第3部 負った傷と負わせる傷

9章 自分が分からない

47話 ルーク、久々の受診



 メンバー五人で揃って朝食を済ませて、すぐに会社を出る。今日はゼフキに引っ越して初の通院だ。


 初診は直近で予約を取れない事が多いとは言え、随分時間が経ってしまった。ギリギリ間に合ったから良かったものの、薬瓶はほぼ空で、頓服薬に至っては底をついていた。




 会社から近い住宅地の中にある、アーデン精神病院。白木の民家のようなこぢんまりとした建物だが、皆もここに通っているらしいから信頼はある。


 地元の主治医に書いてもらった紹介状を渡して、受付を済ませた。待合室は狭めだが、静かで他の人も少なくて、安心できた。やがて名前が呼ばれ、診察室へ向かう。



 清潔感のある明るい部屋に、患者用のベッドと椅子があるのは、地元の病院と一緒だ。奥の机で、年配の男性医師が俺の紹介状を見ながら座っていた。


 促され、席に座る。医師、アーデン先生はカルテを書きながら、優しく話し始めてくれた。


「はい、こんにちは」

「こんにちは」

「ロハ市かあ、遠くから来たねえ。――大体はここに書いてある通りだと思うんだけど、他に困っていることは?」


 少し考えて、言った。

「前よりは大分良くなったのに、だらだらと服薬を続けているのが辛いですね。――まだ、薬は減らせませんか?」


 先生はうーんと呑気に唸った。

「そうだねえ、それはこれから話し合って調整しようね」

減薬の相談も出来そうだ。ほっとした。



 問診が始まる。質問内容は、地元の病院と大体同じ。


「就職のために引っ越したんでしょう。職場はどう? 体調の変化は?」

「仕事は楽しいです。人間関係は良好で、病気に理解もある会社なんです。職場環境に問題はないのですが……最近の体調は、少し悪いです。不安感? が強くて」


 先生は少しこちらを向いた。皺の奥のエメラルド色の瞳が、穏やかに俺を見つめる。

「それはどのくらい? 生活に影響が出るくらい?」


 少し悩む。生活に影響って、どの程度を言うのだろうか。

「……影響ないと言えば嘘になりますかね。会社の計らいもあって生活は整っていますけど……たまに、一日中寝ている日もあるので」


 先生は呑気な調子で鼻を鳴らして、カルテに何かを書いた。質問は続く。

「食欲、睡眠、気力の過不足は?」


 自分の体調は受診前に整理していたけど、いざ口に出そうとすると抵抗感があった。

「食欲は普通です。睡眠は波があります。気力は……常に不足しています」



 呑気な口調のまま、俺を見ずに続けられた。


「死にたいとは思う?」



 頭が答えを出し渋って、言葉に詰まる。


「……思う、事も……たまには、ある? と思います」



 カルテを書き終わった先生が腕を組む。

「そっかあ。体調は良いとは言えなそうだし、不安に効く薬を一種類増やして、しばらく様子を見ましょうか」


 慌てた。


「ちょ、ちょっと待って下さい。俺はそんなに悪くない筈です。薬を減らすことはあっても、増やす必要はないと思っているんですが」


 先生は俺の顔を見て、難しい顔をした。


「今の薬の量で楽になっていないなら、増やして体調を安定させるべきだと、僕は考えてるよ。減薬は、安定してからしばらくの間様子を見て、その後の話だ」


 縋るような気持ちで食い下がる。


「自分の意思で働けるし、自分で生活できてる。病人としてはかなりマシだと思います。これでも、ダメなんですか?」


 先生はこちらに体を向けた。良い表情はしていなかった。


「病人としてマシとか、他人にダメか尋ねるとか。他人の物差しで考えるのはあまり良くないねえ。自分の症状は、自分の中の良し悪しで捉えるべきだと思うなあ」


ぐっと呻いて唇を噛んだ。


 先生は優しい口調で、しかしはっきりと、続けた。


「君は、自分の病気を呑み込めていない部分があるみたいだね」


 衝撃は、殴られたかのようだった。


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