決別


後ろに立つ少女を貫いた槍は、そのまま悪魔へと達した。

とは言え、悪魔には効果が無いようだ。


だが、悪魔の顔は憎悪へと彩られる。



『……魂を消す魂装か。貴様、ありすを二度も殺したな!』


郷津ありすの霊は霧散し、この世から存在が消えてしまった。

その事に、養老樹の心がチクリと痛む。

いや、それよりも。

悪魔のいう事が正しければ、後ろに立つ少女……郷津ありすを殺害したのは、子安神父だ。

信じたくはないが、目の前の出来事に養老樹の心が、揺れる。


再度、悪魔を攻撃しようとする神父を見て、養老樹は制止しようと言葉を上げ……。


「はい、ストップ」

「は?ぶげえええええええええっ!?」


ようとした瞬間。

智彦が、子安神父の顔を分厚い辞書で横から殴った。


歯と血を飛び散らせ、子安神父は錐揉みしながら床をバウンド。

突然の事に、養老樹どころか、悪魔まで唖然としている。


本来であれば、子安神父程の聖職者になると、守護天使の加護により、攻撃に対して凄まじい耐性を得る……はずだ。

なのに、何故この人は容易く……と、戸惑う養老樹に、智彦が言葉を向ける。


「養老樹さん」

「な、なにかしらぁ!?」


一瞬、自身がああなる未来を幻視し、養老樹は肩を震わせた。


「今からする事は、熾天使会に喧嘩を売るわけじゃありません。神父個人へです。……止めないで下さいね」


智彦が再び、辞書を構えた。

神父は痙攣しており、抵抗する素振りは見えない。

養老樹は一瞬迷ったが、それでも、やはり、身内を殺させる訳にはいかないと、智彦を止める。


「待って、くれないかしらぁ?悪魔が言った事が真実とは、限らないわぁ!」

「少なくとも、後ろに立つ少女を今、殺しました」

「霊でしょ!?貴方、霊に感情引っ張られ過ぎよぉ!」


『ふむ、ならば過去の出来事を見せようではないか』


悪魔の言葉に、二人は振り返る。

我は時を司る、とドヤ顔の悪魔が力ある言葉を紡ぐと、二人の頭に過去の映像が流れ始めた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



