの視線が交差した。
ありすは一瞬固まり、頬を赤らめ目をそらす。
「あらぁ?……教えないのかしらぁ?言えば、多分思い出しますわよ、彼女」
「必要ないでしょう。下手すればあの時の恐怖も思い出すかもしれませんし」
「貴方はそれで良いのかしらぁ?彼女を救ったのに評価もされない、その事を知る人もいないのよぉ?」
「養老樹さんが知ってくれてますし、それで十分ですよ」
智彦としては、後ろに立つ少女をただ救いたかった。
人を殺してしまった事になるが、救う命の方が多かったから問題ない、と割り切っている。
そんな智彦の心底欲の無い言葉に、養老樹が唖然とする。
やがてそれは、智彦への苦笑いへと変わった。
「っと、そろそろバイトに戻らないと。では失礼しますね、養老樹さん」
「せれん」
「……はい?」
養老樹の言った言葉が何なのか解らず、智彦はつい間抜けな声を上げてしまった。
「せれん、と呼んでいいわぁ。さん付けも不要よ」
「……なら、遠慮なく。またね、せれん」
「えぇ、次は『表』で会いましょう、八俣智彦」
智彦が本を鞄へと収め、立ち上がる。
同時に養老樹も立ち上がり、それぞれ自分の居場所へと戻って行く。
晴天から降り注ぐ陽はいまだ汗を滲ませるし、蝉も煩い。
夏は、まだ続く。
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