別に死にたいわけじゃない
半熟たまご
「アタシは問題作」って、共感できるよね
「今の演技、何で周りの人が合わせられなかったかわかる?周りの人に聞いてごらん。あんなの絶対無理だから」
あ、敵意。
講師の人が私に向けて放った言葉に敵意が混じっている。この人は今、意図的に私にきつい言葉を用いた。それに気づいた私は心臓をナイフで一突きされたような心地がした。
役者になりたい人達が集まる稽古場で行われる週一回のレッスン。数名のグループを組んで行われる即興劇に、協調性や斬新なアイデアを発揮できないと邪魔者になるらしい。私なりに頑張ってはいるつもりだけど、先々週辺りから講師の人からの当たりがきつい。彼女が満足できる物を私が提示できていないのだろう。
幼少期から人の顔色ばかり伺ってきた私は、他人の負の感情には敏感だ。自分に向けられる感情には特に。講師の人が私に言った言葉の中に敵意が混じっていることは明らかだった。目が、声のトーンが、口調が、他の人に話す時より暗くてきつい。
私の心臓を守っているオゾン層のようなバリアは心許なく、簡単にナイフの侵入を許して大事な部分を貫かれている。そこから黒い血がどくどく流れ出して重症を負っているのがわかるのに、その傷に目を向けてしまえば私は皆の前で笑えなくなる。
だから必死になんでもないフリをして、そして勤勉な生徒のフリをして、努めて明るい声で「分かりました」と言うのだ。
もし落ち込んだ様子で受け答えをしたとして、その時に周囲の人から「これくらいの当たりで傷ついた」と思われることが辛い。怖い。だから鈍感な人、もしくは前向きな人を装ってヘラヘラと笑う。
どうしてかは分からないけど、私は他人に弱さをさらけ出すのがとてつもなく怖いのだ。
この人は私が嫌いなのかもしれない、と思うと講師が私を嫌っていると思える要素を探してしまう。私以外のメンバーは皆褒めてるのに私は褒められたことがない、とか、「○○くんは掴みかけてるんだけど、○○ちゃんはねぇ」と言って比較される言葉が多いだとか。他の人だったら気にもせずに聞き流すだけかもしれない言葉の数々を、私は「あぁ、やっぱり嫌われてるんだな」と思うためのカードとして取り上げて、それを後生大事に胸の中へしまってしまう。
幾度となく向けられた敵意と拾ったカードに、無視し続けた心の傷は悲鳴を上げる。そうしたらその場で泣きそうになる。そんな時は口の中を強く噛んで我慢する。泣きそうな顔は絶対にしない。口を開けば嗚咽が漏れそうになるから真一文字に結ぶ。喉が締まって苦しい。それでも絶対に涙は流さない。流したくない。目だけは無理やりにでも意欲的で従順な生徒にする。
レッスンが終わった後、腫れ物扱いなんて絶対にされたくないから「難しいね〜」なんて何でもないフリしながら友達に笑って、雑談をして大笑いして、笑顔でバイバイをして一人で電車に乗って、頭の中で傷ついた瞬間の出来事がグルグルして、でも周りに人が居るから普通の顔をして、そしてようやく家に着く。部屋の中は誰にも見られていない、聞かれていない、たった一人、私だけの空間。
そうしたら決まって、「死にたい」と反射的に口にする。
レッスン中、講師の人は「アイデアがないなら誰かのアイデアを噛み砕いて上手く乗りこなす方法がある」と言ってくれた。だけど私はそれも上手くできず、また他人を唸らせるようなアイデアがないことが確定してしまっている。
あぁ、なんて無能。講師は他の人には優しい。あの人も最初の頃は私にここまで当たりはキツくなかったはずだ。つまりあの人がそうなったのには私に原因がある。誰かに否定される自分には価値がないと思える。
荷物を下ろして部屋の真ん中で佇む。上着も脱がないまま、宙を見つめる。
「死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ。無能、無能、無能、無能、無能、無能、無能、無能。生きてる価値ない。ホントに生きてる価値ない。さっさと死ねばよかった。ごめんなさい。存在するだけで邪魔でしたよね。皆のアイデアに乗ることも出来ず、大したアイデアもなく。見てる人を楽しませることなんて出来ない。みっともない、情けない。いらない、いらない、いらない、私なんて本当にいらない。何で生きてるんだろう。迷惑しかかけられないくせに。私には何にもない。何にもない。死んじゃえ、死んじゃえ。さっさと死んじゃえばよかった」
