第43話「決着とお別れ」

 凄まじい衝撃に、悠真たちは立っていることができず、その場にうずくまって耐えていた。

 広場に設置してある大型のモニターは画面が砕け、瓦礫と一緒に崩れ落ちた。

 ほとんどすべてのガラスが割れ、天井の照明が電源コードを命綱のようにしてぶら下がっている。

 悠真は薄目を開けて沙希たちを探す。

 柱のすぐそばに沙希をかばいながらしゃがんでいる澪依奈を見つけ、慌てて駆け寄った。


「沙希、鷹嘴、大丈夫か!」

「ごほっ、げほ……な、なんとか~……」

「氷で壁を作り衝撃を緩和したので、沙希さんも私も無事ですよ」

「ありがとうございます、鷹嘴先輩。おかげで助かりました」


 どういたしまして、と笑った後、すぐに澪依奈の表情が険しくなる。


「藤代くん、フィルフィーネさんは――」

「フィーネなら、多分大丈夫」


 悠真が目を向けた先、広場の中心付近の煙が晴れる。

 そこには倒れたクライスに槍を突き立てたまま膝を付く、フィルフィーネの姿があった。


「はぁっ……はぁっ……ぐっ!」

「フィーネ!」


 悠真は崩れた床に足を取られながら、フィルフィーネの元へ走った。



 クライスは槍に腹部を貫かれ、口から血を流して横たわっていた。手足はだらんと力無く垂れ下がっている。

 ――ピシッ。

 グングニィールの亀裂が全体に広がっていくと、ガラスが割れたような音と共に砕けて消えてしまった。

 役目を終えた武器に、フィルフィーネは感謝の言葉を口にする。


「……ありがとう、シオリ……あ」


 魔力を消費しすぎたせいか、ぐらりとフィルフィーネが倒れそうになる。


「――っとと、間に合った……! 大丈夫か、フィーネ」

「ゆ、ユーマ……」


 倒れる直前、ユーマがフィルフィーネの腕を掴み引き寄せた。

 そのまま腕を肩へ回して体を支えると、フィルフィーネは照れくさそうに笑った。

「あ、ありがとう……」

「お礼を言うのはこっちのほうだ。やったな、フィーネ」

「ううん。私一人の力じゃないもの。ユーマとサキ、レイナにも力を貸してもらったし、それに……ふふ」

「な、なんだよ。突然笑ったりして」

「いいえ……私は一人じゃないんだなぁって、改めて思っただけよ」

「……?」


 くすくすと笑うフィルフィーネに、悠真は首を傾げた。

 とにかくお互い無事でよかった、と伝えようとした時。


「がはっ……アー、つまんねェー最後だなァ……」


 クライスはまだ生きていた。

 すでに魔力は使い果たしている。失血も多い。だというのに、相も変わらず軽口が喉を通って流れ出てくる。


「どうして――」

「……あァ?」

「どうして、こんな無駄なことをしたの……聖女を連れ帰るだけなら、もっと他に方法があったはずよ。なのに、どうして……」


 ――こんなに手の込んだ大仕掛けを用意したのか。


 最初からクライスとフラートが二人がかりで沙希を狙っていたら、守り切れなかったかもしれない。クライスがメルセイムへの《転移門ゲート》を用意した上で戦闘を仕掛けてきていたら、悠真たちが反攻に出るチャンスすらなかったかもしれない。

