144話 カルミアの『言い訳』
「俺が殺した相手はね。妻を
胸を抉るような衝撃が俺の呼吸を止め、呆けた相槌を打つのが関の山だった。
「…………そんな……」
彼は、まるで事実を羅列するだけといった様子で話を続ける。感情を排除しているのか、感情を乗せることが出来ないのかは、分からなかった。
「十年ちょっと前、防衛戦士団の仕事から帰って玄関のドアを開けたらさ、ビリビリに裂かれた衣服と色んな液体にまみれた妻が床に倒れてた。その前後の記憶はほとんどないのに、その光景だけ、全然頭から消えてくれない」
俺は絶句したまま。カルミアさんは苦笑と共に愚痴った。
「ほんっと、ここ最近、連続でしんどい事ばかりだよ。ルークはびしょびしょのズタズタで死にかけてるしさ、ウィルルは性犯罪紛いの襲撃を受けるしさ。もう勘弁してほしいよ。はは……」
合点のいく事ばかりだ。ボロボロの俺を見て吐いたことも、その後まもなく妻と息子の話を皆に打ち明けたことも、ウィルルにかけた優しい言葉も。そして、ウィルルを襲った奴らに対する敵意も。
「……そう言うことか。本当にごめん」
「あはは。まあ、俺は自分の地雷や過去を言わなかったから、配慮しようがないよね。狙ってやった事でもないし、仕方ない」
カルミアさんが左手の指輪にそっと触れたのが、視界の端に見えた。
「妻――ティフィに出会ったのは、ちょうど今のルークと同い年の時だなぁ。それまで散々遊んでたけど、あの人にはベタ惚れしちゃってさ。結婚して息子が産まれて、毎日最高だったよ。……だから、なんかもう、犯人が許せなくなっちゃったんだ」
「……うん」
「防衛団の特権と、帝都北区民としてのツテを駆使して、犯人を突き止めた。冴えなくて小汚い、文句と妄想ばかり立派な、若い男だった。連れ去って監禁するのは阿呆みたいに簡単だったなぁ」
カルミアさんは、声の調子を変えずに淡々と続ける。
「ゆっくり痛めつけてやった。ありとあらゆる嫌なことをしてやった。泣いたり喚いたりされるのが凄く楽しかった。でも、一週間くらいした朝、見に行ったら死んでたんだよね。死因はどうでも良すぎて忘れた。もう終わりか、つまんないなって思っただけ」
彼の手首が、手錠の形に合わされる。
「反応のない死体には用がないし、処理も面倒だから、自首した。情状酌量はあったけど、犯行内容が残忍だとかで、執行猶予なしで五年服役することに決まった。勿論、防衛戦士団はこの時除籍。……この辺で、ようやく、息子はどうしよう? て思ったんだよなぁ……」
冷たい風が俺達の間を吹き抜けていく。
「三十九歳で出所させられたけど、何もかもどうしようもないよなぁと思った。死にたいってこと以外何も考えられなくて、毎日、投げやりに過ごした。……でも、周りが一生懸命助けてくれたんだ。お節介な知人に引き摺られてようやく精神の病院に行けたことと、防衛団時代の後輩がレイジを紹介してくれてイルネスカドルに拾って貰えたこともその一つだ」
突然彼の拳が強く握られ、震える。
「……そうやって癒してもらううちに、心がまた動くようになった。そしたら突然、毎日滅茶苦茶にムカつくようになった。自分を許せないんだ。自分の命より大事だった人を守れなかった事。思い出すと頭が狂う事。結局は俺も、あいつと同族のクズだって事」
「同族だなんて……」
「そう思っちゃうんだ。だって、後悔してないんだよ、全然。自分で殺せて良かったって思ってる。もっとやってやりたかった。何回でも殺してやりたいし、今も殺してやりたいんだよ」
壮絶な感情の吐露。彼の心には今も強い恨みと殺意が渦巻いているのだろう。……彼はそれを、ずっと抑え込み隠し通して生きているのだ。
カルミアさんの拳から力が抜けるが、楽になったのではなく、力尽きたと言う感じに見えた。
「でもね。分かってるんだ。どれだけ何をしてやっても……ティフィは帰って来ない。尊厳は取り戻せない。人生の終わり方を変えてやれない。……もう愛してやれない。愛して貰えないんだ」
さっきまで感じ取っていた恨みと殺意が消え去った。淡々とした響きの底に感じるのは、大きな嘆きと悲しみ。絶望と孤独。――ダメだ、俺。本人が泣いていないのに、俺が泣いたら、ダメだ。
「ティフィが遺してくれたのは息子だけだ。今度こそ守り切りたい。だけど俺のせいであの子は生きづらくなった。一生、人殺しの父親の存在を抱えて生きるんだ。俺が守るどころか、俺が傷付け続けているんだ」
息子の就職と結婚の時、俺の存在が特に邪魔になる――。そう言っていた。病気が理由じゃなかったのか。
「子供の将来を考える余裕もなく、その時の殺意を抑えられなかった奴だと思うと、父親面なんて出来なくてさ。どんな顔して接していいか、分からないんだよね。生きてていいのかすら分からない。仕送りの金なんて要らないからさっさと死んで欲しいと思われているかもしれない。……でも、それを聞く勇気もない……」
彼は、ははっ、と乾いた笑いをこぼした後、細く長いため息をついた。
「……もう正直キツいよ。終わりたい。でもティフィが、まだ来ちゃダメ、やることあるでしょって言ってる気がするんだ。妄想なんだけどさ……無視できなくて。自己満の恩返しをしたり、中途半端な自傷をしたり、息子に遺せるものを用意したりして、死ねるまでの時間を潰してるんだ」
彼の指が今一度指輪に触れる。
「死ねた時、かつてティフィが愛してくれていた俺に、近づけていたら……また会えるかな。そうだったらいいな――なんて、ね」
