第42話「託されたもの」

 時間にしてほんの数秒の間、突如として発生した強烈な光に誰もが目を閉じた。

 自分が今どこに立っているのかも曖昧になるほどの光は、やがて静かに収束した。


「クソっ、一体なにがどうなって……あァ?」 


 最も至近距離で光を直視したクライスはおそるおそおるといった様子で薄目を開ける。

 光が収まってなおぼやけた視界の中、ついさっきまでそこにいたはずの少年を探した。

 目にばかり頼ってはいられない、と魔力を探る。

 そこでようやく気が付いた。

 あるはずのものが、消え失せていることに。


「……おい、こいつはなんの冗談だ? オレの『貪婪なる蛇』はどこに行きやがった⁉」


 六つ首の大蛇が、忽然と姿を消していた。

 ほんの数秒前までは、たしかにそこにいたはずなのに。

 誰かに倒されたような痕跡はない。

 ただ管理者であるクライスとの契約が、魔力のパスが生きていることだけは確かだ。

 その糸を――存在の証拠を視線で追う。

 細い糸を手繰り寄せたその先で、首を垂れて佇む少年の姿が目に入ると、刻印魔術師の表情はまたしても一変する。


「おいボウズ。そいつは一体、どういうことだァ…?」

「どうもなにも、これが答えだよ」


 悠真が握っていたのは、一本の槍だった。

 槍には似つかわしくない大きな刃。

 大木の幹を思わせる堅牢な柄。

 蛇革模様の装飾に、赤と緑の独特な色見が刺激的な神秘の異物。

 刻まれた琥珀色の模様が淡く光る。まるで脈動しているかのようだ。どくん、どくんと光るたびに、獰猛な魔力が涎のように槍から滴る。


「お、お兄ちゃん、だよね? なんかいつもと雰囲気が違うけど」

「あれは、『貪婪なる蛇』と同じ魔力反応……まさか、藤代くんが……?」 


 その槍は、とある神話において、世界樹の枝から造られたとされる伝説の槍を模していた。

 現代における空想上の代物を、異世界に実在する大樹を土台に似せて造られた贋作――。


 ――『偽装・神槍グングニィール』。


 倒れていたフィルフィーネは、起き上がって目をしばたたく。

 不思議と目頭が熱くなった。

 ……あんな槍、見たことないはずなのに……どうして、こんなにも懐かしい感じがするの……。


 槍の矛先をクライスへ向けて、悠真は啖呵を切る。


「お前のペットならここにいるぞ、クライス」

「クッソガキがァ……ッ!」


 激高したクライスは、血がにじむほど拳を握り固める。

 『貪婪なる蛇』を奪った悠真を殴るために、地面を蹴って接近する。


「テメェは一発ぶん殴って、手足を潰してぐちゃぐちゃにして、からすどもの餌にでもしてやるよォッ!」

「……ふぅー。……っ!」


 悠真は一度大きく息を吐いて、グングニィールを構える。

 槍の扱いを知らない悠真は、長い柄を両手で握って剣のように振りかぶった。

 高速で接近してくるクライスに対し、タイミングを見計らうような真似はしない。

 ただ思いっきり、この槍を振るうだけでいいから。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 悠真が全力で槍を振り降ろすと、魔力の奔流が衝撃波となって放たれた。

 今まで『貪婪なる蛇』が体内に溜め込んでいた魔力を、ただ力任せに放出しただけ。

 それだけなのに、クライスはそれ以上近寄ることもできず、津波のような魔力の波に吹き飛ばされてしまう。


「ぐっ! ……舐めたマネをッ!」


 ……なんて雑な魔力の使い方だ。なんの属性付与も形成もされてねェ。ただバケツに溜まった水をぶちまけただけじゃねェかッ!

 戸惑いと苛立ちにクライスが舌打ちをする。


 悠真は槍を振り降ろした態勢のまま、震える両手を気合で抑えつけながら、肩で息をしていた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!」


 ……たった一回、振っただけで……こんなにっ、しんどいなんて……!

