第44話「黄昏時に休息を」
結界内から戻ってみれば、現実では一時間ほどしか経っていなかった。
《隔絶結界》は空間を切り取ったもの。時間の流れは現実のものとは異なる、と話には聞いていた悠真だったが、あれだけボロボロだったはずの建物が無傷な様子を目の当たりにすると、さすがに言葉が出ない。
ぶるっ、とポケットの中のスマホが震えた。
画面を見ると、そこには未読のまま放置された八尋からの大量のトークと、不在着信の履歴が表示されていた。
『荷物置きっぱなしでどこ行ったの?』
『ちょっと』
『おーい』
『私もう帰るわよ』
居場所を尋ねる内容と、早く戻ってこいという催促のあと、フードコートに置き去りにされた荷物の写真が添付されている。
悠真はすぐにフードコートへ戻ろうとしたが、隣に立つフィルフィーネや沙希たちの状態を思い出した。
建物は直っても、受けた傷まで無かったことにはならない。
血を流し、穴の開いた服を着たままのフィルフィーネを連れて、八尋の元に戻っては余計な心配をさせてしまう。
……というか、絶対めんどくさいことになるっ。
悠真はフィルフィーネと沙希を先に家に帰らせることにして、一人で荷物を回収しにフードコートへと戻った。
悠真も十分ボロボロではあったが、フィルフィーネたちよりは幾分マシだ。それに、八尋を荷物番させたまま一時間も待たせている。
これ以上文句は言っていられなかった。
全力疾走で現れた悠真に対し、
「……遅いっ! どこ行ってたの……っていうか、何してたらそんなことになるのよ?」
八尋は怪訝な顔で、そう尋ねた。
まさか、異世界の魔術師と戦ってた、などと言えるはずがない。
ひとまず、買い物中に沙希が体調を崩したから、フィルフィーネと一緒に先に帰らせた、と言って誤魔化すことにした。
……まるっきり嘘というわけでもないしな……。
結界が解けて元の空間に戻ってくると、沙希はすぐに眠ってしまっていた。
緊張の糸が解けたのだろう。悠真がいくら声をかけても、目を覚ますことはなかった。
フィルフィーネと沙希が帰った後、澪依奈もすぐにその場を立ち去った。
「詳しい事情は、後日ゆっくりと聞かせてくださいね」
とだけ、悠真に言い残して。
悠真も澪依奈には聞きたいことが山ほどあるので、この約束は近いうちに果たされるだろう。
大量の荷物を一人で抱えた悠真が、へとへとになって帰宅したころには、太陽は半分地平線に沈んでいたのだった。
†
「ただいまー……よいしょっと」
玄関でそのままばたりと倒れてしまいたくなるのをぐっと我慢して、悠真はひとまずリビングに買った品物を置いた。
……帰ってくる前に薬局によって、包帯や絆創膏を買い足していたらすっかり遅くなってしまった……。
どうやら母親は外出中のようだ。夕飯までには戻る、とテーブルに書置きがあった。
沙希とフィルフィーネは二階だろうか。
「何ともないといいんだが……ん?」
階段を上って、沙希の部屋の前まで行くと、ドアが少し開いていた。
そーっとドアを開けると、そこにはベッドですやすやと寝ている沙希と、その傍らで沙希の手を握ったまま、上半身をベッドに預けた体勢で眠るフィルフィーネの姿があった。
どうやら、沙希をベッドに寝かせたあと、そのまま一緒に眠ってしまったようだ。
「まったく……風邪引いちまうぞ」
悠真は沙希の布団をかけなおしてから、自分の部屋から毛布を持ってくると、フィルフィーネの肩にそっとかけてあげた。
疲れ果てて眠るフィルフィーネは、どこか幸せそうな表情を浮かべているように見えた。
そっと、起こさないようにフィルフィーネの頭を優しく撫でる。
「……やっぱり、綺麗だな……」
「んあっ」
「――っ⁉」
悠真は沙希の声に驚いて背筋を伸ばすと、フィルフィーネから素早く距離を取った。
「さささ、沙希っ、これはちが――」
「んー……わたしも、異世界にいくぅ……ぐぅ」
「……はぁー。どんな寝言だよ……」
ため息をついて、元気そうな妹の様子に苦笑する悠真。
……あれ、俺なんで今、ちょっと安心したんだ?
彼は胸の内にあるもやっとした何かについて考えようとしたが、すぐにやめた。
今はただ、この穏やかな時間がもう少しだけ続いてくれればそれでいい。
「おやすみ」
悠真はそっと、部屋を出ていくのだった。
†
夕日が差し込む部屋に、聞こえる寝息は一つだけだ。
「………………はぁ。何やってんの、私」
フィルフィーネは、悠真が部屋に入ってきた時点で目が覚めていた。
……意識がはっきりとした頃には、ユーマが部屋に入って来てて、それでなんとなく起きるに起きられなくて。気付いたら布団をかけてくれてたから、お礼を言おうと思って、それで……。
――やっぱり、綺麗だな。
「…………っ!」
悠真の声が頭の中でリフレインする。
綺麗だと、そう言われた。
誰が? 自分がだ。
フィルフィーネは、悠真に撫でられた頭部を、自分で同じように撫でながら、
「……えぇ……なんなのよ、これ……っ」
夕日と同じくらい、顔を真っ赤に染めあげて、ひとり静かに悶え続けたのだった。
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