熾天使会
駄菓子屋のアルバイトが休みの、曇天の今日。
蒸し暑さを感じながら、智彦は母親を見送った後、外出の準備をし始める。
(今日は制服じゃなくて私服でいいよね?)
いつもであれば、制服で天恵女学院の門を潜り、更衣室で駄菓子屋コスチュームとなる。
だが今日は別の仕事だからいいだろうと、智彦は薄着で行ける事に安堵していた。
昨日かかってきた、鏡花からの電話。
「熾天使会から仕事の依頼が来ている」という旨を、その謝礼の良さに智彦は快諾。
内容も、先日見かけた少女の霊の追跡と言う事で、危険度も無い。
仕事が終わったら母親と回転寿司にでも行こうかと、彼は浮かれていた。
なお、上村は近くの遊園地で行われる魔法少女の着ぐるみショーを見る為に、不参加である。
(……ん?)
と、そこに知らない番号から電話がかかって来た。
熾天使会関係からだろうか、と智彦は特に身構える事も無く、電話へと出る。
「はい、八俣です」
『……あ、んと、お久しぶり。……横山、です。今、時間いいかな?』
瞬間、智彦の感情が騒めく。
深く、暗く、静かな怒り。
復讐するよりも自身の人生から隔離したい相手からの電話に、智彦は一呼吸置いた。
「お互い不干渉で、と言ったはずだけど?」
『そう、なんだけど。あのさ、智彦君、あの時の事、謝りたくて』
「謝罪は必要ないし求めない。もう二度とかけてくるな」
『待って!謝罪もだけど、説明もしたいから』
「横山があっちの人間とは知っている。だからこそ、許せないんだ」
智彦は怒気を抑え込みながら、通話終了をタップする。
わざわざ別の電話を使ってくるなどご苦労な事だと、当時の事を思い出した。
化け物をどうにかする力ならば、助ける事は出来なくても、逃げやすくする事くらいはできただろう。
異能を身に付け生き残る事が出来たが、それは結果論であり、富田村で生きた約1年の歳月は、裏切り者三人への恨みをどす黒く煮詰めるのには十分な期間であった。
それこそ、3人を容易く殺してしまうであろう程に。
だからこそ智彦は、不干渉として、隔離したかった。
(こんなお願いするのは気が引けるけど、鏡花さんに何とかして貰おう)
自惚れではないが、鏡花の言動より自身が裏の世界で注目されていると、智彦は自覚している。
横山が今更ながら接近してきたという事は、そう言う事なのだろう。
故に、横山との関係修復は望まないし、そうさせないで欲しい様、鏡花へとメールを打つ。
借り一つ、ではなく、これでお婆さんが襲ってきた事をチャラにさせて欲しい、と。
(爽やかな朝が最悪になっちゃったな。……もう出発しよ)
家を出て、天恵学園へ向かう為に県道へ出る智彦。
そこで、第二の不幸が襲う。
(おいおいおい、俺が何したんだよ……)
デート中の藤堂と直海に、遭遇してしまったのだ。
直海とは幼馴染であるが故に家が近いのは仕方ないが、智彦は二人を見て大きなため息を吐いた。
それが気にくわなかったのだろう。
藤堂は鋭く目を細め、智彦へと突っかかってくる。
「おい八俣!愛に何かしただろう!様子が変なんだよ!」
「いきなり書き込み消せとか、貴方に謝れと言って来たんだけど」
「愛のあの怯え様、変な事してないだろうな?」
「必死っぽかったのよ、あんな愛、初めて見た」
智彦からの反応は無い。
ただただ、額に手を当てて空を仰ぎ見るだけだ。
「……夢見羅観香と知り合いだからって調子に乗るなよ!愛に謝っておけよな!」
「そうよ!まったく、デート前にこんな奴と出会って最悪!ホント別れて正解・・・ん?」
その時、3人の横に、車が停まった。
