夢見 羅観香
闇夜に浮かぶ、煌々としたガラス張りの建物。
当たりをまるで昼のように照らし、その存在感は周りを圧倒している。
「はぁぁ、すごい建物だ」
「そりゃそうですぞ。ニューワンスタープロダクションの本拠地、ですからな」
一言でいえば、住む世界が違う。
人生が光り輝いている人間が出入りする宮殿に、上村は興奮しっぱなしだ。
逆に智彦は芸能関係に疎く、裏切った連中に合わせなくて済むようになったという安堵感から、今はある種の無関心となっていた。
智彦は帰りが遅くなる事を母親に電話しながら、先ほど声をかけてきたアイドル……智彦達の入館許可の手続きをしている夢見羅観香を、目で追った。
トレードマークの、茜色のセミロング。
身長は150程と小柄ではあるが、その体は厚く、体を鍛えていることが解る。
世間から見れば大層な美少女だ。
ただ智彦は、彼女に裏切られた挙句、巫女の霊であるすみれにまで裏切られた事から、無意識にも女性に苦手意識を抱くようになっていた。
「今大人気のアイドル、なんだよね?」
「ですぞ?いやはや、未だに声をかけられた事が信じられませんぞ」
「んー、昔の俺なら、とりあえずサイン貰おうとしてたかな」
「自分は貰いましたぞ?まぁ、テレビで見るのと少し印象がちがいますかな」
二人して目立たぬように木陰に立っていると、羅観香が手を振り、手招きをし始める。
どうやら来い、と言う意味らしい。
二人は周りの目を気にしつつ、彼女の下へと急いだ。
「お待たせ、上村君、八俣君!これ、クビに下げててね、無くしちゃダメよ」
羅観香が渡してきた許可証を首に下げると、智彦は首を傾げた。
「いくら人気アイドルだからって、水無川さんの一存で許可証取れるもんなの?」
「あー、できれば芸名の方で呼んで欲しいかな。ちょっと社長の力借りちゃったの」
「いきなりすごい人がでてきましたぞ」
新人アイドル如きが、大手プロダクションの社長の権力を代行する。
智彦はその業界に対して無知ではあるが、事の異常さは感じ取っていた。
羅観香へ挨拶しつつ誰だこいつ等な視線に晒される、二人。
苦行の末、やっと目的地へと到着する。
「社長、羅観香です」
「入りなさい」
エレベーターで上層階に上がり、重厚な木製の扉の前。
何気なしにノックする羅観香を、二人は唖然と見つめる。
「いやいやいやいや、夢見氏!」
「ん?どしたの?」
「いや普通そうなるよ、いきなり社長室って……」
「社長が良いって言ってるんだから、気にしない!」
失礼します、と元気な声を上げ、羅観香は社長室へと入る。
顔を見合わせる上村と智彦だが、半ば自棄になり、彼女へと続いた。
すると、眩しい夜景を背景に高価そうな黒い机に座っていたスーツ姿の女性が、にこやかに席を立つ。
見た目は40代前半。
黒く長い髪を後ろでまとめた女性が、二人と羅観香を応接間へと通した。
「ようこそ、羅観香から話は聞いてるよ。どうか楽にして欲しい」
上村と智彦は、貰い方が解らない名刺を受け取り、目を通す。
そこには、星真凛と印刷されており、やはり肩書は社長であるようだ。
「羅観香は私が直にスカウトした娘でね、まぁ周りからは止められるんだがこういう距離感なのだ」
星社長がかんらかんらと笑うが、やはり上村と智彦の緊張は消えない。
むしろ、こういう面でも緊張してしまう自身に安堵する智彦であった。
「早速だけど、八俣君、さっきの話を詳しく聞かせてくれないかな?」
我慢できなかったのだろう。
途中ではあったが、羅観香が話へと混ざってくる。
星社長も興味はあるようで、智彦へと話を促した。
二人の真剣な眼差しに、智彦は頷く。
「まず前提として、私は所謂幽霊の姿が見え、声を聴くことができます」
