44話 ケインの鎮火とルークの着火
依頼所に着いたのは、営業時間ギリギリの夜。あのタイミングで手に入っていなければ危なかった。珍しく幸運だった自分に感謝だ。
三つ納品できた事で、想定の二倍強、百七十万ネイの入金を告げられた。歓声を上げたケインにまた抱きつかれそうになったので、自慢の敏捷性で躱した。
ケインの取り分は、レイジさんが先払いしてくれるそうだ。これで彼女も、施設利用料と生活費を充分に用意出来る筈だ。
一晩明けた朝食時。今日は俺が料理業務担当。ケインはなかなか食堂に出て来なかった。
準備が終わろうという時に、憔悴した様子のケインが食堂に現れた。
「おはよ……皆、ごめんね……」
かろうじて身だしなみは整えているものの、俯いて背を丸め、酷く元気がない。
俺達は顔を見合わせて苦笑いした。元気がないことは心配だが、おそらく、ケインの過剰な活動は収まっている。
ケインはキッチンの俺へと寄って来て、深く深く頭を下げた。
「一番迷惑かけたの、ルークだと思う……。色々全部、本当にごめんなさい」
その小さな声から強い罪悪感が伝わり、慌てた。
「全然気にしてない! 確かにびっくりはしたけど、病気のせいなんだろ。謝らなくていい」
それでも彼女は頭を上げてくれない。
えーっと……。頭を掻く。
「顔を上げてよ。ケインは悪い事してないし、俺も大して負担じゃない。君には助けられてばっかりだったから、迷惑かけてくれたならむしろ嬉しい。少しは恩返しできたかなって」
ケインは頭を上げてくれたが、目は伏せたままだった。
「恩返しなんて、そんな。ルークも、皆も、私の事をいつも助けてくれてるよ……」
この言葉には違和感を覚えた。
ケインは確かに社内での生活や戦闘時には協力し合うが、精神的に誰かに頼る様子は見たことがない。
いつも前向きで明るい彼女は、この本部チームの精神的支柱だろう。戦闘中は、彼女が後衛で見守り支えてくれることにどれだけ安心させてもらっていることか。社内業務や家事業務だって人一倍頑張ってくれる。彼女なしでは回らないかもと思うくらいだ。
そんな彼女に、罪悪感なんて感じて欲しくない。だが以前、調子が悪いことを謝るなと皆の前で言った後も、ちっとも改善しなかった。
どうしたらいいか分からなくて、悪い癖を出して自分を下げた。
「昨日は俺、ボコボコにされてたろ。ケインが短剣でささっと処理してくれて助かった。お互い様だ」
俺の自己犠牲を受けて、ようやく彼女がくすっと笑ってくれた。……そう、笑ったのではなくて、笑ってくれたのだ。
「ありがと、優しいね。昨日は確かに大変そうだったけど。――ふふ。ルークの腕、大きな痣だらけで痛々しいね」
「これね……半袖だから目立つよな」
皆もケインに寄って来た。彼女はまたしょんぼりと頭を下げた。
ログマが彼女を睨む。
「お前、言うこと聞かなかったな。ストップをかけろって忠告しただろうが。今、凄くしんどいだろ?」
「うぅ。正直、しんどい……」
「はぁ……。今日こそ休めよ。金も入る事だし、病院にも行け」
「うん……ごめんね」
カルミアさんが微笑む。
「謝らなくていいけど、頑張りすぎはだめだよ。心配になっちゃうからね」
「うん。心配してくれてありがとう……」
ウィルルが顔色を窺うように言った。
「お話聞きたいなあ。何かあったんでしょ?」
ケインは俯き、黙った。同意だからなのだが、皆も何も言わない。
ウィルルが慌てる。
「ひえ! 私、また間違っちゃった? ごめんなさ――」
ケインは苦しげに微笑んだ。
「ううん、間違ってない。……私も、少し、皆に説明した方がいいかなって思ってた」
のんびり食事を進めながら、ケインの話を聞くことにした。
「皆、改めて、迷惑をかけてごめんね。あの元気が、病気の症状だって気付けなかった。皆、教えてくれてたのに。ごめんなさい」
それぞれの言葉で宥める俺達に、彼女はまた謝った。
ケインは自嘲気味な苦笑を浮かべる。
「えっと、さっきルルちゃんが訊いてくれた事に返すね。……今回調子が狂ったきっかけは、地元の兄から手紙が来た事だと思うんだ」
手紙か……。ログマはいい方向に転んだけど、ケインはそうならなかったようだ。
彼女は顰め面だ。怒りか、悲しみか。――いや、その両方に、苦しんでいるんだ。
「内容にムカついた。負けてられないって思った。そしたらだんだん調子が良くなった。すごく嬉しかった」
ケインの明るい声が、泣きそうに震えた。
「私ね! 頑張れる自分が、本当の自分だと、思いたかったの。でも、頑張れてたのは一瞬で、しかも病気の症状だった。調子に乗って迷惑もかけちゃった。ほんとぬか喜びだよねー」
ケイン、まさか普段の自分が頑張っていないと思っているのか……?
