第41話「村上詩織は元聖女である」
「せ、聖女? きみが?」
とぼけた声で悠真が聞き返した。
詩織は落ち着いた様子で、そりゃそーいう反応になるよねー、と苦笑して頷いた。
「フィーちゃんから聞いてない? 私のこと」
「ふぃ、フィーちゃんって、フィルフィーネのことか……?」
……どうしてそこでフィーネの名前が?
困惑する悠真だったが、ふと、昨夜のフィルフィーネの言葉を思い出した。
……たしか、先代の聖女はこっちの世界から召喚されたって……。
「……本当にきみが、その先代の聖女なのか?」
「いかにも! 私がかの有名……かどうかはわかんないんだけど、初めて異世界に召喚された聖女、
ぶいっ、と顔の横でピースする詩織。
フィルフィーネの話では、先代の聖女はすでに死んでいるはずだ。
なのに、彼女は今こうして悠真と普通に会話をしている。
一体どういうことなのか。
『見ていた』、とはなんのことなのか。
そして、結局ここはどこなのか。
「えっと、きみは何を……その、だから……えぇっと……!」
聞きたいことはたくさんあるのに、渦巻く疑問が頭の中で渋滞して、考えがまとまらない。
何から聞くべきかが定まらず、口を開けど上手く言葉が出てこなかった。
すると、唐突に詩織が立ち上がり、木の上から飛び降りた。
重力を感じさせず、ゆっくりと落ちてきて、悠真の前にふわりと着地した。
戸惑う悠真を察して、詩織が申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんね。多分聞きたいことだらけだと思うんだけど、あんまりのんびり話してる時間はないんだ。悠真くんにも、やるべきことがあるでしょ?」
「……そうだ、クライスを――あの召喚術を止めないと……!」
詩織の言葉に、悠真は自分のやるべきことを思い出した。
彼女が言うように、のんびりとしてはいられない。
「村守……さん。俺、早く戻らないといけなくて――」
「知ってるよ。だからここに呼んだんだ」
「……え?」
詩織は落ちていた葉を拾うと、指先でくるくると回した。
葉は回転するたびに、色を変え、花を咲かせ、やがて枯れた。
これは魔術によるものでもなければ、時間が経過したからでもない。
ある生命が観測した記憶なのだ。
「世界樹ってね、実は世界中のいろんな出来事を見聞きしてて、しかも全部憶えてるんだ。ここはその記憶をもとにしてつくられた、夢みたいなものでね」
「記憶……夢……?」
「これが本来はメルセイムに限った話だったはずなんだけど、クライスが世界樹の根をちょん切ってこっちの世界に植えちゃったでしょ? そのせいで、世界樹の知覚範囲が拡張されちゃったみたいなの。まあ、そのおかげで、私も悠真くんたちのことを知ることができたんだけど」
悠真は詩織の言うことが半分も理解できなかった。
ただ、嘘や冗談の類を話しているのではない。それだけはなんとなくわかった。
そして、自分たちを見下ろすこの大樹の正体もはっきりした。
薄々そうではないかと思ってはいたが、まさか本当にそうだとは――。
「――これが、世界樹なんだな」
星の始まりを祝福し、星の終わりを
メルセイムという一つの世界を象徴する存在に、悠真は明確な敵意を向けた。
……こいつのせいで、沙希の命が狙われた。鷹嘴まで巻き込んでしまった。フィーネだって、あんなに傷付くことはなかったはずだ。
なにが世界樹だ。
なにが聖女だ。
フィルフィーネの話を聞いた時から、悠真はずっとこう思っていた。
……世界の終わりなんて知ったことか。終わるなら勝手に終わりやがれ。俺たちの世界を……俺の妹を巻き込むな……!