口から流れ出てくるのは自己否定の言葉。稽古場で飲み込んだはずの涙が大粒となってこぼれてくる。
誰かに悪意や敵意を向けられると、私の世界はそれ一色に染まる。心臓がドキドキして、呼吸が浅くなる。でもそんなことで傷ついたと思われるのが心底嫌で、なんでもないフリだけは一丁前になった。もう今更傷ついたことや悲しんだことをどんな風に友達や家族に見せれば良いのかわからなくなっている。
どんなに近しい関係だとしても、所詮は他人であるという意識が抜けない。相談したって欲しい言葉をくれるとは限らない。むしろ相談しなきゃ良かったと思う事態を招くことだってあるだろう。それに相談したら少なからず相手に心配をかけてしまう。重たい気持ちにさせてしまう。それを考えるとやっぱり弱さは他人に見せない方が良いと思う。
だから一人でしか泣けない。こんな自分に誰か気づいてくれ、と思うこともある。だけど、その誰かって誰なんだ、と考えた時に誰もしっくり来ない。だからもうこの世界に存在していること自体が嫌になる。
何かがある度に私の心は過敏に反応して真っ黒に染まって傷だらけになって、その度に一人で泣いてまた日常に戻るために身体を、精神を奮い立たせて。私は何回このしんどい工程を繰り返さなければならないんだろう。
他人から見たら大したことない出来事、頭ではわかっていても心がどうしても言うことを聞かない。「傷ついた、傷ついた、辛い、辛い」と、置いていけない幼い子どもみたいに駄々をこねる。それも可愛い駄々ではない。まるで癇癪を起こすような、同じ空間にいるだけで頭が痛くなるような、とても不快極まりないものなのだ。だからいつの間にかその癇癪に引っ張られて、私の気持ちは憂鬱でどん底な世界にいる。
私を意図的に傷つけようとする人や、考えすぎだよ、っていう人に、一度だけでいいから私の感情を、脳を、あげてみたい。私が普段どれだけのことに気を揉んで、考えていて、あなたの言葉に私の心がどれだけぐしゃぐしゃに丸め込まれてどん底へ落ちていくのか。一度だけで良いから、経験して欲しい。
抑圧し続けた感情を吐き出すために、自己否定する。だけどそれ以外に解放する方法がわからない。いくら言葉にして自分を詰っても、処理が追いつかない黒い感情がずっと、胸の奥でドラム缶に溜め込まれた汚い雨水のようにたぷんたぷんと揺れている。
そういえば、と思い出したことがあった。
私は小学生の時一度リストカットを経験している。あの時は激情に突き動かされて、手首を切ることに何の抵抗もなかった。当時、物に当たれば怒られるし、八つ当たりなんてしたらもっと怒られた。「あ、そうか。だったら自分を傷つければいいんだ」と思い至った。手首に出来た傷を見て、自分の心の傷が可視化されたようでひどく安心した。この傷は自分が頑張って耐えた証なんだ、と思ってむしろ誇らしい気持ちにもなった。ストレスのはけ口が出来て安心していた。もう今は怖くて自分の体を傷つけるなんてやっていない。
「今ならできるのかな」
自嘲気味に笑ってカミソリを手に取る。左手首にそっと当てたけど、やっぱり怖くて力は入れられなかった。だけど刃を手首に当てたまま緩く横に引いた。一瞬、チクリとした鋭い痛みが走る。だけど特に傷はついていない。小学生の頃はどんなふうだったっけ。もっと気軽に強い力で傷つけていただろうか。
なんてぼんやり思っていたら、プツプツと小さな豆のような血液が内側の手首に現れた。あ、切れてたんだ。なんて思ったら気分が高揚した。そんなに痛い思いをしなくても、体に傷をつけることはできるのか。そう思ったらもう一度やってみたくなった。
今度はさっきの傷より下に刃を当ててスライドさせる。数ミリしか傷がつかなくて、上の一直線の傷と比べて不格好だな、と思った。だからその傷の途中からもう一度刃を当ててみた。チクリとした痛みはあれど、激痛ではない。それを三、四回繰り返した。