 魔術師として初めての戦闘の連続に、悠真の体は疲弊が蓄積している。

 そんな状態で、贋作とはいえ神秘を内包した武器を振るったのだ。体への負荷は計り知れない。

 もう槍を握る手に、力はほとんど残っていなかった。

 グングニィールにも、すでにいくつか亀裂が走っている。

 《改竄オールター》で造った贋作では、攻撃の反動に本体が耐えられない。このままでは、無理やり貼りつけた術式もすぐに剥がれ、崩れてしまう。

 あと一度振るえば、槍としての形を保てなくなるだろう。

 悠真はそれらをすべてわかったうえで、託すために、この槍を造った。

 自分が生まれた世界よりも沙希を選ぶと言ってくれた――彼女のために。


「――受け取れ、フィーネ!」


 悠真が槍をフィルフィーネに向かって投げる。

 だが、力が入らず、槍はうまく飛ばなかった。フィルフィーネのところにまで届きそうにない。


「……あ、あれ?」

「もうっ、何やってるのよ!」


 ヘロヘロとした軌道の槍を、フィルフィーネが走ってキャッチしに行く。


「――――これはっ!」


 槍を掴んだ瞬間、驚くほど手になじんだ。

 長年振るって来た師匠の槍と同様か、あるいはそれ以上に――。

 まるで、何年も修羅場を共にくぐり抜けて来た相棒と、久しぶりに再会したかのような安心感があった。

 ……不思議。この槍なら、誰にも負ける気がしない。

 身体の中から活力が湧き上がってくる。

 体の疲労も、魔力の消耗も、何もかも忘れ去ってしまうくらいに。


「決着をつけてこい!」

「任せなさい!」


 悠真のげきに応え、フィルフィーネは風のように駆け出した。


 一歩足を踏み出す度に、一つ心臓が高鳴った。

 走る。走る。ひた走る。一秒でも早く、高く跳ぶために。

 これはただの突進ではない。

 助走だ。

 必殺の一撃を放つ、そのための前準備だ。


「ちょっと武器が強くなったからって粋がりやがって……! そのふざけた槍ごとぶっ潰してやるよォッ!!」

 

 クライスは両の手を上へ向けると、シャワーのように水を撒き散らした。

 フィルフィーネの頭上に散布された水は、霧状となって空気を湿らせる。

 ぽとっ、ぽとっ、と水滴が肌を濡らすのと同時に、彼女の直感が警報を鳴らす。

 ……圧力を操るあいつにとって、水は“弾丸”と同じようなもの……!


