143話 いつもの裏庭にて



 会議が長引いたのと、日が短いので、裏庭はもうオレンジ色の夕陽に照らされていた。もう冬が近いことが分かる冷たい風を頬に受け、心身が締まる。



 稽古の休憩中と同じように、二人でいつものベンチに腰掛ける。二人とも丸腰なのは珍しいことだった。



 左側に座るカルミアさんを茶化す。冗談と本気半分だ。


「大丈夫? 酒、必要?」


「あはは! あったら楽しいね! ……でも今日はこのままでいいや。ルークが相手なら、酒なしでも喋れる気がするよ」


「うえ?」


予想外の嬉しい言葉に挙動不審になって、今度は俺が茶化されてしまった。


「ちょっと。ふふふ、シラフで喋れるって言っただけで喜びすぎ! 普通のことだからね?」


「あ、ああ……それもそうだね。へへ……」



 カルミアさんはちょっと気まずそうに、軽く頭を下げた。


「改めて謝るよ。驚かせたことと、一方的に距離を取って突き放したこと。俺、自分のことしか考えてなかったよ。ルークのメンタルを考えたら、ホント申し訳なくなった」


「あっはは! ほんとだよ。でもそれは、さっき蹴ったので全部チャラにしてやるって言っただろ」


「いや、蹴られた後も少し考えてさ。ルークは仲間想いで、大事な誰かのために強くなれる人だって知ってた筈なのに、俺の話は受け入れられないと思い込んでた。なんでかなって考えたら――ルークの『大事な仲間』に俺が入ってると思ってなかったからみたいなんだよね」



 仰天としか言いようがなかった。


「えぇ? 嘘だろ?」


「自分でもびっくりだよ。それだけ、ルークや皆に対して一線を引いて、期待しないで付き合ってきたんだと思う。無意識にね」


「えー……。でも、カルミアさんは、優しい仲間として皆に接してくれてたじゃんか」


 カルミアさんは目を逸らし、どこかをぼんやり見ながら頬を掻いた。


「そりゃ、俺はそうするよ。でも俺がルークや皆から大事にされる権利はないって考えが強くてね。だからそういうズレた思い込みを生んだんだろうなぁ。……ごめんね。ルークのこと、見くびってた訳じゃないんだよ」



 苦笑して、冗談っぽく言った。


「もういいよ。今、こうして色々話してくれて嬉しいし。でも大事な仲間だってことは、これからもっと大事にして分からせてやるからな」


「ふふっ、遠慮しとく。今も充分鬱陶しいよ」


「あっははは! 言われると思った。……じゃあなんで大事に思われてるって分かんねえんだよぉ」


「ほんとだね。なんで分からなかったかなぁ。ははは!」



 久々の雑談。雰囲気は前と変わらないが、カルミアさんとの距離は確実に縮まったと感じた。



 あの時、逃げずに向き合って良かった。笑い合いながら、安堵と喜びを噛み締めずにはいられなかった。



 微笑むカルミアさんの柔らかい茶の瞳に、遠くの夕陽が映る。何度か見たことのあるその仕草で、大事な話が始まると分かった。


「俺、人殺しって言ったろ」


「……うん」


「ルークは、それについて、どう思ってる?」


 難しい、質問だな……。

「えーっと……人を殺した事実について? それともカルミアさんという人物について?」


「……全体的に」


「えぇー…………うぅーん……」



 八方美人モードの俺なら、耳障りの良い肯定の言葉で躱して、このデリケートなやり取りを終わりにしただろう。そんな偽りの優しさなら幾らでも思いつく。でも今、それはしたくなかった。カルミアさんが聞きたがっているのは、俺の本音なんだ。