手首には目に見えてわかる四本の赤い線が出来た。
こんなことしちゃダメだ、何やってるんだろう、と思いながらも、やり場のない黒い感情を傷にして出すことで少し心が安らいだ。
リストカットなんて、別に死にたいからやったわけじゃない。私は気持ちの吐き出し方がわからなくて、積もり積もった感情に耐えられなくて、それをリストカットという行為にぶつけただけ。小学生の時と同じだ。
リストカットは病んでるアピールでかまってちゃんだ、と言われているそうだけど、とんでもない。普段からあれだけ他人の目を気にして生きている私が、病んでるアピールをするために体を傷つける??馬鹿か。リストカットなんて見られたら「こいつ面倒だな」って思われるに決まってる。だから手首の傷を見せることなんて絶対にしない。
耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて、どうしようもなくなるから自傷行為に走るのだ。ただそれだけ。
お風呂で沁みる傷に顔を歪めながら、フラッシュバックする誰かの敵意に自己否定しながら、私は明日のバイトに向けてベッドに潜った。朝七時に起きないといけないのになかなか寝付けなくて、ようやく眠りにつけたのは夜の三時ごろだった。
翌朝、家を出る10分前に起きた。いつもだったら、ヤバいなんて言いながらバタバタと支度をして家を出る。だけどそれが出来る気がしなかった。体もまぶたも重くて、布団から出たくない。起き上がらなきゃ、支度しなきゃ、と頭では思っていても、まるで心臓が鉛となったように重たくて、体をベッドに縛り付ける。
最近レッスンの翌日は毎回こうだ。もうバイトを二回当欠している。さすがに今週も休むわけにはいかない。何度も休んだから休み癖がついてしまっているのだ、と思いながら自らを奮い立たせようとするが、できない。スマホの中のデジタル時計は着々と数字を増やしていく。
せめて遅刻していこうか、じゃあ何時から?もう休んだ方がいいんじゃないか、でも休んだら「また当欠か」って思われるかな、火曜日ばっかり休んでるって気づかれてるかな、今日も休んだりしたらさすがに怪しまれるかな、噓ついてるって思われるかな、体調不良を言い訳にしたり、役者の方で予定が入ったって言ったりしてきたけど、これから先も同じことが続くなら、もう火曜日は全部休みにした方が良いのかな。
唯一救われる点があるとすれば、今のバイト先は欠席に関して他のバイト先より寛容だということである。飲食だったら絶対に許されない当欠も、コールセンターだったらそれなりに許されている部分がある。だからそれに甘えて、私はこの日も欠席連絡をした。レッスンの翌日に毎回こうなっていると、もう火曜日は全部休みにした方が良いと思った。バイト先は私が役者を目指していることを知ってくれているから、もっともらしい理由をつけて今入っている火曜日のシフトを全て休みにしてもらった。
怖かった。私の申告を社員さんは淡々と受け入れてくれたけど、噓ついてるって思われたらどうしよう、これまで真面目に働いてきたのに、最近サボり癖がついてきたのかな、とか思われてるかな、とか。どう思われるかばっかりが頭の中を占めて辛い。体や精神を休ませるためにバイトを休んだのに、休んだという事実がさらに自分を責めるための材料になる。
布団を被って丸まって、「仕事休む 怖い」「仕事休む メンタル」なんて検索をかけると、それに付随して「適応障害とはなんですか?」や「微笑みうつ病とは?」という項目が出てくる。大したことない出来事でここまで落ち込むなんて、自分はうつ病なのだろうか、なにか病気なのだろうか、と考えてその項目を開いてみる。当てはまる部分もあるけど、当てはまらない方が大部分で、じゃあ私がこんなに落ち込んでるのは何かのせいじゃなくて、ただ自分の性質ということになる。
なにそれ、絶望しかない。
何で私ってこうなんだろう。他の人だったらきっとこんなこと気にも留めないのに。何で私はこんなに些細なことで心を乱されて、その度にどん底まで落っこちて、しんどい思いをするんだろう。考え方を変えられるならとっくにやっている。落ち込みたくて落ち込んでいるわけじゃない。自分の心なのに、全然ままならない。