「風穴開いちまいなァ! ――《錐雨ライ・レイン》!」


 バラまかれた水滴一つ一つに、下方向の圧力が加わり、超高速で降り注ぐ。

 横殴りの雨ならぬ、地を穿つ弾丸の雨だ。


「ああああ……っ!」


 細く小さな雨粒が、幾千もの針の雨となってフィルフィーネの体に突き刺さる。

 一つ一つの威力は大したことはない。彼女の着ている服に付与されている防護魔術で十分に防げる程度だ。

 だが、とにかく数が多く、しかも細かい。

 服の繊維の隙間から肌に突き刺さる鋭い痛みは、フィルフィーネの動きを鈍らせるのに十分だった。

 ほんの少し、走る速度を緩めてしまった彼女へと、クライスが王手をかける。


「押し並べて箱庭と為せ! ――《縮退方陣パンク・スクエア》!」


 速度と威力を増すための簡易詠唱ショートカット

 狙いはフィルフィーネ――ではなく、彼女の周囲の空間だ。

 クライスは周囲の大気ごと、フィルフィーネを圧殺しようとしているのだ。


 《滅壊カル・クラッシュ》は一方向のみに特化した加圧魔術で、基本的に壁や地面がある場所でしか有効に作用しなという欠点がある。


 対してこの《縮退方陣》は、特定の座標を起点として、全方位から均等に加圧する魔術だ。

 魔術による《圧縮》と違い、これは単なる力技だ。

 圧し潰された空気は対象の動きを阻害し、呼吸も困難にする。そのまま抵抗しなければぺしゃんこになるか、呼吸ができなくなって気絶……死亡してしまう。


 圧縮するにつれて、徐々に圧力の強度を高める分、魔力の消費も術式の演算処理も信じられないぐらい負荷がかかる。


「があっ……オオオオオオッ……!」


 クライスは頭の中の血管がいくつか千切れてしまったことを自覚しながら、フィルフィーネを大気の檻ごと握り潰そうとしている。

 もはや前進も後退もできない。

 生き残る術は、この空気の壁に穴を穿つ他にない。

 フィルフィーネは残された空気を肺に取り込んで、起死回生の詠唱をする。


「――ウィル・ヴァレ・ティット……っ。夜天に咲いて! 《光華ブリランテ》!」


 ――瞬間、フィルフィーネが自爆した。


「はあァ⁉」


 自身の前方の空間を爆発させ、大気の檻に文字通り風穴を開けたのだ。

 至近距離での爆発に臆することなく、フィルフィーネは自爆覚悟で爆炎の中を突っ切った。減速した足に力を入れて、再び加速させる。

 ……くそッ、もう一度……っ⁉

 疾走する『送り人』をもう一度捉えようとするが、一度スピードに乗った彼女を捕まえることは至難の業だ。

 クライスの追撃が無いことを察して、フィルフィーネが方向を転換する。

 クライスに……ではなく、近くの壁に向かって直進すると、三角飛びの要領で壁を蹴って二階、三階へと跳び上がっていく。


 ……多分、《滅壊》は射程距離が限られてる。じゃなきゃ私がユーマを抱えて飛んでいる間や、詠唱しているレイナを直接狙わないワケがない。それでも、あれが強力なことに変わりはないのだけれど、攻略法ならある。

 

 瞬く間に四階の高度に到達すると、吹き抜けの中央で大きく膝を曲げる。

 何もないはずの空中で、風の精霊の力を借りて、確かにそこに在る大気を足場にし、力を溜める。

 まるで重力など存在しないと言わんばかりに、宙に留まりながら地上の目標を見据える。


 ……遠ければ遠いほど威力が落ちるか、そもそも魔術が機能しなくなるのか。どっちにしても……。


真上ここからなら、関係ないでしょ!」


 フィルフィーネは真上から、自分を見上げるクライスを見た。


「チッ……最悪だな」


 《滅壊》は高度な演算処理を必要とするため、距離が遠くなるほど術式の演算が遅延し、出力が落ちてしまう弱点があった。

 付け加えると、クライスは下方向以外への圧力操作が苦手だった。

 苦手といっても、一般人を叩き潰す程度はワケないのだが、今回の相手はただの人間ではない。規格外中の規格外、『送り人』だ。彼女に常識が通用しないことは、彼が一番理解している。


 フィルフィーネが槍に魔力を込める。

 槍の穂先が赤く光り出し、熱を帯びる。膨大な魔力が槍の先端の一点へと収束する。

 色無き世界の中心で、小さな星が赤い輝きを放っている。

 クライスはその輝きに目を焼かれそうになって、思わず目を細めた。

 そして、細めた目を無理やり見開いて――腹の底から吼えた。


「――全力で来やがれッ、『送り人』ォオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 クライスは迷いなく《滅壊》の術式を解除し、ありったけの水弾を形成した。

 刻印魔術の欠点は、一つの魔術の演算処理に長けている一方で、複数の魔術の並列処理には不向きだということ。

 同じ魔術の同時使用が可能な反面、別々の魔術を同時に扱うことはほぼほぼ不可能に近い。

 つまり、《滅壊》と水弾による射撃は同時には行えないのだ。

 だからこそ、クライスは《滅壊》を即座に放棄した。

 ……高高度からの垂直落下と、魔力による推力を掛け合わせた超高速の突撃。《滅壊》で多少落下地点をずらせたところで、余波が致命傷になりかねね。だったら、やることは一つ――。