黒光りするリムジンで、藤堂すらその様相に一瞬見惚れてしまう程だ。
後部座席の窓が開き、金髪の美少女が、顔を出す。
「お迎えに参りましたわぁ、八俣さん」
「養老樹さん?」
彼女が誰か一瞬解らなかったが、彼女の横に腕組みしたまま座る守護天使を見て、智彦は彼女が養老樹だと認識する。
以前観たシスター服では無く、緑青色の制服だったた為に反応が遅れてしまったようだ。
「制服も着るんですね」
「あらぁ、それはそうですよ。いつも学院内で着替えてますのよ」
和やかな雰囲気。
横では蚊帳の外となっていた藤堂が、眼を見開いていた。
「よ、よ、養老樹グループの……!なんで、こいつなんかと……!」
「ぇ、養老樹って、あの病院グループの……? ぇ、どうして、ぇ?」
養老樹がドアを開く。
智彦は慌てる二人を無視して、そのまま養老樹の隣へと座り、ドアを閉めた。
そして、そのまま振動も無く発車する。
智彦は車内を見ても、綺麗で豪華だな、な感想しか抱けなかった。
車自体にあまり興味が無かったし、乗る機会も少なかったからだ。
「あれ? 鏡花さんは居ないんですか?」
「今回はこちらの仕事となりますので、彼女が同席するとまずいのですよぉ」
「なるほど、棲み分けが必要なんですね」
養老樹は智彦と言い争っていた二人の事を聞かなかったし、智彦も言わなかった。
今必要な事は、仕事に関する情報共有だからだ。
彼女は鏡花に見せた文書を、智彦へと見せる。
智彦もまた、自身の仕事の重要性を知り、気を引き締めた。
「えと、あの少女が、その禁書を隠し持ってる、と言う事でしょうか」
「その可能性もありますが、単に本に憑りついてる、という事もありますわぁ」
「あぁ、成程」
所謂、地縛霊の一種。
その地に縛られる霊が多い中、『物』に縛られる霊もいる。
時にそれは持ち主に害を与え、呪いと称される事も少なくは無い。
智彦は、再度、書類を読む。
この郷津ありす……後ろに立つ少女は、本を読みたいという執着。
そして、本を愛するが故に、本に縛られたのだろう。
死してもなお、本を読み続ける少女。
それは周りから見れば不幸だが、本人にとっては幸福なのかもな・・・と。
智彦は、徐々に近づく天恵女学院を見ながら、思った。
天恵学園に到着後、智彦は学院内の教会へと案内された。
瀟洒なステンドグラスの色付いた光を浴びる、室内。
智彦の前には、シスター服へ着替えた養老樹と、他女生徒5名。
全員もれなく、守護天使が付いている。
そして、右頬に大きな傷跡を持つ目の細いスキンヘッドの神父が、空に十字架を切り、智彦へと握手を求めた。
「初めまして、八俣さん。今回のご助力、感謝致します」
養老樹の紹介で、神父の名前が子安だと知る。
アニメだとこういう糸目キャラは黒幕なんだよなぁ、とどうでもいい事を考えながら、智彦は握手を返した。
力強い、握手。
なるほど裏の世界では実力者のようだ、と子安神父の守護天使をチラリと見た。
一言で言えば美女の彫像。
身長は2メートルを超え、紅色の鎧を各所に身に付けている。
有力者だけあって流石に強そうだと、智彦は子安神父へと意識を戻す。
「さて、まずこの学園には、図書室が五つ存在します」
「そんなにあるんですか」
「えぇ、内三つは生徒用、一つは教師用、残る一つは地下書庫です」
地下書庫には、歴史的価値がある本や、寄贈された本が収納されてあると説明。
養老樹含め、禁書は地下書庫に隠されていると思っている様だ。
「とは言え、別の場所の可能性もあります。八俣さんとシスター養老樹は、学院内を見回り、少女を探して下さい」