 そうはしなかったクライスを、フィルフィーネはずっと疑問に思っていた。

 〈協会〉の人間は任務最優先。世界のために、己の命を投げ打つのが当たり前――。

 ……そのはずなのに、この男はどうして、こんなになってまで……。


「決まってンだろ、そんなもん」


 クライスは口から血を吐きながら、にやりと笑う。


「……オレが、面白くねェからだ」

「――え?」


 フィルフィーネは唖然とした。

 悠真も怪訝けげんな顔をして、クライスの顔を見つめていた。


「聖女の奪還だとか、世界の救済だとか……オレァそんなこと、はなっからどうでもよかったのさ。アイツの命令も、気に食わなかったしなァ」


 ごほっ、げほっと、クライスがせき込む。

 腹に穴が開いてなお、クライスは喋り続ける。

 残された命の火を、すべて費やすように。


「……ハァ、ハァ……〈協会〉に歯向かったところで、どうせ処分されちまう……だったら、死ぬ前に最後くらい、オレの好きにしたっていいとは、思わねェか?」


 嘘偽りなく、クライスは本心を語った。

 手の内を晒し、全てをやり切った彼にもはや隠すものなど何もない。

 好きなように仕事をして、そのうえで任務を果たせば万々歳。たとえ失敗したところで、やりたいことはやり切ったので問題なし。

 クライスのやったことは、自己満足の極みだった。


「――だったら勝手に死ねよ」

「ユーマ……?」


 しかしそれは、彼の勝手な都合でしかない。

 加害者側の彼らの理屈は、被害者側には関係がない。


「そんなふざけた理由でわざわざ俺たちを巻き込んで、沙希の命まで狙って……っ。お前の命一つなんて、なんにも釣り合ってないだろうがよッ!!」


 メルセイムの事情も、〈協会〉の任務も、クライスの思惑も、何もかも知ったことではない。

 沙希を危険に晒し、泣かせた。

 それだけで、悠真がクライスを憎むには十分過ぎた。


「当たり前だろ、そんなこと。命が等価値なワケねェんだからな」


 クライスは吐き捨てるように言う。


「聖女の嬢ちゃんや『送り人』の命が、その辺のザコと同じだと、お前は思うのか? 親しい身内と、赤の他人の命の重さが同じだと、お前は思ってンのか?」

「………………っ」

「オレァ、オレの命が一番大事だ。だからオレは、オレがやりてェことをやる。そんだけだ……」


 饒舌に語るクライスに反論できず、悠真は拳を握り固めた。

 この拳を振り下ろすべき相手は、もう長くない。

 やるせない感情の処理に戸惑っていると、後ろから足音がした。


「なに言っても無駄だよ。クラっちはそういう人だから。ヒトの命なんて、自分の人生のために使い道があるかないでしか考えてないんだから」


 いつの間にやら、悠真のすぐ側にフラートが立っていた。

 ……全く気付かなかった。

 悠真は少し身構えたが、フラートは悠真やフィルフィーネには目もくれない。

 負傷した右腕をおさえながら、上司であり、保護者でもあるクライスを見下ろしていた。


「……ホントバカ。だからあれだけ、最初から聖女ちゃんだけ狙おうよって言ったのにさ。演出だのなんだの言って、変にこだわっって……それで負けてちゃ世話ないっつーの」

「ギャハハ。否定、できねーなァ」

「でも――」


 フラートは、今にも泣きそうな顔をしていたが、ぐっと堪えて、唇を噛んだ。


「楽しかったよ、クラっち。やってることはサイテーだったけどね」


 満面の笑みで、クライスに向けて最後の言葉を送った。

 クライスは目を見開いて少し驚いた後、いつものように大口を開けて、ギザギザの歯を見せながら、


「……さすがオレ様、だろ?」


 と、憎たらしいほどの笑顔のまま、目を閉じて眠った。

 最後の魔術をきっかけに、ついに肉体が限界を迎えたようだ。

 『灰白症』におかされた人間は死後、白い灰となって全身が崩れ落ちる。


 クライスという魔術師が生きていた痕跡は、もうどこにもなかった。


 術師本人が死んだことで、《隔絶結界》が崩壊を始め、空間に亀裂が入り始めた。

 フィルフィーネは悠真に支えられたまま、残された白い灰をじっと見つめていた。

 ほとんど接点はなかったが、少し前まで同じ組織に所属していた、同僚のような相手を手にかけたのだ。無感情ではいられないだろう。


 ……何を今更。わかっていたことでしょ。〈協会〉の敵になるってことは、こういうことだって……。


 話したことはほとんどないし、一緒の任務についたことだって一度もない。

 だというのに、胸に残ったしこりのようなものが、フィルフィーネの心を締め付けていた。


「……っざけんな……」

「ユーマ……?」


 そんな彼女の横で、悠真はなおも怒りに震え、握った拳からは血が滴り落ちていた。

 喉が裂けるほど声を張って、灰になった悪人を罵倒する。


「ふざけんなっ! 一人でやり切った顔して、仲間に見送られて満足そうに逝きやがって……なんでお前だけ幸せそうにしてんだよッ!!」


 クライスへの悪態は止まらない。

 抱えていたものを全て吐き出すように、悠真の怒号が建物内に響き渡る。


「これからも沙希は〈協会〉の魔術師に狙われる。得体の知れない連中が、別の世界からやってきて、ずっと自分の命を狙ってくるんだぞ? 俺は一体、沙希になんて声を掛けてやればいいんだよ……」

「ユーマ……」


 ――大丈夫、俺が守ってやるから。


今まで何度も口にしてきた。

実際、沙希のことを一番近くで見守って来たのは悠真だ。

でも、これから先、本当に守ってあげられる保証はない。

悠真より強い敵など、きっとメルセイムにはいくらでもいるのだから。


……そうだ、お前らが悪いんだ。お前らが、こっちの世界にやって来るから……!


