第45話「闇より深き暗闇に」

 ここは〈協会〉が保有するこちら側の世界での活動拠点のうちの一つ。廃ビル内部に密かに用意された魔術工房だ。フロアが丸ごとぶち抜かれているためか、小さな明かりが灯っていても外からは気付かれにくい。魔術による偽装と隠蔽も施されているので、一般人どころか他の魔術師でもこの場所を認識するのは難しいだろう。

 この工房では、何人もの魔術師たちが日々情報収集に当たっている。こちらの世界の文明や常識、魔術や科学、そして――聖女の行方。

 本来であれば、彼らが先行して聖女の確保に動き出すはずだったのだが――。


「クライスの奴……独断で動いたうえに私の部下を何人も使い潰しおって。挙句の果てに、こちらの魔術師に敗北し命を落とすとは……〈協会〉の恥さらしめ」

「ふん、所詮は野犬上がりだ。しつけがなっていないのは仕方なかろう」


 クライスとは別の派閥の彼らにとって、今回の彼の行動は目に余るものだった。現地の魔術師を敵に回し、警戒させるだけさせて戦力を浪費したのだ。大失態もいいところである。


「野犬らしい最後じゃないか。犬死なんて」

「はっはっは。まあそう言うな。おかげで我らは労せずして、聖女の奪還に動き出せるというもの」


 長髪の魔術師が杖を手にする。それにならって、ほかの魔術師たちも各々の杖を手に取った。

 全員右手の中指に同じ指輪をはめている。


『我らが世界樹に“祝福”を』

『我らの未来に“豊穣”を』


 杖を胸の前で掲げて魔術師たちが斉唱する。

 〈協会〉に大義あり。

 メルセイムに真理あり。

 彼らの信仰心は曇らない。

 全ては世界を存続させるため。

 人ひとりの命を天秤にかける作業は、当の昔にやり尽くした。

 命の選定に躊躇いは不要。

 これは救済のために必要な作業の一工程なのだから。

 だからこそ、彼らは過去の罪を顧みない。

 どれだけ人の道理から外れようとも、彼らは常に同じ選択をする。

 ――己が世界の存続のために。


「ぎゃぁああああああああああああああ!」

「――⁉」


 突如として暗闇に響き渡る断末魔のような絶叫に、魔術師たちは慌てふためく。


「どうした! 何があった⁉」

「今の声……ナタリヤか⁉」

「へぇー、この人ナタリヤっていうんだ。魔力量はまぁまぁかな。でも質がイマイチ。まあ、下っ端の魔術師なんてこんなもんか」

「貴様――こちらの魔術師かッ!」


 つかつかと足音を鳴らして歩いてくる人影。陰に沈んだその姿が部屋の明かりによって照らし出されると、魔術師たちは目を見開いた。

 その人影は、年若い少年だった。パーカーを着てフードを被っているため顔はわからないが、身長は一五〇センチちょっと。小柄で手足も短く、着ている服も現代人のそれであるため、魔術師たちは子どもが迷い込んできてしまったのではないか、と一瞬本気で考えてしまった。


 そんなはずはない。

 魔術師以外が偶然この場所を訪れる可能性はゼロである。

 しかし、その一瞬の逡巡が命を取りこぼす絶望的なタイムロスを生んだ。


「問い質す暇があったらまず拘束するべきでしょ。こうやってさ――《影の鎖シャドウ・バインド》」

「なに……っ⁉」


 少年の足元の影が伸びて魔術師たちを拘束する。何人かは杖を落とし、口を塞がれ、抵抗する手段を奪われた。

 鮮やかな一手だ。一瞬で複数の魔術師たちを無力化した。

 だが、〈協会〉の魔術師がそう簡単にやられるわけにはいかない。

 影の捕縛を回避した唯一の魔術師は、杖を構えて魔力を練り上げる。


「子どもだからと容赦はせんぞ! 《爆ぜよ、炎の炉ブラスト・ファーネス》!」


 顔に傷のある魔術師の杖の先に火球が形成され、少年に向かって放たれた。

 放たれた火球は少年の頭上で爆ぜ、炎の波がマグマのように少年を飲み込むと再び爆ぜた。

 ビルを揺らすほどの爆音と、炎の拡散による光の飽和。

 魔術師は確かな手ごたえを感じてやったか、と喜んだが、煙が晴れるとすぐに表情から喜びの感情が消え失せた。

 少年は無傷だった。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、先ほどまでと何も変わらぬ状態で立っていた。

