8章 浮き沈み
39話 絶好調で上機嫌!
鉛筆を回しながら唸る。
「分からん……」
机の上の紙には小さな文字が五行。それが俺の頭の中を表しているようで虚しい。何も考えてないのか、書き出す力がないのか知らないが、せめて大きく自信を持って書けよ。
入社して五ヶ月目。体調には浮き沈みがあるが、皆のおかげで学べたことは沢山ある。悩みを書き出して整理して、理由を考え、対策を講じようという試み。
……しかしこのザマだ。
「えーっと! ……あれだ、人と距離を取っちゃうことも何回か指摘された! あと、素直に拒否できないとこもダメ! それと――」
俺のダメなところ、嫌なところが十行に増えた。理由と対策は何も浮かばない。空白が埋まらない。
大きなため息をついて腕を組んだ。
「毎日散々、疲れるまで考えてる筈なのに、なんで解決策が浮かばないんだ……?」
天井に独り言をぶつけても、答えどころかその声すら返ってこない。
またため息をついて、椅子から立ち上がった。もう夕方だし、今日は諦めだ。
俺の頭の中が自責だらけだと分かったのは収穫だと思うことにする。理由と対策は、今後意識して考えていこう。
長年気に入って使っている黒いエプロンを付けて、食堂へ向かう。
今日の料理業務担当は俺。夜は夏野菜のグリルとオムライスを作る予定。少し手間だが、安い夏野菜が沢山手に入ったので皆に食べて欲しい。
特に今日は、ケインとログマとウィルルの三人が、近郊の森の食材採集依頼に出かけている。カルミアさんは所用でお出かけ。皆疲れているだろうから、栄養を摂らなくては。
切った野菜をオーブンに入れて、ケチャップライス用の玉ねぎを刻んでいると、食堂にケインが入ってきた。
思ったより帰社が早い。しかも既に着替えている。今日は、美しい模様が描かれた鮮やかな青のワンピース。
……いつも通りの洒落た服装だが、今日はアクセサリーや色が少し派手なような? 俺はそういうのに疎いから気のせいかも知れないが。
晴れやかな笑顔で小走りしてくる彼女を労う。
「おかえり、お疲れ様。料理はもう少し――」
「やっほールーク! 今日もカッコイイね!」
「へ?」
今日も……って。報道紙に載った時以来、久々に言われたのではないか。
不意をつかれて照れていると、駆けた勢いのままに抱きつかれた。
「ちょっ! えっ、えっ?」
色々と柔らかくて良い香りで、動揺を隠せない。
……だが、包丁を緊急停止できていなければ俺の左手は凄惨な事になっていただろう。
「危ないよ、どうしたの!」
「えへ。なんかこうしたかっただけ」
いやいや、ドキドキしている場合じゃない。何かおかしい気がする。酒でも飲んだのだろうか。でも酒の匂いはしないような。
「随分上機嫌だね。今日の依頼、上手くいったとか?」
「そう! 全部上手くいくの! 楽しい!」
「そっか、それは良かった! 夕飯が出来るまで待――」
「それでね、今度久しぶりに大型依頼を受けたいと思って! どう?」
「えっあっ……うん、皆に確認してみようか」
「私とルークだけでもいいよ!」
やはりおかしい。らしくない無謀な提案だ。
「ちょ、ちょっと落ち着いて。大型依頼は五人でも厳しい事が多いんだから。皆と相談してからにしよう?」
「えー。じゃあ副業でもしようかな」
「待って、そんなにお金に困ってるの?」
「うん! 昨日、服とアクセサリーいっぱい買っちゃった!」
そう言えば、ケインは昨日まで二連休だった。その間に散財してしまったのか。彼女がお洒落にお金をかけるのは不自然ではないが、副業を検討するとは余程のことじゃないか?
右腕に巻き付かれていて包丁が持てない。困っていると、ログマが入ってきた。彼もまた装備を解き、緩い黒シャツとスリムなズボンの普段着。スタイルがいいから何を着ても映える。
……という話ではなくて。いつも通りの雰囲気で安心した。彼女に同行していたログマも派手になって帰ってくるのではと少し不安だった。
とにかくこの状況から助けて欲しい。
「ログマ、おかえり……あの……」
白けた目を向けられた。
「お盛んな事で……」
「なんでそうなる! どう見ても俺は料理中だろ!」
彼はやれやれと芝居がかった仕草で首を振り、改めて聞いてきた。
「で、どういう状況なんだ」
「俺も分かんないんだよ。――出撃中もこんな風に元気だった?」
ログマは斜め上を見て口元に指を当てた。
「ああ……言われてみれば、終始はしゃいでいたな。体力作りとか言って、走って先に帰っちまったし」
「仕事中に何かあったのか?」
「いや、特には」
そして、あ、と思い出したように呟き、眉間に皺を寄せた。
「……すぐに収めるべきだ。そいつが入社した頃にもこんな時期があった」
「詳しく教えてくれよ。収めた方がいい理由があるんだろ?」
「その時は、単騎で強敵に挑んで派手に怪我をした後、数ヶ月引きこもったからだ」
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