「――真っ向から撃ち落とすっきゃねェよなァ!」


 クライスは形成した水弾を、全て頭上に集約させる。

 相手が真上から垂直に落ちてくるだけなのだから、その直線上に弾丸を放てばいい。

 空中で落下態勢に入っているフィルフィーネに、これを回避する術はない。

 たとえ仕留め切れずとも、勢いを削ることができれば回避の余地が生まれるかもしれない。


 地上で自身を迎撃するための固定砲台となりつつあるクライスを見て、フィルフィーネは小さく息を吐いた。

 ……関係ない。たとえ私の身体が弾け飛んだとしても、この槍は確実にあいつを貫くわ。


「この地に住まう精霊たちよ。我が意、我がこえ、我が心は汝と共に――」


 フィルフィーネが精霊たちへと語りかけるように唄をうたう。

 その唄には、不思議と胸が弾むような心地よさがあった。

 家族に挨拶するように。

 友人と笑い合うように。

 恋人と触れ合うように。

 視えざる隣人と共に生きてきた、彼女だけに貸し与えられる力。

 かつて大切な人を奪ってしまった力を。

 今度は大切な人を守るための力とする。

 

 ――行こう、フィーちゃん。


「――うん。行くよ、シオリ」


 フィルフィーネは頭の中に響く親友の声に応答した。

 たとえ幻聴だとしても、もう一度彼女の声が聞けたことに心を震わせて、槍を握る手に力を込めた。


「――ウィル・ヴィレ・ラーテ。星の産声、大海の旋律。いのちのはじまりに耳を澄ませ」


 槍がさらに赤く、よりあかく光り出す。

 時を超えて、世界を超えた、大地を割断する星の樹の槍が、遥かな過去の因縁のくさびを断ち切るように――。


「残響は空虚な胸をただ満たし、我が願いは、夜明けと共に降り注ぐ――《星槍疾駆スフィア・ドライブ》!!」


 一筋の朱き流星となって、地上へと降り注いだ。


「はぁあああああああああああああああああああああああああッ!!」


 フィルフィーネの槍が空気を焦がし、切り裂いた。

 触れただけで一瞬で炭になってしまいそうな超高熱の絶槍が、地上を焼く尽くそうと落ちてくる。


「――ギャハッ」


 魔術師としての長年の経験が、敗北を予感させた。

 本能は今すぐ逃げろと警鐘を鳴らしている。

 あれは絶対に撃ち落とせない。

 流星どころか隕石だ。

 どうやったって、勝ち目はない。


「ギャハハハハハハハハハハッ!」

 

 ……それがどうした! ただ負けが決まっているというだけで、舞台を降りる役者がどこにいるってンだッ!

 

 クライスの体の刻印が光を放つ。

 あの質量に対抗するには、一撃で最大効率を狙うしかない。

 ……魔力の消費も体への反動も全て無視して、残ってる全魔力をかき集めろ。水の弾丸を超高圧で撃ち出して、『送り人』をブチ抜く。その為に必要な計算は、オレの頭でやるしかねェか……!

 刻印魔術による演算補助は、全て射撃のための圧力操作に回す必要がある。

 照準はクライスが自力で狙うしかない。

 まるでスナイパーライフルのスコープをのぞくかのように、クライスはフィルフィーネを見据える。

 流れる汗が目に入っても微動だにせず、限界まで照準を絞る。


 そして、互いの視線が交錯した、その瞬間――。


 ――クライスはトリガーを引いた。


「《雨垂岩穿ピアッシング・バレット》ォオオオ――ッ!!」


 目にも止まらぬ速さの水の弾丸が連続して六発放たれ、そのうちの一発がフィルフィーネの頬をかすめた。

 二発目が右肩を抉り、三発目が左腕を貫通した。

 フィルフィーネを捉えることができたのは、それだけだった。

 残りの一発は圧力を高めた分、照準の精度が落ちて外れた。あとの二発は槍に触れたところで、あっけなく蒸発した。

 無論、フィルフィーネがこの程度のダメージで止まるはずはなく、むしろより輝きを増して落ちてくる。


 クライスはその光景を、恨めしそうに見つめて――。


「ギャハッ」


 ――いつものように、汚く笑った。


「はああああああああああああああああああああああああッ!」


 星を宿した贋作の槍が、地上に激突した。

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