130話 悪手を重ね続ける



「遅くまで何をしてたんだ」


 ログマの口調は、いつもの愛想の悪さを差し引いても厳しかった。何故だ? 戸惑いながら返事をする。


「え、ケインには言ったんだけど――」

「いいから答えろ」


 よく分からないが、言う通りにした。


「酒場で情報収集。長引いちゃったけど、割と収穫があったよ。この状況じゃ、皆への共有はちょっと後になりそうだね」


「……そうか」


 沈黙と静寂。ログマの顔色を窺うと、目が合って睨まれた。なんでだよ。



 ……全然違う俺達だけど、関係が長くなれば、なんとなく分かることもあるんだな。


「ログマ、ちょっと溜まってるだろ」


「下品な質問だな」


「え? 馬鹿、そっちじゃねえよ! ストレスの話! キツそうだから吐き出してみろって言おうとしたのに!」


「分かってるよ」


「はあ? じゃあなんでそういうひねくれた返しをするんだよ!」



 ログマは、見たことの無い自嘲的な笑みを浮かべた。



「――そういうひねくれた人間だから、なんだろうな」



 俺に対する返事とは別の意味を感じ取って、眉をひそめた。


「……どうした」


「なんでもねえよ。そろそろ俺も寝る。じゃあな」



 するっと立ち上がってドアへと向かう彼。追いかけて腕を掴んだ。


「ちょっと待て」


「チッ、なんだよ」


「あ、あの、その――」


「キモい。早く言えよ!」



 言い淀んだ。これまでの言葉は別として、今伝えたい内容は確実に彼の急所を突くと分かる。だけど、放っておきたくないと思ってしまった。


 もう嫌だった。踏み込むことに怯えて、曖昧に流して、結局何も知れないまま遠くへ行かれるのは。……カルミアさんのように。



 震える唇をこじ開けて、言った。


「そ……そのまま部屋に戻っても落ち着けるわけないだろ!」


「は?」


「愚痴くらい言えよ! 俺でさえ、今のログマはしんどいって分かるんだぞ!」


「…………何が言いたい……!」


 今一度躊躇う。俺の報告をわざわざ直接聞こうとしたのは、ひねくれ者の自分に対しては話してくれないのではないか、という不安の確認だったんじゃないのか? らしくない言動の理由は、きっと――。


「……かっ……カルミアさんが何も話してくれないことに一番傷ついてるのは、お前なんじゃ――」



 ログマの鋭い前蹴りが腹にめり込む。攻撃は読めたが、食らうのが誠意だと思った。


 尻餅をついた俺に、ログマが激昂する。そのセリフは、出会って間もない頃に、森で聞いたものとよく似ていた。


「分かったような口を利くな! 好き勝手に距離を詰めてくれやがって。お前なんかに何が分かる!」


 その突き放すような言葉と響きは俺を傷付けるのには充分過ぎた。悲しみが隠しきれず、声に滲んだ。


「少しは分かるよ! 分かるようになったんだよ! ……折り合いをつけようって、歩み寄ってくれたのは、ログマじゃねえかよ……」



 俺を無視して踵を返した彼が残したのは、寂しい捨て台詞だった。


「俺の事なんて分からなくていい。つーか、誰にも分かるわけがない。分かって欲しくもない。勘違いすんな、馴れ馴れしいんだよ」



 項垂れる背後に、食堂のドアが閉まる乱暴な音が聞こえた。




 しんとした食堂に一人で尻餅をついたまま、しばらく呆然としていた。


 その体勢のまま膝をかかえ、身を縮める。腹に鈍く残るログマの敵意をきながら、自らの愚行をせせら笑った。


「俺って、本ッ当に馬鹿だなぁ……」



 合わない者同士、互いに理解する努力をしてきたと思うし、手応えも感じ始めてたんだけどな……。だからこそ、力になれるかもと思ったんだ――けど、全くもって勘違いだった。調子に乗っていたようだ。そのせいでまた距離が離れてしまったような気がする。


 正直悲しくて仕方ないけど、ログマの言った事は正しいと思う。ケインとのやり取りにだって同じことが言える。俺は身勝手なお節介で、彼等が不快に感じる領域まで踏み込んでしまったんだ。


 明らかに不機嫌なログマには不用意に触れなければよかったし、ケインなら多くを語らずに部屋を貸すだけで気遣いを汲み取ってくれただろう。冷静に考えれば分かることなのに、気持ちに寄り添いたいというエゴが前に出て失敗した。ごめんな、ケイン、ログマ。疲れているだろうに。俺、間違えたよ。



 分かってきた。事件の日、カルミアさんとウィルルについての無理解に落ち込んだ俺だったが、あれはどうやら的外れな悩みだったようだ。何でも言い合える仲間でありたいという、一方的な、過度の期待とワガママだった。


 心を許して深く分かり合っていけば良い仲間になれると思っていた。でもそれは、頓珍漢な思い込み。それぞれが快適な距離感を保ち、深くて大事な部分を隠し守っているのだ。思えば、俺自身も皆に言えてない過去や感情なんて沢山ある。人との距離感とはそういうものだし、それでいいのだろう。


 ……とすると、別の疑問が浮かぶ。



 じゃあ分かり合うってなんだ? 仲良くなるってなんだ? 仲間って、なんだっけ……?



「……あーあ」


 もういい、俺如きがぐるぐる悩んだって仕方ない。どうせ何も分からないんだから。何かを、誰かを変える力なんてないんだから。


 俯いたまま、ふらふらと立ち上がった。俺も、会議室に一声かけて寝よう。とにかく疲れた。心身共に限界だ。



 廊下はまだ電灯が点いたままで、明るかった。会議室のドアからは微かに会話と光が漏れている。


 三回ノックして、返事を待たずに声を張る。


「ルークです。無事に帰社しました。今日は食堂で寝ます、おやすみなさい」


 すぐに踵を返す。これでいい。彼らは三人で話したいんだろ。俺はそれを尊重する。また好き勝手に距離を詰めてはいけない。……どれだけ心配で気掛かりでも。



 自分で納得したのも束の間、背後でドアが開く音がした。嘘だろ。誰かが出てきたって言うのか。


 唇を噛んで拳を握る。やめてくれよ、もう混乱したくない。今の俺は人との距離感が掴めなくなってるから、触れないでくれ。傷つけるのも、傷つけられるのも、嫌なんだ。



「ルーク」



 祈りも虚しく、名を呼ばれる。逃げようと思ったが、その声がカルミアさんのものだと気づいたその瞬間、もう振り向いていた。



 そして後悔した。



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