悠真が握りしめた拳を、詩織がやさしく両手で包み込んだ。
「世界樹は悠真くんたちの敵じゃないよ。あれはただ在るべくしてそこに在るってだけで、本来はこの星に生きるすべての命に寄り添ってくれる存在なの。だから、悠真くんの力で、彼女たちを助けてあげて欲しい」
「……助ける? どうしてそうなるんだ。むしろ俺たちが助けてほしい状況で――」
詩織は無言で首を振ると、悲しい顔をして世界樹を振り返った。
「クライスが生み出した『
世界樹は高次元の超生命体だ。
意思や心といったものがなくても、傷つけられれば痛むし、失えば衰える。
生命として、至極当たり前の話だ。
けれど、世界樹には悲鳴を上げることも、救いを求めることもできない。
詩織は握られた拳を解き、自分の手のひらを重ねる。
その右手は、拳を握るためにあるのではないのだと、教えるように。
「だから、キミに書き換えてあげてほしいの。世界樹を、本来あるべきカタチへと」
「世界樹の、あるべきかたち……?」
悠真は目の前に佇む
物言わぬ大樹は、まるで詩織の言葉に同意するように葉を揺らした。
詩織の言っている言葉の意味は、やっぱりよくわからなかった。
でも、それが『貪婪なる蛇』を……召喚術を止めることに繋がるのであれば、それは悠真の意に沿うものだ。断る理由はない。
けれど、それには一つ問題があった。
「……俺が書き換えられるのは魔術だけだ。世界樹がどういうものかはよくわからないけど、あれは植物だろ? 俺には生き物の命をどうこうできるような力なんて――」
「そんなことはないよ」
詩織は悠真の手を自分の胸に押し当てた。
右手から伝わるふくよかな感触に、悠真は頬を赤らめて大声を上げた。
「なっ……何をしてるんだ⁉」
「ほら、わかるでしょ悠真くん。私のかたちが」
「――――」
――とくん。とくん。
心臓の鼓動に合わせて、村守詩織という少女の輪郭が伝わってくる。
血の流れや体温のあたたかさ、喋るときの喉の震えや、髪の毛一本にいたるまで。ありとあらゆる情報に、彼女を構成する要素が詰まっていることがわかる。
――まるで、魔術の術式のように。
「キミは目を背けているだけ。言ったでしょ、私は知ってるって。沙希ちゃんのことも、キミが過去にやってしまったことも、全部知ってる」
「――――――――――」
悠真の瞳が、暗く冷たく濁る。
……どうして知っているんだ。あのことは、じいちゃん以外誰も知らないはずなのに。
猜疑心に染まった視線で詩織を見ると、彼女は屈託なく微笑んだ。
悠真のことを信頼しきっているかのように、なめらかに言葉を紡いでいく。
「大丈夫。今度は必ず上手くいくから。私もこっちからサポートする。だから、キミを信じて待ってくれている人たちのためにも……お願い、力を貸して」
詩織は気付いていないのか、それともわざと気付かないふりをしているのか。
意味深な笑みを浮かべたまま、悠真の返答を待った。
悠真は少し視線を外して、考えるふりをした。
あれだけの危険を冒したのだ。ここで今更、彼女の言葉を無下にすることなどできるはずがない。
それでも、心の奥底に沈めたはずの不安が浮き上がってきて、手の震えがおさまらない。
勇気や覚悟とは関係なく、緊張や不安はいくらでも湧いて出てきてしまうもので。
……それでも、キミはやらなくちゃいけない。
詩織は悠真の後ろへ回ると、小さく丸まった背中をそっと押す。
「ここは世界樹の夢の中。悠真くんができると信じれば、彼女たちは必ず応えてくれるから」
詩織に背を押され、悠真は世界樹の前に立つ。
手が届くほどの距離にまで近づいて、ようやく世界樹がたしかにそこに存在していることを認識できたような気がした。
悠真は一度深呼吸をして、頭をリセットする。
不安とか疑問とか、そういった余計なものを、今だけはすべて捨て去ろう。
……沙希を守る。それだけでいいんだ――。
「俺はあいつの、お兄ちゃんなんだから」
悠真はためらいながらも、そっと右手を世界樹へと触れる。
かつて、悠真が祖父に無意味だ、と笑われた魔術があった。
無意味だからこそ、極めれば唯一無二に成り得ると、そう助言された。
零から一を創造するのではなく、一を十に偽装する魔術。あれはそんな魔術だった。
悠真は祖父を見返したくて、子どもながらに思いついたこの魔術を何度も改良した。
術式を編みなおし、無駄を省き、より精度の高いテクスチャを貼り付ける方法を模索した。
けれど、いくら外側を取り繕ったところで、中身が伴わないのでは意味がない。
ただの風景画に張りぼての街並みを投射して、一体何がしたかったのか。
悠真も一度は諦めたこの魔術を、詩織は今ここで完成させろ、と言うのだ。
無茶だと思った。
でも、無理だとは思わなかった。
自分でも驚くほど落ち着いていて、不思議と不安はなかった。
術式の構築に必要な工程はすべて覚えている。
足りないものは、今この場で足せばいい。
「すぅー、はぁー……」
深呼吸し、目を閉じて集中する。
周囲の雑音や自分の呼吸音すら聞こえなくなるほど、悠真の意識はより深いところへと没入していった。
――世界樹を理解し、存在を許容し、育まれた歳月を夢想する。
――途方もない記憶と経験を、あり得たかもしれない可能性へと結ぶために。
それは、彼女が辿るべき縁。
それは、彼女が取るべき手。
それは、彼女が担うべき力。
悠真の右手に三つの術式が輪となって掛け合わさる。
設定は抽出し、過程を捏造した。
あとはただ、このテクスチャを張り替えるだけでいい。
「――《
術式の段階的に拡張され、やがて世界樹を囲うほどの大きさになると、世界樹を新しい形へと塗り替えていく。
この魔術が完成する頃には、悠真の意識も元の場所へと帰るだろう。
でも、その前に――。
「悠真くん」
これだけは伝えなければならないと、詩織が口を開いた。
「――フィーちゃんのこと、よろしくね」
やさしく微笑む彼女の姿は聖女などではなく、ただ友達を心配する健気な少女のようだった。
悠真は少し悩んでから、振り返らず前を向いたままゆっくりと頷いて、
「安心してくれ。友達との約束は守る主義なんだ」
と照れくさそうに、そしてどこか誇らしげに言った。
詩織は目を丸くしたあと、声を上げて笑った。
目尻にたまった涙を拭いて、今度は悠真の背中へとエールを送る。
「行ってらっしゃい」
薄れゆく意識の中、悠真は思わず口元がほころんでしまう。
……フィーネにも聞かせてやりたかったな。
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