頑張って自分を褒めて前を向こうとしたって、傷つく出来事があればその都度感情の振れ幅が大きく下に落ちる。そこから日常生活に戻るために立ち上がるのは至難の業。それを何度も繰り返していると嫌になってくる。私は何度このしんどい気持ちを経験すればいいんだろう。これから先も嫌なことが起こるたびに私は深く沈んだ心に嫌気がさして、そこから立ち直るためにとてつもない労力を使わなければならないのだろうか。
一、二回くらったくらいなら無理やり気持ちを切り替えて、無理に前を向く。だけど、そうやって誤魔化してきた二週間分の病みがこの日一気に押し寄せた、という感じだった。落ちて落ちて落ちて、わずかな時間の経過とともに少しだけ他のことを考えられる余裕がでてくる。そうしてやっと、私はわずかばかり他人に打ち明けることができた。
家族のLINEグループで愚痴をこぼす。だけど愚痴をこぼす度にそのグループLINEに暗い空気を落とすことが嫌になる。ただ言いたいことだけを言って、なるべく早く切り上げるようにする。それだけでもだいぶ楽になれる。時間が解決してくれることはたくさんある。これまでもそうだった。
だけど週に一回、必ずあの講師に会う機会があると思うととても憂鬱になる。数日かけて精神を、体調を元に戻したとしても、再びあの講師に当たられれば私はまたどん底に落ちるだろう。時間をかけて心の傷を癒したって、根本的な解決にはならない。風が吹くだけで洪水を起こす私の精神を、揺らぐことのないものにするのが現実的なのか、それとももう夢を諦めて全てから逃げるのが現実的なのか。
やめたくない。こんなことで、やめたくない。どうして私を意図的に傷つけようとする人に負けて、自分のやりたいことをやめなければならないんだろう。だけど、自分のやりたいことだからこそ辛い。バイトみたいにボイコットできない。やりたいことから逃げたら、私は今度こそ自分を嫌いになる気がする。周りの人だって、「平気そうな顔してたけどやっぱりメンタルに来てたんだ」って思ったりするかもしれない。怖い。傷ついていることを知られるのが怖い。
誰にも吐き出せないから、あの講師に会うのが怖い、と思った時に、「また冷たく当たられればリスカすればいっか」なんて思ってしまった。十数年ぶりにリストカットに手を出したことにより、それがストレス発散の選択肢として再び私の中に組み込まれてしまった。これはまずい、と思っていても自分の考え方を変えられる気がしない。
これまで毎日楽しく過ごして、意欲的に夢に向かって突き進んでいたのが噓のように思える。自分に脆い部分があるのは知っていた。それを治すために、もしくは上手く付き合って行くために、心理学について色々学んだこともあった。それなりの知識は身についた。だけど、感情という大きな波の前では、身につけてきた知識が一切役に立たない。今だって、敵意を向けられた時のことを思い出しては絶望のどん底に突き落とされたような気持ちになって、反射的に「死にたい」と口走ってしまう。
どうしたら私はなんでもない人間になれる??どうしたら私は強い人間になれる??どうしたら私は私のことを恥ずかしい人間だと思わないようになれる??どうすれば私は自分に価値があると思えるようになる??
さっぱり、わからない。
私が本当はこんな人間だって知ったら、皆嫌いになるんだろうな。面倒に思うんだろうな。
別に死にたいわけじゃない 半熟たまご @matobaaoi12
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
過去と現在の狭間に最新/藍色の星 みり
★5 エッセイ・ノンフィクション 連載中 81話
しゃべり場!最新/米太郎
★83 エッセイ・ノンフィクション 連載中 678話
生きていたくなかった最新/雨宮 ナノ
★3 エッセイ・ノンフィクション 完結済 17話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます