196話 天真爛漫な社交性の化け物
アピラ様を迎え入れる日は、カラッと乾き冷えた空気と真っ青な空が心地よい快晴だった。
上司達と三人で会社前に立っていると、約束の十時ピッタリに綺麗な馬車が到着した。
彼女は浮かれた笑顔で、深々とお辞儀をして見せた。
「皆様! ご
揃って礼を返しながら、レイジさんは素直に笑った。
「ふふ、よろしくお願いします。代表取締役のレイジです。絵に描いたような素敵なご令嬢でおられる。思わず頬が緩んでしまいました」
「まあ、嬉しい。昔ながらの貴族に憧れがありまして。言葉遣いがやや古臭いと思われるでしょうけれど、これ、案外クセになると評判ですのよ?」
「ははは! うん、早速私も気に入ってしまいましたよ」
彼女は馬車の御者と護衛らしい人々から心配そうな声を掛けられながら、大きく膨れたバッグを複数受け取る。
見兼ねたダンカムさんが歩み寄った。
「僕に運ばせて下さい」
「あら、お気遣いありがとうございます。甘えますわ。ええと、御名前は?」
「申し遅れました。ダンカムです。ここのチームのマネージャーやってます。社内の生活におけるサポート役と思って頂ければ」
アピラ様は大きく黒目がちな瞳を見開いた。
「戦いには出ないのです? そのムッキムキでムッチムチの立派なお身体を持て余しませんこと?」
俺も少し笑ってしまったが、誰よりも本人が大ウケだった。
「ハッハハハ! 副業で少しだけ戦ってますけどね。もうそれなりの歳ですし、ムッチムチになっていく一方ですよ」
「そうなのですね! 勿体ない気もいたしますが、むちむちぷるぷるの可愛らしいお姿も楽しみになりますわね」
「ぶふっ……頑張って可愛いおじさんを目指します」
アピラ様は、上司達との雰囲気をあっという間に柔らかくして見せた。とても無邪気で友好的な、未知の
名残惜しそうな
俺の部屋の
きょとんとしたら、レイジさんがにっと笑いかけてきた。
「ここからは頼むぞ、ルーク」
「あれ……お二人は、何かあるんです?」
「そりゃ山のように。年末年始は決算やらなんやらで超多忙だって前から言ってただろ?」
「それはまあ、そうですね」
「まずメンバーに挨拶させて。その後はメンバー達とアピラ様で相談して自由にやってくれ。滞在期間中の過ごし方は、内容も判断も基本的にルークに一任する。あ、責任もな?」
突然与えられた大きな
「なっ……この前は一緒に対応しようって……。今日の予定くらいしか考えてないですよ。せめて事前に言っといて頂ければいいのに!」
「忘れてた」
「ええ!」
「忙しいって言ってんじゃん。この件に関する超特急対応も褒めて欲しいくらいだぞ」
「感謝してますよ! でも……」
レイジさんは不思議そうに首を
「妙に及び腰だな。出撃時はいつも全部任せてるだろ。で、大体上手くやって帰って来るよな。日常生活も皆と相談して問題なくやれてる。俺はルークなら大丈夫だと思ってんだけど……何かあんの?」
眉間に皺を寄せて言い淀んだ。尋ねられると、分からない。確かにやってきた。信頼して任されること自体も嬉しい。じゃあこの強い不安感は何なんだ。
「……分からないです。自信と経験がある戦闘の話じゃないから、かな……?」
「うん、ならやっぱり大丈夫だよ。不安なだけ。頑張れ」
不安な『だけ』? 変に引っかかった。その不安が大問題だと思っているのだが、もしかしてその認識からして何か違うのか――?
考え込んでいる間に、ダンカムさんがアピラ様に声を掛けた。
「すみませんね、バタバタしてて。僕らも力になりたいのは山々なのですが、普段はルークを頼って下さい。肝が据われば頼もしくて気立てが良い奴ですから」
「承知いたしましたわ! ご多忙の中、丁寧に迎え入れて下さってありがとうございます。またお時間の許す時があれば、是非お話致しましょう?」
「ガハハ! 勿論ですとも。――じゃあね、ルーク。頼んだよ」
そうして二人は部屋を後にする。とうとう、
がらんとした個室をぼんやり見回す。俺が入社した日の自室もこんなだったな。今回はカーテンが既に付いてるけど。アピラ様も今、当時の俺のように、不安と期待の入り交じる心情なのだろうか。
と思ったところで、アピラ様の方から話しかけられた。彼女はいつの間にかベッド際。
「この寝具、もしかしてわざわざ新品をご用意頂いたんですの?」
「あ、はい。わざわざと言うか、毎度そうするらしいです――」
答えを聞くやいなや、彼女はきゃあと歓声を上げてベッドに仰向けにダイブした。至って庶民的な質のベッドを幸せそうにぽふぽふと叩いて言う。
「幸せですわー! ここを一ヶ月、自分だけの秘密基地に出来るなんて!」
不安と期待の入り交じる――なんて複雑で仄暗い感情は持ってなさそうだ……。
思うままに尋ねた。
「普段はもっと大きな部屋と上質な家具で生活されているものと思っておりましたが……?」
「ええ! 私は自室が大好きですわ。でも別モノですのよ。ルークさんも外泊時は高揚したりしませんこと?」
「あー……確かに」
彼女は勢いよく身体を起こし、ベッド際に腰掛けて脚を遊ばせる。
「そ、れ、に! ここには、使用人も同僚も立ち入らないのです。好き放題出来るのです。こうして外出した服装のままベッドに横たわっても、自分が迷惑するだけ! 自由を感じますわ! うふふふ!」
同僚――。娼館にいた頃は共同部屋だったのだろうか。
深く考えない事にして声を掛けた。
「気に入って頂けて良かった。ぜひ早速好き放題して頂きたいところですが、一旦メンバーへ挨拶しに向かいましょう」
彼女はぴょんとベッドを降り、いそいそとコートを壁に掛けた。
「そうでしたわね。個性豊かな皆様と話せるのも楽しみですわ!」
個性豊か、ね……。そんな可愛いもんで済むかな。自分の入社時の派手な喧嘩と、全員体調不良の夜の惨劇を思い返すと、苦笑が出る。
「うーん……基本的には優しくて愉快な者達なんですが、最初は他人行儀だったり、失礼があるやも知れません。各々、ままならない部分も多く……寛大に受け止めて頂ければ助かります」
「心配ご無用でしてよ! それも承知で来たつもりですわ」
「あ……そうですか、ありがとうございます」
本当に俺だけビビってんだな。この不安感も症状か? ……いや、言語化して認識したくなかっただけで、本当は分かってる。
俺はこの人が、怖い。
社会的地位と人間性で明確に自分を上回り、理解する事も難しく、それでいて積極的に関わって来るこの人が、怖くて堪らない。
なぜか? ――敵に回ったら敵わないから。
自分達を好意的に捉え、素直に明るく振る舞う人格者の女性が、自分を加害するかも知れないと根拠もなく妄想して怯えているのだ。
他人を初手で観察し品定めする癖といい、俺は少し人間不信な面があるかも知れないとは思っていたが、ここまでとは。俺はつくづく自信のない、
小さくため息をついて思考を区切り、二階の食堂へと先導した。
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