48話 どこが風邪と一緒だよ!!



 俺は確かに、病気と向き合えずに逃げている。でも、現状は受け入れている筈だ。そうでなきゃ精神疾患者向けの仕事なんて探していない。それなのに、呑み込めていないって、どういうことだ?


「そ、そんな筈は――」

「自分の体調や気持ちは分かっているのに、他人に話す事、治療を進める事には抵抗するでしょう。早く治ったと思いたくて、焦っている様子も見えるね」


 そんな事、地元の主治医は言ってなかった。でも、否定も出来ない。無言で聞くしかなかった。


 先生はそんな俺を見て、呑気なため息をついた。

「まずは、治療の必要性を認めなさい。君が病気なのは、君が弱いとか悪いとか、関係ないからね。風邪をひいたら薬を飲んで寝て治す、それと同じだよ」


 曖昧な返事をした。ああ、うん、分かってるよ。……え、俺、分かってないのか?


 上手く心に浸透しなくても、言葉だけは回収して頭の中に残さなくては。必死に耳に集中した。


「病気の理解を進めよう。症状と、その程度の善し悪しの把握。治すには何が必要か。抵抗じゃなく、対処を考えるんだよ」

 これは、少し理解できる気がする。

「あ……なるほど……分かりました」


 と思ったのも束の間、先生がまた難しい言葉を続けた。

「時間をかけて、自分の理解も深めようね」

「……え?」


 俺は自分の体調や気持ちを分かってるって、さっき先生自身が言っていたじゃないか。


「経験や性格、外部要素が複雑に絡み合って今の君があるの。発病のきっかけだけじゃなくて、全体を捉えると色々やりやすくなると思うよ」



 震えた。そんな事言うなよ。まるで俺の今までの人生が全部、病気に繋がる要素だったみたいな――。


 い……いやいや。先生に、攻撃する意図は絶対にない。むしろ俺の為に教えてくれている。責められているような気がするのは病気だからだ。


 ……あれ? 性格も絡んでいると言ったよな。この思考は病気? 性格? でも俺が弱いとか悪いとかじゃないって――そもそもこの発想が――駄目だ。何も分からなくなった。



 先生はカルテに向き直ってしまった。


「辛い事、今まで辛かった事、全てが病気の治療と回復のヒントになる。少しずつ、自分の感情や病状と向き合えると良いねえ」


 妙に気の抜けた返事しか出なかった。


「――薬は増やして出します。薬の事で何か異変があればすぐに相談しに来てね。次は二週間後で。その時に効果の実感を教えて。一緒に考えて調整していこう。お大事に」


 茫然自失で礼をして、診察室を出た。



 とぼとぼと帰社し、自室のドアを閉める。机の上で、バッグから紙袋を取り出した。


 病院で渡されたそれからじゃらじゃらと出てきた瓶は、十四個。朝の分が三種に増え、夜は変わらず一種。一回り小さい、液体の頓服薬が十回分。――病状が一番酷かった時期に飲んでいたのとは種類が違うけど、同じ数量だ。


 もちろん、数で単純比較はできない。あの頃よりは弱い薬にはなっている。……それでも、この薬の量を見ると、自分の心の脆さを可視化されているみたいで落ち込むんだ。


「はぁ……」


 天を仰ぐ。決して低くはない天井が妙に窮屈に感じた。


 俺、普通の人と同じくらいまで回復したような気がしてた。

 だって、兵団を辞めた頃に比べたら随分良くなった。稼いだ金で生活を回して、料理や掃除も積極的に行って、剣技と筋力の鍛錬で運動もしてる。社会との交流ができる。すごく健康で文化的な生活を、自分の意思で出来るんだ。


 でも、薬を減らす事すらまだ早いらしい。病気が分かる前からずっと自問自答してるのに、自分の辛さや病状と向き合えてないらしい。それでいて、焦っているんだと。


 ……先生の言う事に、抵抗はあっても反論はない。俺が言った自分の症状にも嘘はない。気力はないし不安感は強い。正直死にたいさ。そりゃあ普通の人じゃ、ないか。


 そして、それら全部が、俺の性格や人生と関係あるって? 大きな話になったな。どこが、風邪を引いた時と一緒だ。薬飲んで寝るだけでは終わらないじゃないか。


 机に転がった沢山の薬の瓶を見下ろしながら、もう一度大きなため息をついた。


「はあ……。ふふ」


 笑える。良くなったと思っても氷山の一角。山積みだったらしい課題が次々出てきて、全然前に進めない。


 もう二年だぞ、二年。凄く前進しただろって振り返ったら、明後日の方向に蛇行してて殆ど進んでなかったかのような。馬鹿馬鹿しい。


 そもそも、これだけ苦労して治したとして、それでようやく人並みなんだ。健康な人は、頑張った分がプラスになって色んな事ができるのに。……俺だってそうだったのに。今の俺は、マイナスをゼロにする為に足掻いてる。色んなものを犠牲にして。



 ――こんなのいつまで続くんだ。やってられるかよ。



「あっはっはっは! あぁーあ! ――クソがよォ!」


 瓶を乱暴に掴んで振りかぶり、床に叩きつけ――られなかった。



 もういいってくらい、充分頑張った。やめてしまいたい。諦めたい。逃げたい。


 どこへ逃げたって病気は俺の中。闘病を諦めたならもう今までの俺としては生きていけない。やめてしまうなら――?


 もう、死ねばいいんだ。死んでしまえばやめられる。



 ……分かっているのに。今でも、まだ良くなる、もう少し頑張れる、生きてて楽しい事もまだあるってさ。みっともなく希望を拾い集めて、縋ってる。


 その希望の一つがこの薬だ。痛いほど分かってる。まあ、本当に分かってるのすら、もう分からなくなったが。



 結局ベッドへぶん投げて、隣に突っ伏した。


 心が酷く痛い。息が震える。悔しくて悲しくて虚しくて、布団を強く握った。自分自身が憎くて、辛かった。


「ちくしょう……」


 悪態はくぐもったまま、布団に吸い込まれた。


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