 代わりに、少年に盾にされた仲間の魔術師たちが黒焦げになっていた。

 影で縛られたまま少年の前へ配置された魔術師たちは、声を上げることもできず、文字通り肉の壁となって肉を焦がし、内臓を焼かれ、そのまま息絶えた。


「仲間にまで容赦しないだなんて、酷い人だなあ」

「き、貴様ぁあああああああッ!!」


 怒り狂った〈協会〉の魔術師が、全身全霊で魔術を放とうとする。

 けれど、背後から伸びる影に気付くことができず、彼もあっけなく捕縛されてしまった。

 影は信じられない力で彼を縛り上げると、


――ボキッ。


 っと、あきれるくらにあっさりと彼の両腕の骨を折った。


「――がぁああああああああああああああ!!⁉」

「あ、力加減間違えちゃった。まいっか。どうせあとで治せばいいんだし」


 少年はまるで人形で遊んでいるかのような感覚で、魔術師を弄んだ。


「き、きさまぁ……一体、何が目的だ……ッ!」

「教えないよ。だって君たちは、僕にとってただの“ストック”なんだから」


 拘束された魔術師たちは、ずぶずぶと沼に沈んでいくかのように。全員足元の影に飲み込まれていく。


「ちょっと苦しいと思うけど、我慢してね。それとも介錯して欲しい?」


 魔術師に顔を寄せて、少年はケラケラとあざける。

 魔術師は激怒し体をよじるが、骨折の痛みで力が入らない。影の捕縛を抜け出すことができない。

 唯一自由な口を動かして、少年に怒りと憎しみを叩きつける。


「〈協会〉に楯突いたこと、必ずや後悔することに――……」


 ――とぷん。


 魔術師は最後まで言い切ることなく、闇の中へと沈んでいった。

 再び室内は静寂に包まれ、少年の声だけが妖しく響く。


「――後悔だって? 後悔するのは僕じゃなくて君たちだろうに……向こうの奴らはどうしてこうも傲慢で頭が悪いんだか」


 少年は呆れたようにため息をつく。


「まあいいか。“ストック”は着実に増えてきてる。もう少し……あと少しで準備が整う。そうすればあの世界を……ん? これは……」


 少年は机の上に無造作に置かれているいくつかの写真に気付いた。その中から、一枚の写真を手に取った。

 その写真には、二人の兄妹が手をつないで歩いている姿が写っていた。


「何も知らずに楽しそうに……。といつまで家族ごっこを続けるつもりなんだろう。ま、それもあと少しの間だけだ。もうすぐ迎えに行くから待っててね、哀れな聖女ちゃん」


 少年は写真を真っ二つに破り捨てると、闇の中へ舞い戻るかのように歩き去っていった。

 あとに残ったのは、おびただしい量の血だまりと焦げた肉片。

 誰もいなくなった空間で、灰色の扉のノブがゆっくりと回る。

 一部始終を隣の部屋から見ていたひとりの少女が、おそるおそる顔を出した。


「……いやー、ヤバすぎでしょ。どーしよ、あれ」


 部屋から出てきた少女、フラートは幸か不幸か、またしてもひとり生き延びてしまって。

 さて、これからどうしたものか……と、ぎこちなく笑うしかなかった。

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救世の聖女と贖罪の魔術師 ~異世界召喚はお断りします。~ 春待みづき @harumachi-miduki

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