Re:08 Rewrite

 私は、昴夜と侑生と仲が良かった。学校ではもちろん、そろって帰宅部の私達はいつも一緒に帰っていたし、寄り道もしょっちゅうしていた。休日なんて、赤点だらけの昴夜のために勉強会を開いたこともあるし、そうでなくても集まってだらだら映画を見たり、一緒にご飯を食べたりしていた。


 だから私は、自分が“おかしい”と二人に知られるのが怖かった。でも、それを隠すことができるのなら“おかし”くなんてない。どんどんボロが出てしまってどうしようもなくて、結局は白状した。


 人の気持ちが分からないと言われたことがある。小学生のときの担任に、中学生のときのクラスメイトに、他人への配慮が極端に欠けた発言が多く、コミュニケーション能力に乏しく、それと同じくらい表情にも乏しいと言われた。母には、“普通に”友達と仲良くすることができないなんて病気だと言われたことがある。その代償のように、私の記憶力はおかしいほどに優れている。


 そのどれをどう説明したかまでは、覚えていないけれど。


『人に配慮とか共感ができないってなに?』


 昴夜の質問に、一瞬、怯えた。そんなことはと言われている気がしたから。


『だって英凜にそういうこと思ったことないし』


 だからすぐに安堵した。ああ、そうか、昴夜のそれはただの素朴な疑問だったのだと。


『むしろ俺とか幼馴染くるみにデリカシーないってよく言われるし、俺よりよっぽどできるんじゃん?』

『経験と論理に基づいて気を付けてるだけ。だから私にとって他人に配慮するっていうのは、国語の問題みたいなものかな。必要な情報が前後の文脈にあって、それに基づいて、最もそれらしい答えを書く、みたいな』


 私はずっと、それは自分だけでなく他の誰もがしているものだと信じていた。


 でもそうではないらしい、とある日に気付かされた。“おかしい”と危惧され、IQテストを受けさせられた私に、専門家は「予想外にも他人への配慮が見られる」なんてコメントした。テスト結果に鑑みれば他人に配慮できなくてもおかしくない性質の持ち主なのによくやってるね、と。


 そうして私は、ああそうか、私はおかしかったのか、と理解した。みんながすることを、私はできていなかったのだと。


『専門家にも「この程度じゃ全然病名はつかない」って言われたし……』

『この程度、ね』


 つまり病的な要素があると言われたことを、侑生は理解した。


『それって正常なんじゃん。なにが駄目なの?』


 対して、昴夜はきょとんと目を丸くした。


『だってそれじゃ病名つかないんだろ。しかも全然。それ正常じゃん』


 それは、高校一年生の夏休みだった。


 私が昴夜を好きになったのは、そのときだった。自覚はしていなかったけれど、言われてみればぐうの音も出ぬほど明確に。そして他の誰も敵わないほど、強烈に。


 


 三日前と同じ服装、同じ持ち物、同じ車両。できる限り条件を揃えた私の心臓は緊張で高鳴っている。駅のホームに停車した電車は、緩やかに走り出す。


 窓の外では、背の低い家がどんどん流れていく。十四年後との相違点は家が少し近代的なくらいで、でもそれはほんの微々たる変化で、景色はほとんど同じだった。懐かしいとは思わなかったけれど、それでも窓の外を眺める以外にすることがなく、ぼんやりと視線を投げ続ける。


 十六歳って、こんなに暇だったんだ。緊張して固まっていた体を背もたれに預け、少し力を抜いた。弁護士になってからは移動中もスマホでメールを確認して、タブレットで報告書の下書きを読んでと一分一秒をお金に換えていたけれど、十六歳のいまは、電車の中ですることがない。当時の私は小説を読んでいたらしい、というのはバッグに入っていた文庫本で分かったが、読み終わると荷物にしかならないのが紙の本の難点だ。便利なタブレットが懐かしい反面、ただでさえ疲れやすい目がここ数日はあまり疲れなくなっているのを感じる。でもパソコンを見ないお陰かもしれない、司法試験の勉強のためにパソコンを使うようになって一気に視力が落ちたから。裸眼ってなんて便利なんだろう、と感動した三日前を思い出した。


 その現実逃避――いやむしろ現実懐古?――の真っ只中に、電車は地下へと滑り込む。心臓の鼓動は速くなっていた。


〈次は、中央駅、中央駅……出口は、左側です……〉


 そのアナウンスに、ドクリと心臓が跳ね上がった。


 懐かしいガラケーで時刻を確認する。あと二分で中央駅に着く。本当は三日前と全く同じ時刻を狙って着くつもりだったけれど、ダイヤ改正があったのか、それは見当たらなかった。仕方なく数分早く着く電車を選び、駅のホームに着いた後に少し時間を置いて同じ階段を上ることにしている。


〈まもなく、中央駅、中央駅……。左側の扉が開きます、ご注意ください〉


 ゆっくりと減速した電車は、古臭い東西線のホームに停車した。扉が開き、ぷしゅう、と空気の排出されるような音が響く。


〈中央駅、中央駅。お降りの方を先にお通しください……〉


 腰を上げる。十六歳の体は、スポーツサンダルを履いた足まで含めて軽い。


 ほんの数分、そこで逡巡し、予定の時刻になったことを確認して階段を上る。階段に、消費カロリーの表示はない。


 それが、一歩、また一歩とのぼるうちに――。


「……現れない、か……」


 変わらない景色に、ひとり、呟いた。


 階段をのぼりきった先で、ぐるりと辺りを見回す。忙しなく行き来する人はいても、歩きスマホをする人なんて一人もいない。それどころか、改札外のベンチには顔を新聞紙に顔を埋めるようにしたおじさんまでいる。


 戻らなかった。たった一回の試行だけれど、私にとってはそれで充分だった。


 お祖母ちゃんの十三回忌で地元を訪れたら、うっかり十四年前に戻ってしまった。それが三日前の話。非科学的なものは信じるタイプではないけれど、現に何もかもが十四年前に戻ってしまっていて、寝ても覚めても文字通りなのだから、長すぎる夢だと思い込むほうが無理だ。


 原因はまったくもって分からなかった。妙な占いに手を出したわけでもなければ、いわくつきの物品を持ち歩いていたわけでもない。無自覚に契機を作っていた可能性を考えて、せめて十六歳に戻ったあの日と天候以外の条件を同じにして中央駅ここに来たけれど、まったくもって無駄としか言いようがなかった。


 結論、私は十六歳に戻ってしまったうえ、三十歳に戻る方法は不明だ。


 ちなみに、色々余計なことを話してしまった侑生には「白昼夢を見ていたらしい」と言い訳した。電車に乗っている間に転寝うたたねをして、残酷なのにリアルな夢にうなされて頭が混乱していたのだ、と。いや、もちろんそんなことで誤魔化せるはずがないのだけれど、こればっかりはどう弁解のしようもなかった。


 侑生がそれを信じたはずがないのだけれど、「あんまり考え過ぎるなよ」と言うだけで、深く追及されることはなかった。


 でも、それなら何の問題もないかと言われるとそうではない。私はこれからどうなるのだろう? 私はまた、十六歳から三十歳になるまでの十四年をもう一度やり直すのだろうか? 頭の中はすっかり三十歳で、なんともリアルなことに勉強なんてほとんど忘れていたけれど、もう一度努力をしなければ同じ未来はやってこないのだろうか? つまり未来は変わり得るのだろうか? そして、何を契機に私は再び三十歳に戻るのか? なにも分からない。


 でも逆に、何も分からないのなら。上ってきた東西線のホームに背を向け、そのまま南北線のホームへ降りる。一色いっしき駅行の電車はすぐにやってきた。


 昴夜の家は、南北線の北山駅が最寄だった。


 夏休みの夕方、昴夜が家にいるのかは知らない。連絡をとれば待ち合わせて会うことはできたけれど、そこまでする勇気がなかった。正確には、会いたい気持ちの中に不安があって、“残念ながら会えなかった”という結末を期待していなくもなかった。


 ……いまは十四年後じゃない。それは分かってる。このときの私と昴夜はごく普通の友達で何の気まずさもなかったはずだから、どんな顔をするもなにもない。それでも、どんな顔をして会えばいいのか分からない。


〈北山駅、北山駅――〉


 電車を降りた途端、じりじりと西日が肌を焼く。北山駅のホームは吹き曝しで、せいぜい後方車両のあたりに屋根があるくらいだ。


 タクりたい……。迷わずそう考えてしまうくらいには暑かった。でも私のお財布に入っているのはせいぜい二千円、そうでなくとも高校生でタクシーなんて使っていたら破産する。ただ、こんな一本道を走るタクシーは見当たらないので、理性が働くまでもなかった。


 記憶を頼りに道を選び、周囲を見回しながら目的地へ向かう。昴夜の家は駅からほとんどまっすぐで、駅から出さえすれば迷う余地はない。


 数えるほどしか歩いたことないけど、この道も変わってないな。……違うか、十四年前だから記憶のとおりの道なのか。


 まだ惚けたことを考えながら歩いて二十分弱、たどりついた家の表札を見て、懐かしい名前を指先でなぞる。


 「桜井」という苗字は、昴夜とはまったく関係のない相手でさえ、それなりに私の心を揺らす破壊力を持っている。大学生のときなんて、好みでもなんでもない男のことが「桜井」という苗字であるだけで気になって仕方がなかった始末、それが昴夜本人の苗字となればなおさらだ。


 昴夜は一人暮らしだった。お母さんはイギリス人で、でも早くに亡くなってしまっていて、中学生まではお父さんとお祖父さんの三人暮らし。でもそのお祖父さんも中三の頃に亡くなって、お父さんも単身赴任でここを離れ、昴夜だけが残ることにしたそうだ。だから、昴夜の家は私のお祖母ちゃんの家と似たような日本家屋だった。


 昴夜は、家にいるだろうか。おそるおそる玄関の前に立って、引き戸の前で耳を澄ませる。少なくとも音はしない。お庭のほうに回り込んで中の様子をうかがいたいのを堪え、震える手でインターフォンを押す。


 シーソーシーソー……。その音は家の中に響き渡り、そして消えていく。じっと待っていたけれど、家の中からは物音ひとつしなかった。


 ……留守か。肩を落とし、でももう一度インターフォンを押し、でもやっぱり昴夜が出てこないのを確認して背を向ける。“残念ながら会えなかった”……明日も来ようかな。そんなことをするならメールをすればいいのだけれど、その勇気はない。


 十三年前の三月十二日、侑生に会った昴夜は、私に対して「付き合わなかったことにしてほしい」という伝言を残した。“同級生を殺した少年”として今後追われることになる昴夜の、それが優しさだということは分かった。だから何も連絡しないでいたけれど、逆に“昴夜は新庄を殺した犯人ではない”と明白になった後は構わないと思った。ただの同級生に対して、卒業した後にたまにメールをして何がおかしいものかと。それでもずっと返信はないままで、でもいつか、なにか一言でもいいから返してくれないかと願って送り続けて一年ちかく。


 ようやく返ってきたのは“Mail delivery subsystem.”――送信エラー。


 だからきっと、私は怖いのだ。そんなはずないと分かっていても、昴夜にメールをして、その三語が返ってきて、十四年後に戻ってしまうのが……。


「――ら……てんじゃねーよ」


 駅に着いたとき、ガラの悪い声が聞こえて顔を向けた。駅ととんかつ屋さんの間にある小道の奥に人影がいくつか見える。


「とっとと出せよ」


 その影が別の影を蹴りあげるのが見え、あ、と小さく間抜けな声を出した。カツアゲか。確かにそれに最適の場所だ、駅の影になっていて私が立っている場所くらいからしか見えないし、電車がくれば音も声も聞かれないだろう。……なんてその魂胆を汲み取ることができてしまう自分が怖かった。イヤな仕事に就いてしまったものだ。


 それはさておき、どうしようか……警察を呼ぶことに抵抗はないけれど、すぐには来てくれないだろう。私が三十歳なら間に入って止めてもいいけれど、女子高生が行くと被害者が増えるだけ……。


「……何見てんだよ」


 気付かれた。三人分の視線に反射的に驚きはしたけれど、怖くはなかった。弁護士バッジに守られていないとはいえ、前科八犯の窃盗犯と比べればカツアゲをする高校生など子どものようなものだ(現に子どもだけれど)。


 そしてこの手の子達は面倒事が嫌いなのだ。通報してもいない携帯電話を軽く掲げてみせた。


「警察、よ」

「は?」

「うそこいてんじゃねえよ」


 言い回しも、まるで田舎の悪ガキだ(現に田舎の悪ガキだけれど)。ズンズンと地ならしでもするような乱暴さで歩み寄ってきた二人は、額を突き合せるように私の顔を覗き込んだ。むわりとした汗のにおいが鼻をつく。


「なんだァ、結構かわいいじゃん」

「待てよ、怪しくね……マジ呼ばれたんじゃねえの」


 あまりに落ち着き払っていたからだろう、一人がその目に警戒心をにじませた。そうそう、そのままいなくなってくれればそれでいい――なんて心で唱えていたとき。


 ガシャンッと自転車が倒れる音がしたかと思うと、ドゴッと鈍い音と一緒に、私の目の前にあった顔が吹っ飛んだ。


 今度は驚きすぎて声を上げる余裕もなかった。グシャッと真夏のコンクリートに叩きつけられた男子が「イッテ……」と呻き、もう一人が振り向く――前に胸座むなぐらを掴まれた。


「何やってんの?」

「ごごごごめんなさい! いやなんもしてないです!」


 途端に、その子は蛇に睨まれた蛙のごとく諸手を挙げて降参する。百八十度変わった態度の原因を見て、私は唖然とするしかなかった。


 奥に残っていた一人が肩で風を切るように「おい、ツレに手出してんじゃねーぞ」と威嚇しながら出てきたのを「バカやめろッ!」胸座を掴まれている子が懇願でもするように止める。


灰桜高校はいこうの桜井だよ!」

「わーい、有名人だ」


 甲高い無邪気な声だったけれど、それでも彼らの畏縮いしゅくは止まらなかった。それどころか悲鳴を上げて「すんませんすんません」「俺らなんもしてないんで!」と脱兎のごとく逃げ出した。地面に転がっていた一人も「ヒィ」なんて叫びながら転がるように逃げ出した。


「なんだよ、俺が絡んだみたいじゃん。絡んでたの向こうじゃんね」


 口を尖らせながらその後ろ姿を見送る目は明るい茶色、夕陽に照らされる頭は金髪で、白人の遺伝子のまざった白い肌と彫の深い顔立ち。半袖のティシャツ一枚と緩いズボンを適当に引っ掛けているだけなのにさまになるほど背が高くて足も長いのに、全体的に子どもっぽい雰囲気。


 私を覗き込むその目は柔らかく、何も言わなくても、まるでいつくしむように優しい。


「……どうしたの、英凜。大丈夫?」


 十四年前の、桜井昴夜。


 会えば泣いてしまうと思っていたけれど、実際には声すら出なかった。


 昴夜だ。最後に会ったのは十三年前の三月十日。あのときより少し幼くて、でも甲高い声はあのときと同じ。正真正銘、大好きな昴夜が、目の前にいる。


 何を言おう。何を話そう。私のせいで事件に巻き込んでごめんなさい。もっと早く好きと言えなくてごめんなさい。自首する前日に電話で話したのに、異変に気付けなくてごめんなさい。私も関係があることだったのに、昴夜に全部背負わせてごめんなさい。


 そのどれもが、言葉にできない。


「……おーい。英凜ってば」


 当時の昴夜については、週刊誌が好き勝手書くほか、もちろん警察もしつこいほどの捜査を行っていた。その記録をすべて読んだ私は、どこにも私の名前が出てこなかったことを知っている。


 昴夜が新庄に執拗に暴行を加えた原因は私だったけれど、「将来を傷つけたくない」という一心で、昴夜はそれをおおやけにしなかった。私が関係していたことを知っているのは、昴夜の事件を担当した弁護士だけだった。そしてその弁護士すら、私の名前を知らなかった。