「聖女なんて知るかよ。お前らの世界の問題を、俺たちに押し付けてくるんじゃねえよ! 異世界なんて、勝手に滅びちまえばいいんだ――!!」

「ユーマっ……!」


 フィルフィーネが悠真を抱きしめる。


「私が必ず、あなたたちを守るわ。どんな相手でも、私が命に代えても守ってみせるから……だから、大丈夫」

「……フィーネ」


 フィルフィーネの体温を感じ、悠真はゆっくりと我に返った。

 全てを許すことは到底できないが、少なくとも、今回助かったのはフィルフィーネのおかげだ。

 悠真は深呼吸をしてから、握りしめていた拳をほどいた。


「……ごめん。俺、フィーネの前であんなこと言っちまって……かっこ悪いとこ見せちまったよな」

「気にしないで。だって、サキのことを思って言ったんでしょ? ユーマは本当に、やさしいお兄ちゃんね」

「……っ、そ、そんなことは……!」


 ユーマが照れくさそうにフィルフィーネから視線をそらすと、フラートが茶化すように口笛を吹いた。


「ひゅー。お兄ちゃん、ちょっと照れてない? てかいつまで抱きついてるの?」


 フラートに茶化されて、フィルフィーネは顔を赤くしながらすぐに悠真から離れた。


「照れてない。……っていうか、お前は敵だろ。なんでそんな馴れ馴れしいんだよ」

「いいじゃんいいじゃん、細かいことはさ。あたし、お兄ちゃんのことも聖女ちゃんのことも好きになっちゃったかも」

「はぁ?」


 フラートが悠真の腕に抱きついた。

 兄に甘える妹のように、上目づかいで悠真の顔を覗き込む。


「意外と度胸があって、おもしろい魔術も使えて、しかも妹想い。それに、よく見ると結構カッコイイしさ。だからこれからは仲良くしようよ、ね?」

「ちょっ、なにを勝手にっ……!」


 ……ついさっきまでこっちを殺そうとしてたくせに……!

 まだまだ成長中の胸の柔らかさを感じて、悠真は反射的に体をよじった。

 視界にちらりとはだけた胸元が見えてしまい、思わずどきっとした――。


「離れなさいフラート!」


 フィルフィーネが悠真とフラートを引き剥がそうと、フラートとは逆の腕を抱き寄せた。

 フラートは不服そうにしながらも、なぜかにやにやしている。


「えー。『送り人』さんには関係なくないですかー?」

「か、関係あるから! えぇっと……ゆ、ユーマに何かあったらサキが悲しむから! そういうことよ!」

「あーはいはい、わかったわかった。そういうことにしといてあげる。必死すぎて逆に引くっつーの」


 フラートはくるりと踵を返すと、背中越し悠真たちに話をし始めた。


「今回のお詫びに、お兄ちゃんに一つ教えておいてあげる。聖女ちゃんを召喚する魔術は多分、当分は使えないと思う。元々数人がかりで魔力を溜めて使うような大規模魔術だし、私たちがこっちの世界に来る前に〈協会〉の内部でも色々とあったみたい。『送り人』ちゃんが抜けたってのも、何か関係してるんじゃないかな。だから私たちが実働部隊として送られたわけだし」

「そうなのか……。というか、全然一つじゃなくないか」

「あ、ホントだ。まあ、そこはサービスってことで」


 フラートはぺろっと舌を出す。

 ……貴重な情報だが、どこまで信用していいものやら。

 悠真がそんな風に考えていると、少し離れた場所で話を聞いていた沙希がフラートに尋ねた。


「フラートちゃんは、これからどうするの?」

「うーん、どうしよっかなー。『送り人』さんにやられたみんなはさっさと帰っちゃったみたいだけど、あたしは一人で帰ったらどうせ怒られちゃうし。いっそのこと、あたしもお兄ちゃんの家にお世話になっちゃおうかな~……ちらり」


 効果音を口にしながら悠真を上目づかいで見るフラート。


「冗談言うな。ダメに決まってるだろ。いいからさっさと帰れ。二度とこっちの世界に来るんじゃないぞ」

「ぶー、お兄ちゃん冷たーい」


 しっしっと手を払う悠真に対し、フラートは残念そうに苦笑して――。


「……あんまり冗談でもないんだけどなぁ」

「え?」

「なーんでもない。ん、そろそろ時間みたいだね」


 亀裂の入った結界は、もうすぐ砕けてしまう。

 鱗が剥がれ落ちるように、空間が割れていく。


「それじゃまたね、お兄ちゃん、聖女ちゃん。お姉さんも……次は負けないから」

「その時はまた返り討ちにしてあげますね」

「……ほんっと、大人げなくてムカつく!」


 フラートは、あっかんべーと舌を出して、悠真たちに背を向けた。

 ひらひらと手を振りながら歩く背を見送っているうちに結界が解け、悠真たちは元の空間へと戻された。

 突然『オール・モール』の雑踏の中に現れた、傷だらけの悠真たちに人々がざわめく。


 フラートの姿は、人混みに紛れて消えてしまっていた。

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