20章 心の距離

129話 限界と失言



 走ったり、立ち止まったり、ふらついたり、躓いたり。案の定酔いすぎていたようで、一度道端に膝をついて下水道に吐いてしまった。心身ともに疲労困憊、かつ焦燥感に駆られる帰途は、長く感じられて辛かった。



 帰社してすぐに自室で装備を外し、二階へ上がる。急いだ割には時間がかかり、もう二十三時だったが、ケインとログマが食堂の懇談スペースに座っていた。


「ただいま。遅くなった」


 二人の澱んだ目がこちらを向く。色濃い疲労と動揺が滲む表情に、痛いほど共感した。


 それでも二人は俺を見て、少し笑ってくれた。


「……お疲れ」

「連絡遅ぇんだよノロマ」


「はは、ごめんね……」



 食堂を抜けた先、会議室の方向へと目をやり、尋ねる。


「まだ三人はこもってるの?」


ケインが頷く。もう少なくとも二時間以上ということだ。


 ここで気付いたが、ケインの目元は、赤く泣き腫らしながらも深い隈が目立った。顔色の悪さも、化粧で隠しきれていない。本当は今すぐ休んだ方がいい状態なのではないか。



 そしてつい、もう一人の気がかりについて尋ねてしまった。

「ウィルルは?」


ケインの目が潤む。カルミアさんだけじゃなく、ウィルルにも問題ありか……。聞かなきゃ良かった、自ら致命傷を負いに行ったようなものだ。心的負荷が限界を突破して卒倒してしまいそうだ。



 涙を拭いながら黙っているケインに代わり、ログマが教えてくれた。


「あいつ、ケインの部屋で昼寝したきり、起きやしねえ。もう十三時間超えたところじゃねえか?」


「言われてみれば、俺、今日は姿を見れてないや……どうしたんだろう」


「大方、ストレスからの防衛反応だろ。俺の不眠と足して二で割りてえな」


意識して彼の目元を見ると、いつも以上に青黒かった。



 ……皆、限界だ。俺だけじゃない。このチーム全員が、精神的に限界を迎えている。



 それはそうだろう。事件の被害だけでも俺達のメンタルにはかなりのダメージだった。それがろくに癒えないまま、得体の知れない黒幕に立ち向かう話になった。守ってくれる筈の防衛団は不信感と不安を煽った。犯罪被害と濡れ衣に挟まれて怯えながら、普段通りの日常と解決に向けた希望をかろうじて繋いでいる状況である。


 そこに今日の出来事。きっとウィルルとカルミアさんが最も動揺していて、その結果がウィルルの昏睡、カルミアさんの危険な行動なのだ。分かっていても――生活を共にする仲間達の異変を見せつけられ、残り三人の心も不安定になってしまった。



 リーダーとして振る舞う余裕も気持ちもないのに、口をついて出たのは、二人を気遣う言葉だった。決して優しさや責任感などではない。俺がそうしたいという押し付け。


「遅くまで待たせて悪かったね。カルミアさん達三人の事は置いといて、二人とも、今日は部屋に戻った方がいい。眠れなくても、暗いところで横になって目を瞑れば、回復するからさ」



 そう言ってから、ふと閃いた。我ながら良い思いつきだと感じ、浅慮な寄り添いの言葉と共に提案した。


「ウィルルはケインの部屋で寝てるんだよな。ケイン、良かったら、今夜は俺の部屋で寝なよ。俺は割とどこでも寝られるから、ここのソファを借りる。……ずっと忘れられなくて、しんどいだろ?」



 すると突然、ケインに強い口調と目線を向けられた。

「そんなことないっ!」


そして、その声がまた涙に滲む。


「わっ、私なんて、ルルちゃんのそばに居ることしかできないのにさ。そんなこと、言いたくないよ……言いたくっ、ない、のに……うっ、わあぁ……!」


 ケインが顔を覆って泣き崩れる。最低だ。明らかに余計なことを口走った。これだから俺は。もう嫌だ……。俺も泣きたい。いや、俺のせいでこうなってるのに俺が泣いてどうする。うう、つらい……。



 ため息をついたログマに横目で睨まれる。


「ルークの言葉は相手のペースを無視して急所を突く事があるって、以前言ったよな……」


「…………ごめん……」


 ログマがケインの膝を軽く蹴る。


「おいケイン。お前もお前だ。顔色が悪いから休めって、俺も今朝言っただろうが。また強がって言うこと聞かなかったな? だからそうやって些細な刺激で爆発するんだよ」


「うっ、うう、ごめん……頼りなくて……ごっ、め……」


「意味のねえ謝罪を聞かせるな。ダルい」


 ログマの言葉もキツい気がする。言葉選びが下手な男二人で、頑固に自責する彼女を慰められる気はしない。



 でも、まっすぐぶつかること以外、今の俺にはできない。能力も気力も足りない。ケインの座る横に膝をつき、半泣きみたいな情けない声で訴えかけた。


「ケイン。変なこと言ってごめん。でも、ウィルルの傍に居てあげられるのはケインだけなんだ。今倒れられると正直困る。頼むから、今日は事件から離れてゆっくり休んでくれないか」


 切実な願いが伝わったか、彼女は泣きながらも頷いてくれた。



 ケインに俺の部屋の鍵を渡し、見送る。……掃除とか片付けとか……まあ、もうこの際いいか……。



 ログマの向かいに腰掛ける。彼との会話は俺から始まることが多いが、珍しく話しかけられた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る