流石にこの人数で学院内を捜索すると、不審を抱く女生徒が出る。
よって話し合いの結果、神父と5名の女生徒は地下書庫で準備兼待機となった。
「あらぁ、この学院、敷地だけでもとても広いのに・・・神父様も酷ですわぁ」
「んー、本を読んでれば来るかもしれないけど、可能性は低そうだね」
少女……郷津ありすの霊を見つけ、そのまま地下書庫へ向かうのなら問題ない。
その少女を探すのが、問題なのだ。
「とりあえず30分ほど、持ってきた本を読んで引き寄せてみます」
「えぇ、私もそうするわぁ。……それ、どんな本なのぉ?」
「ラッキークエストって言うまぁ、ファンタジー系ですね。養老樹さんは・・・聖書ですか」
曇り空にも拘らず、敷地内には生徒が多い。
中庭、周りに女生徒がいて視線が集まるのも気にせず、二人は向かい合って本を読み始める。
ふと強い視線を感じ智彦が顔を上げると、校舎の窓から、鏡花が二人の事を見ていた。
「……あなたは、郷津ありすを除霊すべきだと思うかしらぁ?」
「悪さをする霊ならともかく、彼女には悪意がありません。このまま本を読ませても良いのでは?」
「霊はこの世のモノでは無いのよぉ、ならば、還してあげるのが良いと思わない?」
「霊がいても良いと思いますよ、俺は。それが救いになる人もいるし、霊が先人となり知識を与える事もあります」
智彦は、夢見羅観香の事を。
富田村で、生き延びる為の情報をくれた名もなき霊達を思い出す。
養老樹は智彦の言葉には答えず、ぱらりと聖書のページを捲った。
「ところで、八俣さん、貴方見えてるわよねぇ?」
「……守護天使ですか?はい、すごい腹筋ですよね」
「視線がたまに変だと思ったら……、守護天使って、その人にしか見えない特殊な存在なのに」
「専用装備みたいなもんですか。……あ」
背後に、優しい霊力を感じた智彦は、ゆっくりと振り返る。
後ろに立つ少女……郷津ありすが、智彦の手元の本を覗き込んでいるのだ。
やがて彼女を、周りが視認しだす。
スマフォを向けられるも、少女は笑みを浮かべたまま微動だにしない。
「あらあらぁ、彼女が姿を現す程面白い本ってわけねぇ、それは。さぁ、準備しましょう」
養老樹が聖書を閉じ、立ち上がるように促した。
智彦が本を閉じれば、少女はまた次の本を探すか……縛られた本の所に、戻るだろう。
「ごめんね、今回の仕事が終わったら、また本を読みに来るから」
後ろに立つ少女に謝罪し、智彦は本を閉じた。
少女の顔が曇り、姿がぼやけ……消える。
「移動しました、行きましょう」
「えぇ、よろしくねぇ」
「はい、って、ちょっと!」
だが、相手は幽霊。
人間と同じく廊下などを歩く訳がなく、ふわりと校舎へと飛んで行った。
異能を得たと言え、智彦は流石に空を飛ぶ事はできない。
その場で走り跳躍して校舎の外壁を蹴りながらついて行く事はできるが、流石に自重した。
「えっと、すみません。飛んで行きました」
「あらぁ~……、ちなみに校舎の何処辺りかしら?」
「あの、3階の渡り廊下の横、あたりです」
智彦が指さす場所に、養老樹は口角を上げながら頷く。
「北校舎の図書室ねぇ、ついてきて」
養老樹に先導され、智彦は校舎へと入った。
窓から見える空は、今にも雨が降りそうな程黒く濁っている。
普段であれば、どんな場所にでも霊が存在する。
だが、まるで図書室が近づくにつれ何かを避ける様に。
いや、存在できない様な。
強い『何か』を感じ、智彦は眉を顰めた。
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