堪えきれずに、涙が流れ出してしまった。カルミアさんが気付いて、驚いたようにこちらを見る。
「……ごめん、カルミアさん。俺が泣いて、どうするんだろうな」
「い、いや、いいけど……」
彼はなぜか俺の泣く横顔を見続ける。気まずいからやめて欲しかったが、カルミアさんが見たいなら仕方ないと思ったから、せめてと泣き虫の言い訳をすることにした。
「話の最初に、奥さんの報復で殺したっていうのを聞いた時、カルミアさんは凄く怒ってて、凄く憎かったんだなと思った。無理もない事情だし」
「ああ、まあ、合ってるよ……?」
「うん、実際そうなんだと思う。でも……話を聞いてたら、一番大きいのはそれじゃない気がしてきてさ」
「え……?」
鼻をすする。
「悲しくて悔しくて、その気持ちの行き場がどこにもなくて、どうしようもなかったのかなって……。元凶を殺して、罰まで受けて、充分苦しんだ今もそこから解放されなかったら、死にたくもなるよな」
カルミアさんの返答はなかった。でも、言葉を遮り否定されることも、なかった。
「大事な人がいなくなったら寂しくて堪んないよ。なのに、最悪な終わり方と、変わってしまった自分を延々と見せつけられてたら、幸せな思い出に浸ることすら出来ないじゃんか……。それでも、息子さんって言う、生き続けなきゃいけない大事な理由だけがあって、その理由でさえも自分を責め立てて苦しめるだろ」
声が細く震え、たまに裏返り掠れてしまう。
「――それは、つらすぎる……。キツくて当然だよ……。他人に話したって仕方ないよな、しんどさから助け出して貰えるわけでもないんだから……。今までのカルミアさんの言動が、色々と、腑に落ちちゃったんだ。一人で背負って抱え込み続けてた理由も、よく分かった。……そしたら、なんかすげー泣いちゃった」
長々と喋った後で前日の失敗を思い出し、慌てて涙を拭った。
「ごめんっ! また分かったような口を利いちゃった! 俺、距離感が近くて鬱陶しいんだよな――」
苦笑を隣に向ける。擦ったその目が丸くなった。
カルミアさんが、茫然としたまま、静かに涙を流していた。初めて見る彼の涙だった。
最悪のタイミングで、またやらかしてしまったのか……! 熱った顔から血の気が引く。
「かっカルミアさん、本当にごめん! せっかく俺なんかに大事なことを話してくれたのに」
無言と片手で制されて、改めて彼の顔を見る。涙はもう出ていなかった。少し笑っていた。
でも、その独り言のような言葉は、やはり酷く苦しいものだった。
「そっかぁ。俺、悲しくて悔しかったんだ。寂しくて堪んないんだ。――それでしんどくなってたのか。そりゃそうか。そうだよな。はは…………今更、気付いたなあ…………」
この言葉から何を感じ取っていいものか。分からない。だが、彼の深い部分に踏み込んだことだけは分かった。その善し悪しも分からない俺は、もう
また正面を向き直して泣きながら、話の続きを待った。話は一区切りしていたが、なんとなく、彼はまだ吐き出し切っていないと感じたから。
やがて、カルミアさんが眼鏡を外して涙の筋を拭う。
「地域での広い交友関係が災いして、沢山の知り合いに色んな反応を向けられたよ。勿論その中には、俺を立ち直らせようと頑張ってくれた恩人もいるけど、ほんのひと握りだ」
彼は眼鏡をかけなおして、長いため息をつき、再び気丈に話し出す。
「多かったのは、同情と励ましかな。あとは哀れみとお説教ね。怒ってくれた人や泣いてくれた人もいたけど、全員、俺の悲劇を観客席で楽しんでるように見えた。正直鬱陶しかった。だから、新しく接する相手にはなるべく事情を隠しておきたかったんだ。噂が耳に入っちゃったりはするんだろうけどね」
「……そうだったんだね」
「今朝ルークが寝ている間に、殺人の前科があることだけ皆に打ち明けたけど、皆はやっぱり優しいなって思った。それぞれのしんどいことを抱えてるからなのかね。俺より苦しそうな顔をして、話してくれてありがとう、なんて言ってさ。何か事情があるんだ、って根拠もなく信じて受け入れてくれた。嬉しかったよ」
「ああ、そうなんだ。皆、優しいよな。カルミアさんが良い人だって分かってるからこその対応だとは思うけどね」
「そうだといいね。……結局は、今朝の皆みたいな対応が一番ありがたいんだよな。無闇に触れないで、かといって腫れ物扱いもしないで。変わらない距離感でいてくれるって言うのが、俺としては一番楽だ」
「……そっか」
俺の返事を最後に、少しの沈黙があった。
突然肩を強く掴まれる。縋るような感情を感じ取って、顔を向けたが、俯き気味になっていくカルミアさんの表情は、長めの前髪に隠れて見えなかった。
ただ、聞き慣れたその声は、聞いたことがないくらい、弱々しく震えていた。
「そうだった筈なのにさ……。ルークは……。本当に、距離が近いね。近すぎるよ。まるで、ティフィと出会った頃の俺が、代わりに泣いてくれたみたいな、そんな……そんな風に見えて…………ごめん、ちょっと、もう――――」
歳を重ねた友人の、痛々しく丸まった背中に手を添えた。彼がいつかそうしてくれたように。そして、何も言わずに一緒に泣いた。俺にはそれしかできなかったけど、今は、それでいいような気がした。
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