『オナラ戦記〜スカしっ屁ができない〜』

小田舵木

『オナラ戦記〜スカしっ屁ができない〜』

 皆さんはスカしっ屁ができますか?

 

 これは社会の中でやっていくには必要なスキルですよね?

 なにせ。人前でブウっとオナラをするのはなんとも恥ずかしい。

 だが。私は。スカしっ屁が出来ない男なのだ。

 …いや、冗談抜きで出来ない。オナラをしようものなら確実に音が出る。何ならが出るかも知れない。

 

 そんな。スカしっ屁が出来ない私は。

 社会でやっていく上でかなり苦労をした。

 その上。思春期には過敏性腸炎を患っていた。要するにかなりお腹が弱い。

 

 だから私は。お腹の調子にはかなり気を使っている。

 思春期の頃は●オフェルミンを常飲していたし、ヨーグルトなんかの整腸作用があるものを好んで食べていた。

 

 …ああ。あの過敏性腸炎を患っていた思春期から成人するまでを考えると。

 かなり苦労した事を思い出して切ない気持ちになる。

 何せ思春期である。猫も杓子も格好つけたい頃合いである。

 なのに。私の大腸は。常にガスでパンパンだった。何時でも特大のオナラを出来る状態だったのである。

 

 そんな腹が常にガスでパンパンだった私は、どう社会を渡っていったか?

 …どうしようもなかった。

 最初は。ガスを我慢して生活していたが。常に大腸がパンパンの状態で生活するのはかなりキツい。

 医者に相談したが―「オナラ、すれば良いじゃない」と一蹴された。

 だけど。私はスカしっ屁が出来ない体なのだ。

 んじゃあ?オナラをするしかないのか?人前で?特大の?

 おいおいおい。冗談はよしてくれよ。一応こっちにもメンツというものがあるのだ。

 結果として。私は不登校になってしまった。

 …いや。過敏性腸炎だけが原因ではないが。かなり大きな部分を占めていたように思う。

 メンタル的な部分というのは。気の持ちようでかなり誤魔化ごまかせるが。

 肉体的な部分というのは。気の持ちようで誤魔化しようがないのだ。

 

 私は何故、スカしっ屁ができないのだろうか?

 これは家庭に問題があったように思えるのだ。

 私の家は。かなりおおらかな家である。

 父も母も何なら姉も。人前でオナラを平然とするヤツだった。

 だから私は。スカしっ屁をする、という発想自体がなく、スカしっ屁のやり方を学ぶ事もなかった。

 

 これが思春期になって、こうも響いてくるとは。

 思いもしなかった。その上、結果は不登校。

 バタフライエフェクトというか…何が人生を変えるファクタになるか分からないモノである。

 

 私は思春期を不登校で過ごした。

 だが。何時までも家に閉じこもっていることはできない。

 私は18の頃から19まで予備校に通っていた。

 不登校を挟んだ後、過敏性腸炎が治ったか?

 …残念ながら治っていない。

 こうして。オナラとの戦いは第2ラウンドを迎えたのだ。

 

 私が通っていた予備校は。

 大阪駅前のオフィスビル群の中にあった。

 これは過敏性腸炎な人間にとって有り難い話である。

 何せ。共用の広いトイレがたくさんあるからだ。

 …そう、スカシっ屁ができない私は。トイレでこっそり…いや大きな音を立ててオナラをしていたのだ。

 こういう屁のスタイルを持っていると。学校のトイレじゃおちおち屁ができない。

 下手したら噂になるからである。そして。そういう神経質な生活が更に大腸を刺激する…ガスが生産されまくるのだ。

 

 予備校に通う私は。

 トイレに関してはかなり神経質になっていた。

 とにかく、ガスが大腸に溜まらないように。便秘にはなれなかった。

 だから食生活にも気を配っていた。食物繊維を摂りすぎない程度に摂り、乳酸菌なんかの整腸作用のあるものを進んで摂取していた。

 なんなら。某●ントレックス…あのフランスの硬水をガブガブ飲んでいた。

 だが。私の努力は実らなかった。

 何をどうしても。腹はガスでパンパンになる。

 それも外で生活しているときに限って。家にいる時は容赦なく屁を出来るし、大腸の調子も良いのである。

 

 私は。あまり真面目な予備校生ではなかった。

 授業には出ていたが。授業がなければ梅田うめだの街を散策して時間を潰していた。

 だが。私は過敏性腸炎なのである。

 街ブラの最中だってガスは大腸の中に満ちる。

 だからか。私は梅田の街の綺麗なトイレに詳しくなってしまった。

 …梅田のトイレ。汚いところはかなり汚いのである。

 

 私の予備校生活は。最低のカタチで幕切れすることになる。

 それは私が。センター試験…今は共通テストっていうんだっけ?をブッチしたからである。そしてその後に続く私大の入試もサボってしまった。

 

 私は。19から21までを引きこもって生活した。

 その間、外に出ることはなかったので、過敏性腸炎に煩わされる事はなかった…

 

 21の時。

 私は某団体と関わるようになり。自宅から出た。

 某団体が運営する引きこもり専門の寮に入寮したからである。

 この頃、私は気付いた。過敏性腸炎がいつの間にか治っている、と。

 …治るなら。思春期の頃に治って欲しかった。

 あの頃に治っていれば。人生はもっと違うモノになっていたハズだからである。

 まあ?今更何を言っても思っても遅い。

 とにもかくにも寮での共同生活に慣れるしかない。

 

 引きこもり専門施設の寮は。

 大きな一軒家で。そこに6名程度が暮らしていた。

 大きな家だったので。屁をしようがそこまで響かない。

 それに私の大腸は正常に戻っていたので、もうガスなんかに煩わされる事は無くなったのだ…

 

 そこから。

 私は寮で2年を過ごし、その間にパートに出たり就職活動をしたりして。

 寮を出る頃には社会人だった。

 大腸の様子は―うん、少し過敏だけど、過敏性腸炎は再発していない。

 こうして。私とガスをめぐる戦いは終わったのである。

 思えば長い戦いだった。思春期と成人するまでをガス、屁のせいで棒に振ったのである。

 

 ここまでの戦いを読んできた貴方あなたはどう思うのだろうか?

 …馬鹿らしい、と一蹴するだろう。

 ガスが大腸に満ちようが、スカしっ屁が出来れば。体の外に逃がせるじゃないか―

 こう、私をなじるであろう。

 だが。なんども言うように。私はスカしっ屁が出来ない。

 それは体質的なモノではない。単純にスカしっ屁が出来ないのだ。

 

 …皆さんに問いたい。

 スカしっ屁って、どうやるんですかね?

 私は。スカしっ屁の練習をした事がある。思春期の頃だ。

 だが。どうしても屁をすれば音が出たモノである。何ならが出かけた。

 

 今の私は。

 特に大腸の不調で苦しんでいない。

 そして、家から出かける前に大腸の中身を全部絞り出すようにしているので、出掛けで屁をしたくなる事は皆無に近い。

 もし、屁がしたくなっても。我慢する。

 そして。我慢がし難くなればトイレに行って屁をする。音を出して。

 こういう事をしている限り、私はスカしっ屁を体得する事はないだろう。

 

 私の体は。特に何もないはずだが。

 とにもかくにもスカしっ屁が出来ない。

 これで今まで生活してきてしまった。

 そしてこれからも異常が出たり、過敏性腸炎を再発しない限りはスカしっ屁をする事はないだろう…

 

 

 

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『オナラ戦記〜スカしっ屁ができない〜』 小田舵木 @odakajiki

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