彼女の声はすぐに芯を取り戻した。笑顔にも曇りは無い。
「そんな感じ。これからは気をつけるね。皆、私の話を聞いてくれてありがとう。食事の邪魔してごめんね。終わり!」
俺目線では、話してくれたとは思えなかった。笑顔で隠して誤魔化しただけじゃないのか。
――ケインはきっと、物凄く強がりなんだ。
俺も強がりだと言われたことがあったけど、そんなの比較にならない。
ケインは、まるで彼女が放つ矢のようだ。しなやかで芯があり、目標を確実に射抜く力もある。強がるだけじゃなく実際に強いのだ。
でも、その強さの理由は分からない。きっと、教えてくれない。
彼女は、自分に厳しく他人に優しい。自分の努力を認めず苦痛を刻みつけ、他人の努力を称えて苦痛を慰める。
自分が他人に甘えるなんて許せないんだろう。今、俺達に話したのだって、ただの贖罪だ。甘えたわけでも、頼ったわけでもない。
彼女は、努力と笑顔と建前で、弱さを暴かれるのを必死に防いでいる。少なくとも俺達には、彼女の弱さを見る権利がないのだろう。――そう思うと、もう、何も言えない。
何の反応もできないままトーストを齧った。皆も同じように黙って、静かに食事を進めている。
でも、カルミアさんだけは違った。
「ケイン。終わる前にちょっとだけ言わせて」
彼女が、うん! と明るい返事で応える。
カルミアさんは苦笑いしながら、頬を指で掻いた。
「俺、ケインは充分頑張ってると思う」
流石カルミアさん、優しく必要な事を言う。
でもやはりケインは強がり突っぱねた。
「いやいや、全っ然! 皆に甘えてばっかりだし、怠けてばっかりだよ!」
カルミアさんはかぶりを振った。
「ううん。ケインはうちに来てからずっと、一人で闘病してるなと思ってたよ。頑張りすぎなくらい頑張ってる」
ケインはうーんと軽い調子で唸る。恐らくは、また否定の言葉を考えている。カルミアさんがそれに先んじて続けた。
「俺はさ、無理に仲間を頼れとは言わないよ。でも、せめて自分の頑張りは自分で認めて欲しいな」
ケインの目線に戸惑いが滲み、言葉が止まった。
ログマも笑って続く。
「はは、おっさんの言う通り。お前は意地でも他人に頼らんからそっちはどうでもいいが、自分の無理と限界は自覚しろ。また倒れるぞ」
「う、それは困るけど……」
「だろ。――ウィルル。お前も言ってたな。休んでって言っても頑張り続けるって」
悲しげな顔で目を伏せていたウィルルが何度も頷く。
「私もね、ケインちゃんが心配。皆で仲良しで頑張ろうよ。……ひとりぼっちだと、頭、ぐるぐるするよ」
ケインはけらけらと笑った。……俺には彼女の悲鳴だとしか感じられず、胸がぎりっと傷んだ。
「皆、優しすぎ! 心配してくれてありがとうね。でもあんまり私を甘やかしちゃダメだよ? 根性なしなんだからさ。無理して丁度だよ。もっと頑張らなきゃ!」
はあ? 何だよそのセリフ。
もう強がりの次元を超えている。仲間達の肯定と応援を笑顔で受け取ったと見せかけ、即座にぐしゃぐしゃと丸めてゴミ箱へ押し込むような失礼な態度だ。
まずい。こういった物事の捉え方は、俺の性格のキツい部分が炸裂しそうな時のもの。頭の中で次々と鋭い言葉が生まれる。絶対、口に出さない方がいい。
……分かっていたのに、低い声が出た。
「なんで、自分を追い詰める事ばっかり頑張ってるんだ?」
「え……?」
俺を向いた彼女の顔から、明るさが消えた。
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