131話 最低最悪の自傷行為
「ひっ……」
喉が勝手に変な音を立て、足が一歩後ろに下がった。
赤黒い人の形が、まっすぐ立って、俺を見ていた。血肉色に汚れた身体の上に、見慣れた微笑が乗っかっている。
掻き乱された俺の頭は、この状況に無理やり納得しようとしたらしい。俺の口が勝手に動いて、その人の名を呼んだ。
「……か…………カルミアさん……」
半信半疑と言った響きになってしまった呼びかけに、朗らかな表情で頷きを返された。紛れもなく本人だと思い知らされた。優しい笑顔に追い詰められて逃げ場が無くなるという不可解な状況に置かれて、俺はどうするべきなのか分からなかった。
上手く呼吸できずに口を半開きにしたまま、その姿を眺める。ケインから聞いていた通りなのに、目の当たりにすると、どうしてこうも恐ろしいのか。
ところどころ破れた普段着は、確かに
ということは、彼を染めている赤の大半は、返り血なのだ。
なんでわざわざその姿を見せに来たんだ。なんでいつも通りに微笑んでるんだ。……何があったんだ。何を背負ってるんだ。今、何を考えてるんだよ。
疑問だらけの中、身体が勝手に震え出す。分からないことは、怖い。分かっていた筈のことが分からなくなると、尚更怖い。
恐怖を隠せない俺の反応を見ても、カルミアさんは優しく笑ったままだった。その理由もまた、分からなかった。
彼の後ろからバタバタとレイジさんが出てきて、カルミアさんの腕を引く。
「おい、馬鹿、やめろ!」
遅れて出て来たダンカムさんは腹部を押さえて顔を
彼もまた、カルミアさんを会議室へ戻そうと、反対から肩を押した。
「カルミア! 今のお前が何を話したって、誰も幸せにならない!」
当のカルミアさんは、二人の動きに抵抗しながら、穏やかに言う。
「ルーク。この前は、びっくりしたでしょう? ごめんね――」
「やめろって言ってんだよ!」
レイジさんの余裕のない静止も虚しく、言葉は続く。
「でもさあ、あれがホントの俺なんだよ。ルークはずっと俺を慕ってくれていて、凄く嬉しかったよ。だから、本当にごめんね。期待を裏切って」
こんな状況でも、彼の自己開示が嬉しくて、力の残りカスを掻き集めてなんとか返事をした。
「おっ、俺こそ、ごめん! 驚いて変な顔したと思う! 失礼だったよな。でも俺、カルミアさんのことを知りたいってずっと思ってたから嬉し――」
「本当に?」
彼に向けようとしていた明るい言葉と表情が握り潰された。凄く嫌な質問だと感じた。
ダンカムさんの手が、カルミアさんの口を強く塞ぐ。三人の塊は会議室へと転がり込んでいった。
会議室からは、尚も争う音がする。ちょっとして、ダンカムさんの腹の底に響く声が聞こえた。
「ルーク! 後で色々話すから、とにかく今はどっ――」
声が途切れて暴れる音が聞こえた後、重い衝撃が床を伝わって届いた。
きっとこの場を離れるべきだと言ってくれたんだろう。でもごめんなさい、もう、身体が言うことを聞かなくなってしまった。
変に痺れる脚を引き擦り後ずさりしている間に、初めて聞くレイジさんの怒号が耳に届いた。
「この大馬鹿野郎! 今のお前がしていることは、これまでの中で最低最悪の自傷行為だ! かはっ――」
自傷、かぁ……。カルミアさんの躊躇い傷の跡をぼんやりと思い出す。思えば、過度な飲酒も自傷行為だったのかもな。
……え? レイジさんから見て、カルミアさんの今の行動は、盛大な自傷行為なのか。……だとしたら。俺にその姿で接することが自傷なのだとしたら――。
俺の反応は、本当に、これでいいのか?
再び振動を感じ取った俺の脚は、面白いように止まってしまった。
逃げられないと思った。……いや、逃げるべきではないと、逃げたくないと思ったのだ。
きっとカルミアさんは、さっきの続きを話しに来る。そこから逃げて、俺達には何が残るのか?
どの道もう、こうなる前の関係には戻れない。この場から逃げても気まずさだけが強く残って、居心地の悪い距離感で愛想笑いする他人以下の関係になるんだろう。
――だったらいっそ、気の済むまで、向き合おうじゃないか。それが最後になろうとも、後悔のないように。
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