裏切り
晦。
月の無い常闇の空の下、4つの人影が駆けている。
それはまるで何かに追われるように、背後を気にしながら、薄らと見える道無き道を走っていた。
「ハァッ!……グッ、ハァ……!フゥッ!」
「クッ!何なのよ!何、なのよ、一体!」
視界の隅で流れていく、令和とは思えない古い家屋達。
4つの影…男2人と女2人は、乱れた呼吸を正せないまま、ただひたすら足を動かす。
「おい
「五月蠅いわよ
愛と呼ばれた茶髪の女が、右わき腹を抑えながら、吠える。
その横では、光樹と呼ばれた金髪の男が、汗と涎を流しながら眼を見開いた。
4人の足音と吐息に混ざる、異音。
それは確実に、彼らの背後から縋るように追い付いてくる。
ザグッ。
ヴァ ァァア アーッ……。
ザッ。
愛と光樹の後ろ。
もう一人の女を守るかのように走る男が、後ろを向き……短く悲鳴を上げた。
「やっぱ、追って来てる!
黒髪の男性が前を走る女へと、苛立ちを何とか隠し、檄を飛ばす。
暗いので、一体何が追いかけてきているのかは解らない。
だが、4人は影が蠢く様を見ると同時に震えと嫌悪感を覚えた為、本能的にソレから逃げ出した。
「急いでる!でもサンダルじゃあ、走りづらっ、きゃあ!」
黒く長い髪を邪魔そうに靡かせながら走る、直海と呼ばれた女。
男の声に苛立ちを隠そうともせず反発すると同時に、その足がもつれ……地面へと両手をついた。
「直海!って、うわぁっ!?」
男にとってはたまったモノでは無い。
何せ、女が大きな障害物となったからだ。
男は女に当たらぬよう、その体を大きく飛び超えた。
そしてそのまま、肌が削れるような音を軋ませ、地面へと転がった。
「智彦!」
直海が、智彦と呼ばれた……常に直海を気にかけていた男へと手を伸ばす。
が、近付きつつあるナニかの輪郭を見てしまい、思わず身を引いてしまった。
「ぐっ、痛い……直海、起こして、くれ!」
体を強く打ち、至る所を擦りむいた智彦は手を伸ばすが、直海は固まったままだ。
「見て!あそこだけ、明るい!」
「俺達が入って来た、神社か!」
その時、前を走っていた2人から、気色の声が弾ける。
智彦と直海がそちらを見ると、暗闇にまるでそこだけ白く切り取ったような、長方形の光が見えた。
「……ごめんね、智彦」
「待っ、直海!」
直海は立ち上がり、そのまま2人の後を追う。
その顔は極めて無表情で、智彦は慌てて引き留めた。
だが、直海どころか、愛も光樹も振り返りもせず、光へと向かっていく。
ザグッ。
ヴァアアッ! ァァァアアアアアヴァアア!
ザッ。
背後から近付きつつある、異音。
智彦は必死の思いで立ち上がり、痛みを我慢しながら、やっとの思いで走り出す。
「くそっ!くそっくそっ!」
智彦の心中には直海への憤りもあるが、その大半は恐怖である。
後ろからの重い空気を感じ、無意識に歯がカチカチと震えだした。
(何とか、間に合いそうだ!)
遠くに見えてた四角い光は、目前。
既に他の3人は光の中へと体を滑り込ませ、安堵の表情を浮かべている。
つまり、あの光は先ほどまで存在していた現実なのだと、智彦は体に鞭を打ち、脚へと力を込めた。
ザクッ。
ヴァ ァァァアア!ヴァアアア!
