40話 遅かったか……



 突飛な話に声が上擦った。

「はあぁ?」


「全速力で動いて急停止したって印象だったな。元気に越したことはないと思ってその時は放っておいたんだが、揺り戻しがデカ過ぎた」


「確かにまずいな、ケインが危ない――」



 名前に反応したか、腕のケインがゴネた。

「ねぇ私の心配ー? 絶好調だってば」



 どうしたものか。本人が元気だと認識しているものにストップをかける方法なんて考えたことがない。

 何にせよ今は座っていて欲しい。行動を止めたら感情も鎮まるかも。


 そうだ、断れないのも俺の悪いところだった。言うぞ……言うんだ!



「ケイン。俺、料理の途中なんだ。悪いけど、座って待――」

「酷い!」

「えぇ?」

「仲良くしたかっただけなのに! ルークはなんでいつもそうやって距離取るの?」


 ああ、またそれを指摘されてしまった……。



 でもそんなことより。あんなにご機嫌だったケインが、今は凄く怒っている。彼女の猫目が鋭くなっていて怖い。


 慌てて宥める。

「い、いや、包丁で怪我しっ――」


 容赦ない平手打ちが頬に炸裂し、パンッ! と派手な音を立てた。痺れる頬を押さえ、戸惑いのままに情けない声が出る。


「嘘ぉ?」

「もういいもん! さっさとやってよね、準備手伝ってあげないから!」

「それはいいけど! 叩かなくても……」


 勇気を出して拒否したが、失敗に終わったようだ……。



 ログマが腹を抱えて笑っている。こいつ、俺が痛い目を見た時が一番嬉しそうだ。以前は愛だなんだと同情したが、やっぱり性格は悪いと思う。


 だがこうなれば、一度この状態を見た事のあるログマを頼るしかない。

「すまんが、頼んだ……」

「アッハッハ――はぁ笑った。仕方ねえな」



 むすっとしたケインが席についた所で、ウィルルがよろよろと入ってきた。


 白いブラウスにベージュの膝丈スカート。彼女もログマと同じく、いつも通り。やはり仕事は関係ないんだな。


 疲労が色濃く見えて心配だ。

「ウィルル、おかえり。どした?」


 彼女は寄ってきて耳打ちしてくれた。


「元気なケインちゃんとずっとお話してて、疲れちゃったの……」

「そうだったんだ……お疲れ様。料理ができるまで休んでな」

「ありがと……」


 懇談スペースのソファに身体を預けたウィルルを尻目に、急いで料理を再開する。



 卵を溶きつつ、ログマとケインの様子を窺う。ログマはこういうのは不得手だと思うが、曲がりなりにも古株だ。どうするんだろう。



「おい、今日は長時間働いたろう。意識的に休みを取らないと倒れるぞ」

「えー。歳下のくせに生意気ー」

「関係ねえだろが。とにかくストップしろ!」

 


 ケインはこちらに背を向けているが、机に両肘をついて頬を支える仕草で不満を示したのは分かった。


「だってさぁ。私達って、調子がいい時に色々進めるしかないでしょう。私が絶好調な時なんて滅多にないんだから、休んでる暇ないよ」


「三年前、そうやって動き回った後、反動に苦しんでいたと思うが」


「……そうだっけ?」


「そうだ。お前は心身の調整が下手な時がある。今は少し活動的過ぎる」



 ケインが大人しくなってきた。腕を組んで考え込んでいる様子だ。いいぞいいぞ。



 ログマはため息をついて続けた。

「調子が良すぎるとその後で疲れるのは普通の事だ。ただお前は少し過剰だから、注意しろ」


「……ログマがそう言うなら、気をつける……」



 拍手したい。言葉を選べないからこそ、彼女に刺さったような気がする。

 キッチンカウンター越しに親指を立てて頭を下げると、ログマは満更でもなさそうにそっぽをむいた。



 そこにカルミアさんが現れた。白シャツにカーゴパンツ、シンプルな服装を着こなす様子はやはりいつも通り。今日は私用の外出だったからか、左腕の躊躇い傷は黒いアームカバーで隠しているようだ。……ケインの例に怯えて、服装で調子を窺ってしまっている。


 しかし彼は、いつもと違って表情に余裕がなかった。怪訝に思い声をかける。


「カルミアさん、おかえり。どうした?」

「あっ、ただいま――あのさケイン、荷物沢山頼んだ?」


 俺、ログマ、ウィルルは互いに無言で顔を見合わせた後、ケインに注目した。



 カルミアさんが頭を掻く。

「帰社した時に業者と鉢合わせたから、荷物を受け取ったんだよ。随分な量だから、何か注文を間違ったりしてないかなって」


 ケインがあっけらかんと答えた。

「もう届いたんだ。カルさん、受け取ってくれてありがとう! 見てくるね」



 彼女がパタパタと階段を降りる音を聞きながら、唖然とする俺とウィルル。顔に手を当てるカルミアさんとログマ。


 ログマが小さな声で言った。

「遅かったか……」


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