家族に囲まれた少女が、禁書を手に取り……開く。

溢れるのは、黒。

周りの時間が止まり、少女と悪魔が邂逅する。


『ほぉ、可愛らしいお嬢さんだ、我に何を求める』

「えと、貴方は、どなたでしょうか?何故、本から」

『ふむ、願いがあって我を呼び出した、わけではないようだな』


その後、少女と悪魔の会話は続く。

悪魔は少女を侮辱する事も軽視する事も無く、ただただ。会話を楽しんでいる。


『このまま帰ったとなれば、わが名に傷が付くな。お嬢さん、何か一つだけ、願いを叶えようじゃないか』

「え、でも貴方、悪魔、なのですよね?命、取りませんか?」

『ははは……、普通であれば、それ相応の対価は頂くさ。だから今回は、特別だ』

「えと、有難う御座います。だったら、私、世界中の、昔の言葉や文字を読めるようになりたいです!」

『それこそお安い御用。わが名はアガレス、知恵を授ける存在であるからな』


そして悪魔は、少女と契約を果たす。

対価は、知識。

彼女の得た知識は、悪魔へと伝達され、程よい美酒となる。

やがて、時間は元へと戻る。



次に溢れるのは、赤。



家族の幸せな一時に、一人の神父が静かに闖入してくる。


「悪魔と契約した背徳者」


頬に傷が無い子安神父は、赤い槍を持つ守護天使を使い、少女を傷つける。

そして、穢れた地を浄化せんと、再び赤い槍を使い、炎を放つ。


少女の家族や使用人は巻き込まれ、無残な姿となり、果てた。



次に溢れるのは、音。



少女は傷が原因で瀕死となり、目が見えなくなっていた。

聞こえるのは、何かがぶつかり合う音、罵声。

悪魔に傷つけられた神父は逃げ、悪魔が少女を抱きかかえる。



次に溢れるのは、闇。



少女の意識は、常闇へと落ちる。

悪魔は彼女に詫び、禁書へと魂を縛り付けた。

それにより、彼女は悠久の時を手に入れた。。

好きな本を、好きなだけ読める歳月を手に入れる事が出来た。

……霊、として。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「よし、殺そう」

「ちょ、貴方、待ちなさい!偽物かも知れないでしょう!?なんでそんな判断が早いのよぉ!」


養老樹は今見た映像の内容を考えようとするが、殺意の高い智彦を何とか制止する。

悪魔の見せた映像が正しいとは、限らない。

悪魔が脚色編集した内容の可能性だって、ある。


なのに、養老樹の中には子安神父への不信が、徐々に膨らんでいた。



『強き者よ、君が手を汚す必要はない。私が屠ろうじゃないか。これでも憤怒していてね……なぁに、力量差は歴然、容易いものだ』


辞書を投擲しようとした智彦だが、悪魔の言葉に動きを止めた。

自分より、悪魔が神父を討つべきだと考えたからだ。

悪魔の言うように、神父の守護天使は、彼の脅威と成り得なかった。

ならばすぐさま決着はつくだろうと、智彦は怒気を引っ込める。



「ふ、ふふふ、そうです、ね。今の私の力では、お前を倒せません」


くぐもった声。

子安神父がゾンビの様に立ち上がり、狂的な笑みを浮かべる。


「だが、私が何の用意をしていないとでも?この術式があれば!お前なんか……!」

「っ!神父様、それは禁術、では!ダメです!止めっ!」


子安神父が、懐から天使像を取り出した。

止めようとする養老樹を殴り、天使像を高々と掲げる。


『ほぉ、確か……サクリファイス、だったか。この範囲、成程。この学院に生きる全ての命を吸収し、自身を強化するか。愚かな術だ』


智彦の眼には、子安神父の守護天使が赤く光り、槍へと大きな光が収束しているのが見えた。

ならば対策は簡単だ。

だが智彦は、最後に養老樹へと言葉を放つ。

確認では無い、宣言だ。


「養老樹さん、短い期間だけど学院内には知り合いもできたからね、やるよ」


解ってはいる。

解ってはいるのだ。

その禁術を使えば、悪魔を滅する事が出来る、かも知れない。



……多くの命を犠牲にして、だ。


だからこそ、養老樹は今からこの学院に起こる大量虐殺を、認めたくはなかった。

熾天使会の教義を破り、私怨に走った神父を、許せなかった。



「……えぇ、お願いしますわ」


「ふはははは、悪魔の次はお前だ、八俣君!我が力に恐れ慄」

「よっ、と!」


智彦が右肩をグルンと回し、そのまま疾走。

子安神父の守護天使へラリアットを放つと、槍共々、上半身が……砕けた。

同時に、槍に収束されていた光が、消える。




「ふわわ?」




現状を理解できない子安神父だが、その頭上に、智彦が左手に持つ分厚い辞書が落ちる。


「へぼぁ!」


頭蓋ごと上半身へ陥没した子安神父は、そのまま撃沈。

床に血を流しながら、ただただ痙攣する肉の塊となった。


養老樹はその亡骸を見つめ、空に十字架をきる。

悪魔への恨みはあるが、こうはなるまいと自戒を込めて。



『流石だな強き者よ。……一つ、頼みたい事がある』

「悪魔から頼みだなんて、珍しいのでは?」

『ふふふ、確かにな。……君のその『力』を借りたい。ありすを、救ってあげて欲しい。彼女と接点が出来たあの日になら戻る事が出来るからな』


「んー、何と言うか。良い悪魔、なんですね、貴方は」


『良いも悪いもないさ。立ち位置によって変わるモノだろう、それは。・・・やってくれるかね?』


悪魔の言葉に、智彦はすぐさま頷いた。

あの少女への同情を含め、もっと……霊としてでも、生きて欲しかった。

そう、抱いているからだ。


『我は時を司る、アガレス。君の力を媒体にすれば、君を過去に送れる』


悪魔が、何を求めているのか。

智彦は瞬時に理解し、再び、頷いた。

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