ザッ。
後ろからかかる圧が、強くなる。
だが智彦は、もう少しで助かると、希望に胸を膨らませた。
と、その時。
光の中の3人が、智彦を……いや、彼の後ろを見て、大きく目を見開いた。
そしてすぐ様、震える手で、何かをし始める。
長方形の光が、徐々に狭くなり始める。
アイツ等が扉……あの錆び付いた引き戸を閉めているのだと、智彦は思わず怒鳴りつけた。
「なんで閉めるんだよ!僕が、まだ、いるだろ!」
智彦の言葉に直海は一瞬動きを止めたが、愛と光樹は構わず、引き戸へと力を籠め続ける」
「すまん智彦!このままだと、後ろの化物がこっちに来てしまう!」
「私達を助けるために犠牲になってよ、ね?どうせ生きててもつらいだけでしょ?」
「何言ってるんだよ!お前ら!直海!止めさせてくれ!」
智彦は恋人に懇願するが、直海はすぐさま「ごめんね」と返した後、2人と同じく引き戸を閉め始めた。
ヴァアハッヴェハハハッ!
智彦は軋む脚を前へと出し、光へと手を伸ばす。
だが光の大きさは最早人が通れそうにない程に狭まり、3人の声が、隙間から聞こえるだけとなった。
「本当にごめんね智彦、恨んでくれていいから、ごめんね」
「直海の事は任せろ、俺達の為に犠牲になってくれてありがとうな智彦」
「なっ!?直海、お前やっぱ、光樹と!」
「あはははっ、だから言ったじゃん智彦君!アンタの彼女、浮気してるって!」
光が、無くなっていく。
「最後だから言うが、直海とはすでに半年以上付き合ってるんだ。じゃあな、智彦!」
「ごめんね智彦。でも貧乏な貴方が悪いのよ?最近つまんなかったし……バイバイ」
「ぶっちゃけこんな事になるとは思わなかったの。そこだけはマジごめんね、じゃねー」
嘲りの言葉。
それと共に光は一筋の線となり、そのまま闇へと溶け込んでしまった。
ここには、いや、あっちの世界には、朽ちた神社があったはず。
なのに、今ここにあるのは、闇、のみだ。
「なん、なんで……何で、だよ!」
日常が、消えた。
まるで今から死ねと言うように、智彦の中に今日の出来事が走馬灯のように過ぎ去っていく。
「人が消える神社がある」
始めは、オカルト好きの愛の発案で決まった、廃墟見学だった。
智彦……
幼馴染で彼女である……が、まだ親密な関係まで行けていない、樫村直海。
同じクラスで仲良くなった、大病院である藤堂医院の一人息子、藤堂光樹。
藤堂の彼女であり、流行や面白い事にすぐに飛びつく、横山愛。
高校入学時から、4人は何かする毎に一緒であった。
貧乏である智彦に対し侮蔑を含まず、藤堂と横山は仲良くしてくれた。
よく、ダブルデートで楽しい一時を送った。
その為に智彦はバイトを増やす羽目になっていたのだが……それも良いと思っていた。
横山の誘いに乗り訪れた、件の神社。
藤堂が借りたタクシーで訪れたソコは、得体の知れない雰囲気が漂う場所であった。
まず、周りには建物が全く無い。
神社を起点に樹々が生い茂り、向こうには穴だらけの山……廃坑が見えていた。
この辺りは「富田」という地名らしい。
人が消えるという噂が広がって入るものの、4人以外に人影は無かった。
ただただ、蝉の音だけが鬱陶しい程、耳に張り付く。
「智彦君、何か面白いのが無いか探そうよ」
再び、横山からの提案。
智彦が首肯する前に、横山は智彦の手を、神社から奥へとつながる細い道へと引っ張った。
本来であれば樫村と行動したかった智彦だが、最近はこういう風にパートナー交代はよくあっていた。
なので、特に気にもせず、横山の話に曖昧に頷きながら、散策を始めた。
「なーんも無いじゃん、つまんない」
横山の言うように、神社の周りには木々や草花以外には、何もなかった。
時折家の様な残骸がありはしたが、草木に覆われてるため近づこうにも近づけなかったのだ。
進む道も無くなった為、蝉の音が広がる中、2人は朽ちた神社へと戻る事にした。
「ん?」