 事件後、私が事件とは無関係に十四年間を過ごすことができたのは、昴夜がそのはがねの意思で口を閉ざしていたからだ。


 謝罪も後悔も、懺悔も感謝も、その一言でくくれるような単純な感情で構成されていなくて、何をどう言えばいいのか分からず、声が出なかった。


 どれだけの言葉と時間があれば、私が抱えるすべてを伝えることができるだろう。


「……英凜?」

「あ……」


 顔を覗きこまれ、やっと我に返る。その高い鼻の頭が私の鼻の頭に触れそうなほど近かった。


「……え、っと……ひさ、しぶり……」

「久しぶり……ん、まあ、久しぶりかな」


 訝しみながら首を傾げる顔には、十六歳らしい幼さと可愛らしさがあった。


 それなのに、たった一年半後に、私を守っていなくなってしまう。


「……本当にどしたの、英凜。あ、さっきの連中になんかされた!?」


 素早く三人の去った方向に顔を向けた昴夜が――そのまま走りだしてしまいそうに見えた。


 昴夜が、いなくなる。


「待って!」


 慌ててそのティシャツのすそを掴むと、丸い目がますます丸くなって私を見下ろす。


「……や、待つ、よ? そこまで言われなくても……」


 ティシャツを掴んだこの手の感触は、夢じゃないか? そんなことを疑って自分の手を見つめてしまう。


 それほどまでに、私にとっての“桜井昴夜”は遠かった。


 でもこの手の感触に間違いはない。いる。昴夜がいる。この手で掴んでいる先に、昴夜は、ちゃんといる。


 視線を上げると、困惑しっぱなしの顔に見下ろされていた。何か言おうとしているけれど私が何か言うのを待つように、その口は半開きだった。


「……昴夜……あの……」

「う、うん、なに?」


 でも、何から言おう。言いたいことがたくさんあって整理できていないだけではない。


 いま目の前にいる昴夜は、あの日のことなんて知らない。


 実は私は三十歳で、何がどうなったのか分からないけどタイムリープして十六歳に戻っちゃったんだ――そんな説明を昴夜が信じるだろうか。昴夜はおバカだから侑生よりは信じる可能性がある、信じてくれるかもしれない。……さすがにこれは馬鹿にしすぎだろうか。でも私が言えば信じてくれるような気も……いや侑生と同じように頭の心配をされて終わるだけ?


 それでも、もしここであの事件の話を昴夜が信じてくれないとしても、私が「好き」だと一言伝えれば? 昴夜と私は一年生のときから両想いだったのだから、ここで伝えれば付き合うことになるのでは? そうすればあの日はやってこないのでは?


 未来は、変えられるのでは?


「……昴夜」

「うん?」


 両手でティシャツを掴み直し、十四歳も年下の昴夜に縋りつく。私の雰囲気に並々ならぬ真剣さを感じたのか、その頬に朱が散った。


「……あのね」


 好き。私はあなたのことがずっと好きだった。ずっと言えずにいたけれど、ずっと、ずっと好きだった。


 十四年経っても忘れられないほどに、あなたのことが。


「私――……」


 その全身全霊の告白は――声にならなかった。


「……え?」


 なにが、起きている?


「……どうしたの?」

「あれ、私……」


 声は、出る。喉に手を当てて「あー」と声を出す、ちゃんと出る。ちゃんと振動も伝わってくる。それなのに。


「私、……――……」


 「好き」を口にしようとした途端に、声が出ない。


「……夏風邪?」

「ううん、そうじゃなくて」


 ほらやっぱり、「好き」でなければ声が出る。


 混乱している私の前で、昴夜が困っている。


「……ちょ、ちょっと待って」


 慌ててガラケーを引っ張り出し、新規メールを作成して「すき」を打とうとしたけれど、何度押しても入力できない。適当な文字を打つと入力できるから故障ではない、ただ「すき」だけが入力できないのだ。既存の文字を繋ぎ合わせてはどうかと適当なメールを開こうとしても、開けない。


 一体、どうなっている。愕然とガラケーを握りしめていると、昴夜が場をもたせるように頬をかいた。


「……こんなとこで何してたの? 俺に用事だった?」

「……用事」

「あ、そなの? ちょうどバイト行ってた、ごめんごめん。そうだ自転車」


 昴夜は、カツアゲ三人組に殴りかかると同時に捨てた自転車を起こす。


「もしかしてうちまで来てた? うち来る――……って、ごめん、言いたいとこだけど今から侑生達が遊びにくるんだった」


 ハンドルに腕を預けながら、その顔が渋くなる。


「侑生がきて、うちに英凜がいるとマズイよね……いや俺はいいけど。なんもやましことしないからいいんだけど。アイツほら、嫉妬深いから」

「…………」

「え、本当だよ? 俺やましいことしないし、侑生って見た目よりガキだよ?」

「……ううん」


 侑生は私が昴夜を好きだったって知ってるから――そう言いたかったのに声が出なかっただけだった。


「てか用事ってなに?」

「……用事、は……」


 顔を見たかった。謝りたかった。お礼を言いたかった。抱きしめたかった、抱きしめてほしかった。


 好きだと言いたかった。


 その用事のうち、済ませることができたのはたった一つだけ。


「……終わったから、大丈夫」

「え? 俺なんもしてなくない?」


 なぜ、それ以外のどれもすることができないのだろう。歴史改変がご法度なのはタイムリープにありがちな法則だとしても、例えば、侑生とご飯を作って食べたとか、カツアゲを目撃してしまったとか、今ここで昴夜に会っただとか、そんな些細な違いは生じている。


 その程度なら許されても、あの事件を揺るがす大きな改変は許されないと、そういうことなのだろうか?


「……大丈夫」


 何も分からなかった。分かることは、どうやら私は、いまここで昴夜に「好き」を伝えることができないというだけで。


「……ごめんね」


 できたのは、未来への謝罪を吐露することだけだった。

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