智彦の言葉に、二人は少しの間を置いて頷く。
普通であれば、この時点で嘘つき扱いされてもおかしくは無い。
信じる奴がおかしいのだ、と隣に座る上村を頼もしく思いながら、智彦は言葉を続けた。
「世間一般では、サビの終わり付近に『許さない』と入ってる、んだよね?」
「ですぞ、大型掲示板等では、本物、偽物、と半々に別れてるようですな」
「個人的には偽物だと思うけど。で、お・・・私には歌の終わりに、『歌ってくれてありがとう、ゆい』と聞こえました」
羅観香は悲しそうな表情を浮かべ、誰かの名前を唇でなぞる。
星社長は眉間に皺をよせ、羅観香を見た後に浅くため息をついた。
「羅観香の本名は別に隠してはいない、彼がお前の名前を知ってるのはおかしくは無いぞ」
「でも、嶺衣奈だったら恨むより、多分そう言ってくれると思うんです」
「ちょっと待って欲しいですぞ、それじゃまるで智彦が……」
「あぁいやいいんだ、謙介。そう思われても仕方ないんだ」
激昂する上村を、智彦は笑いながら宥めた。
恐らく星社長の智彦達に対する評価は、それっぽい事を言って羅観香に接近する迷惑な奴ら、あたりだろう。
そう、それが当然なのだ。
だが、それでも智彦は、彼女達の力になろうと考えた。
歌に入った、幽霊の声。
その声の主であろう、まるで守るかのように羅観香の後ろに浮かぶ、あさぎ色の髪の女性も含めて、だ。
「……正直、私は羅観香さん事を今日知りました。良ければ、何があったのか教えてくれませんか」
智彦があの地獄で学んだのは、情報の大切さだ。
床に血で書かれた文字、何かを書きかけ丸められた紙屑、幽霊が断片的に漏らす言葉、犠牲者のビデオカメラに残された映像。
一見どんな無意味で無駄な情報も、それが役に立つ時がある。
また、情報をまとめ繋げ関連付ける事で、新しい発想も出てくる。
凍らせた手ぬぐいに食器を乗せ時間差で音を出し、敵の注意を引き付けたあの地獄の日々を、智彦は妙に懐かしむ。
智彦の提案に星社長は面倒そうに息を吐いたが、羅観香は簡潔に丁寧に教えてくれた。
羅観香が出演、いや、主演している大人気番組「Song Infern☆!」。
智彦も名前だけは聞いた事があるこの番組で、とある企画が始まった。
アイドルになったばかりの新人アイドルを競わせよう、というモノだ。
白羽の矢が立ったのは、デビューしたてで、星社長がスカウトしたての、夢見羅観香。
それと、加宮嶺衣奈。
お互いにライバルと言う立ち位置ながらも二人は仲が良く、互いに切磋琢磨していった。
二人は、それぞれタイプが違った。
まず羅観香。
彼女は感性で動くタイプで、歌や踊りを反復する事で習得し、そして高めていく。
嶺衣奈は、理論的であった。
自身を管理し、自身のアイドル像に必要なモノを取捨選択し、成長させていく。
企画が進むにつれ、世間は白熱し始めた……悪い方にだ。
ネットではファンが罵り合い、アイドル活動の妨害もあったそうだ。
途中話に混ざった上村の話では、羅観香へと企画の流れがよくなっていったそうだ。
……極めて、露骨に。
そして、悲劇は起こる。
嶺衣奈が、番組を撮影しているTV局で投身自殺をしたのだ。
遺書は無かったが、特に事件性も無かったため、自殺として処理された。
これには、悪意が飛びついた。
ネットの世界では、羅観香に負けそうなのが怖くて自殺した、と扱われたのだ。
やがて話は膨らみ、羅観香が嶺衣奈を自殺へと追い込んだ。
だからこそ嶺衣奈は、羅観香を恨んでいる。
……そういう話が、多数を占め出したのだ。
そこに今回の、「ゆるさない」と言う声の件。
羅観香は、心折れる寸前であった。
……そこに、その噂を否定する存在が現れたのだ。