ふと、智彦は首を傾げた。
蝉時雨の中、近くで人の声がしたのだ。
朽ちた神社にポツンとあった社・・・その中から、聞こえてるようだった。
「なんだ?」
「アイツ等こんなとこで……あっ!智彦君!ちょっ待っ!」
女性が苦しむ声。
智彦はつい気になり、止める横山の声を無視し、社の戸……引き戸を開いた。
「……直海?」
そこには、あられもない姿で藤堂と肌を重ねる樫村が、居た。
「ぇ、と、智彦!?待ってコレは違うの!」
「ぁー、バレちまったか。愛、もっと引き離せよ。」
「ごめーん。まぁ智彦君、こんな感じで、アンタの彼女浮気してたんよ」
目を逸らし、慌てて服を着だす樫村。
見た事もない侮蔑の眼を浮かべる、藤堂。
まるで全て知っているように悪びれる、横山。
智彦の頭の中が、ぐちゃぐちゃになり始める。
そして、彼女である樫村を弾劾しようと、息を吸った。
ベチョッ。
何かが落ちる音がしたのは、同時だった。
「ぇ、何コ……、イヤアアアアアアア!」
「五月蠅いぞ愛、ッテ、ゲエエェェェ!?」
「キャアア!服に!何これ!」
虫。
虫。
蟲。
ムカデ、バッタ、ミミズ、アリ……のようなモノが、上から落ちてくる。
智彦はつい天井を見てしまい、短く悲鳴を上げてしまった。
「……ヒッ!?」
「え?……ァ、……ヒュー……、カハッ」
「ん?ア、アヒ、ヒヤァァァァ!」
「ゲェェッ!ぃ、キモ!キモォ!」
天井に張り付き蠢く、大量の嫌悪感。
全員それを見てしまい、逃げるように社から這い出した。
「……えっ?」
蟲から逃れた4人が、同時に声を出した。
まずは、色。
あんなに夏の色で染まっていた世界が、黒く塗りつぶされていた。
次に、音。
降り注ぐような蝉の音は、沈黙へと塗り替えられていた。
最後に、匂い。
むせる様な緑の匂いは消え、代わりに濃い土の匂いが広がった。
先程までの引き戸は消え、闇が続くばかり。
4人は混乱しつつ……先ほどの事を糾弾し合う余裕すらなくし、縋るように歩き始めた。
舗装されておらず、廃墟の様な古い家屋が並ぶ道を、4人は無言で歩く。
互いの眼は何かを言いたそうではあったが、言い出せないでいた。
不意に、少し大きめの建物の窓に、オレンジの光が灯った。
オレンジの光により浮かび上がった、建物の軒下。
……ソコに、奴がいた。
『ヴァアッ アーァアアアアアアアア!』
すぐ後ろから、命の危険を知らせる声が響く。
智彦は走馬燈を強制的に打ち切り、何となくではあるが、右へと転がった。
同時に、今まで智彦がいた場所へ、ズザッと地面を穿つ音が炸裂する。
逃げなければ。
でも、どこへ?
智彦が振り返り、追いかけてきた「奴」を仰ぎ見る。
常闇の影の後ろ・・・空に、光が広がり始めた。
カーテンを開くように、サァァと雲が左右に分かれ、絶望的な光が浮かび上がる。
「ヒッ、ィ……」
一言でいうと、異形。
紫色にパンパンに膨れ上がった、人間の体。
その胸部に浮かび上がる、性別の判断できない顔。
そして……頭があるべき場所から太く伸びた、先端にハサミ状となったムカデのような肉。
智彦が吐き気を抑えていると、異形の体が動いた。
『ヴァ…… ゲヒャ!ヴァヒャ!』
胸部の顔が耳障りな声を発し、ハサミを地面に突き刺す。
そのまま人間の体を、ムカデのような体部分の筋肉を使い、浮かせて運んだ。
人間の体が地面に接すると、ハサミを地面から抜き取り、再び、地面へと先端を向ける。
「あ、ああああ、あああああああああ!」
先端の延長線上にいた智彦は、悲鳴を上げて走り出した。
もはや体の痛みは限界だ。
だが、死を直感した体は、限界を超え、涎を垂らしながら筋肉を突き動かす。
月明りで浮かび上がった、周りの風景。
そんなものを見る余裕すらない智彦の視線の先には、先ほどのオレンジの光が手招きしていた。
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