 顔を顰めて目を泳がせ、手を揉みながら、ありのままの言葉を捻り出した。



「……何より先に思ったのは、事情があったんだろうってことだよ。でも……正直、良い印象は持てないよ。今こうしてカルミアさんの隣で話せるのは、その殺しが俺にとって他人事だからだ。俺が被害者やその関係者だったら怒り狂ってると思う。でも他人事だからこそ、横から偉そうに説教するつもりもない。今から話すことは全部それが前提になる。……この時点で不快に感じたら、ごめん」


「ううん。続けて」


「うん……まず、殺人についての俺の考えなんだけどさ。――大抵の人にとって死は怖いものだろ。他人の都合でそれを押し付けられるなんて、惨い話だと思うよ。それに誰だって誰かの子供だし、誰かの大事な人かもしれない。それを奪うってことだ。残された人のことを思うとしんどくなる。……殺しは、重い罪だ。でも」


 口ごもる。これ以降は頭の中で整理できていない。口に出して良い内容なのかすら分からなくて不安だが、素直に話しながらまとめていくしかない。


「――でも。俺はそれと同時に、罪がその人の全てじゃないって考えも持ってるんだ。悪い事をしたとしても、悪い人だとは限らないじゃん。いや勿論、本当に悪い人も多いし、悪い事自体は罰されるべきだと思うけど。……俺が人と関わる時は、できる限りその人自身を多面的に見ようと思ってる。……だから……うーん」


 今一度唸って頭を掻く。


「俺が、カルミアさんという人自身を見る上で、人を殺した罪も無視は出来ないよ。でも、その罪はカルミアさんの一部に過ぎないだろ。今まで沢山見てきた優しさとか、強さとか、適当さとか――そういうものに一つ、新しく情報が加わっただけ。そう思ってる。……ちょっと重くてデカい情報だけどね」


 えへへ……と謎の苦笑を挟んで続けた。


「……自分でもびっくりするくらい、カルミアさんに対する親しみは変わってないんだよね。多分、情が入り過ぎて目が曇ってたり、考えが矛盾してたりはするんだと思う。でも、それも今まで色々見て来た結果だから、それでいいや。だから――また一つ、カルミアさんを深く知れて嬉しいなってのが、一番素直で大きい気持ちなんだ。…………長くなっちゃった。これで、答えになったかな?」



 夕陽を見ながら俺の話を静かに聞いていたカルミアさんは、くすくすと笑って、軽いため息をついた。


「なんか、予想してたのと違ったな。ルークは平和主義者だし、犯罪とか嫌いだから、情が入ってたとしても、口の悪いお説教は食らう気がしてた」


「ぬう……」

 俺、そういうイメージか……。否定もしづらいけど、なんかちょっと嫌だな。


 俺の複雑そうな顔を横目で見たカルミアさんは、今一度柔らかく笑って、少しだけ背筋を伸ばした。


「ふふ。でも、そんなのよりずっと、ルークらしい答えだったよ。ルークが人をよく見てるのも、人に関して悩むことが多いのも、そうやって人を色んな面から見ようとし続けるからなんだね。……ありがとう。誠実で優しい答えだった」


 ほっとした。俺の等身大の気持ちを、そのまま、傷つくこともなく、受け止めて貰えたと感じた。



 カルミアさんは少し顔を上げて、夕焼けに染まる空を眺めていた。少しの間そうした後、再び顎を引いて、正面を見つめ直した。


 彼は一瞬だけ唇を噛んだ後、静かに話し出した。


「俺が人殺しなのは紛れもない真実だ。……でも、ちょっと長めの言い訳があってね。俺も話すのはしんどいし、聞く側も重いと思うから、他の人には言いたくないんだけど……ルークには、ちゃんと全部、聞いてもらいたいなって思うんだ。……いいかな」


「うん。聞かせてよ」


「……ありがとう」


 真剣にまっすぐ見つめたら困った顔をされたので、慌てて顔を前に向け直した。



 黄昏たそがれの中、お互い遠くの空を見つめたまま、カルミアさんの『言い訳』が始まる。




*お知らせ:

 次話のみ約4400字の長さで更新致します。


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