飛びつかないはずもなく、智彦を半ば無理やり連れて来た事となる。
「……て所かな、ねぇ、智彦君。本当なんだよね?嶺衣奈は、私の事恨んでいないんだよね?」
質問ではなく、そう答えて欲しい様に。
羅観香は、智彦へと詰め寄った。
「だと思うよ?その嶺衣奈って人はあさぎ色の髪の人だよね?なら、今も羅観香さんの後ろにいるし」
智彦の言葉に、星社長、羅観香、上村が弾かれたように羅観香の背後に視線を向ける。
だが勿論見えるはずもなく、三人の中に軽い落胆が訪れた。
それも仕方ないだろう。
この場で彼女の事が見えるのは、智彦だけなのだから。
「……なぁ、八俣君。嶺衣奈は、どんな顔をしてるんだ?」
星社長が、智彦へと尋ねた。
その問いに、智彦は答えようとするも、一瞬躊躇する。
だが、求めているのならばと、言葉を紡いだ。
「……恋人を見るような、表情です。熱く、深く、されど静かに……そんな感じですね」
瞬間、羅観香が泣き崩れた。
触れる事も見る事も敵わないライバルに、何度も抱き付こうとする。
「あぁ、そう言う関係、だったんですな」
「……すまないが、秘密で頼む。誰にも言わないで欲しい」
智彦はすぐさまピンとこなかったが、上村の言葉に、星社長が顔を歪めた。
それは悲しみであり、居なくなった者への怒りだ。
ぼそぼそと、自身の流行りの歌を口ずさむ羅観香の旋律に、嶺衣奈の歌が乗り始めた。
芸能に疎いながらも歌は嫌いではない智彦は、目の前の生演奏に心を振るわせる。
「斉唱……?じゃなく、うまい具合にハモってるなぁ。羅観香さんの明るい声と、嶺衣奈さんの落ち着いた声がバランスいいや」
「元は、企画の終わりのライブで、二人で歌う予定だったんだ。作曲が嶺衣奈で、歌詞が羅観香なんだよ」
「そう、なんですね。あの店で聴いた時もでしたが、二人の声が、綺麗に交わってますね」
智彦の言葉に、羅観香が肩を震わせる。
涙が止まらぬ目で、智彦を見つめた。
「レコーディングの時には、嶺衣奈は、死んじゃってたの。だから、歌詞を書き換えて、歌ったのは私だけ、なのに」
「なら、その時からすでに、羅観香さんと一緒だったんだね」
「状況が状況ですからな、そのままお蔵入りになる可能性もあった。故に、それでもコレを歌った事に感謝したのでしょう」
「うん、羅観香さんに恨みなんか、あるわけ無かったんだよ。本当に悪質だね、あんな声入れた人」
羅観香が、尚も一層泣き崩れた。
その様子を見て、星社長は智彦へと頭を下げる。
「八俣君、君への対応……すまなかった。正直言えば、まだ君の事を疑ってる部分はある、だが、よければ力を貸して欲しい」
「えぇ、私の力が役に立つのなら……、できれば彼もいっしょにお願いします」
「うえ?自分もですぞ?」
「俺じゃ芸能関係疎いし、常識的な思考が鈍ってる部分あるんだよ、頼むよ」
断る事も出来た。
だが、自分が得た異能を、人のために使えると、智彦は内心嬉しくなる。
やや口角が上がる智彦とたじろぐ上村を見て、星社長は微笑みながら頷いた。
「あ、ところで、力を貸すと言ってもどのような事に?」
「あぁ、嶺衣奈の事だが、私達は彼女の自殺を信じ切れていない。それどころか、殺されたのではと疑っている」
「嶺衣奈ちゃんが、自殺なんて、するわけないもん!あんなに、約束、大事にしてたのに!」
「うぅむ、いきなり物騒な話ですな。犯人の目星などは付いているのですかな?」
「あぁ。だから八俣君、嶺衣奈に尋ねてくれないか?一体何があったのか、誰が彼女を……ん?」
星社長が大事な事を言おうとした、瞬間。
応接間のドアが、バタンと乱暴に開かれた。
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