寝取ラセ冥交夜話

ヒダカカケル

寝取ラセ冥交夜話






*****


「あのさ、君……俺の妻を、抱いてみてくれないか?」

「え……?」

「この間、酔って言ってたろ。“奥さんめちゃくちゃ綺麗ですね”とか、“すごいスタイルいいっす、特にケツ”とか。正直あれ怒ろうかどうか迷ってたけどさ、考えてみると女房を褒められてんだから悪くなかったな」

「あ、その、それはっ……す、すみません課長。俺飲みすぎちゃっててあんまり……! でも、俺、え、っと……」


 いや――――本当は覚えてる。

 確かに気持ちよくなりすぎて、口をベラベラ滑らせて喋ってしまったがかろうじて覚えてる。

 あとで死にたくなったが次の日に会った課長はいつも通りだったから安心した。

 違う、今はそこじゃない。俺ごときの失言なんか今はどうだっていい。


「いいっていいって、気にすんな」

「で、でも課長。なんでそんな事。愛妻家で有名じゃなかったですか……」

「あぁ……ちょっと、興味あるんだ。もしもさ。もしも、もしもだよ? うちのが、他の男に抱かれちゃったら……俺、どういう気持ちになるんだろう、って。俺、変態かな」

「まぁ……今どき何となく、分からなくはないん、ですけど……」


 だめだ、言い出せない。

 確かに課長の奥さんは、四十歳近いのに肌にもハリがあって、それは写真だけじゃなく一度課長の家に誘われた時に会った時も変わらなかった。

 それにケツもデカくて、乳も素晴らしくて、そこに目がいかないようにするのが大変だったぐらいだ。

 本当ならこんなお誘い、我ながら情けないが確実に乗るしかない。


 だが、無理だ。


「そういえば、課長……先月の事、覚えて、ます?」

「先月? あー……ん……っと……? ああ! あの納品遅れの件か? 大変だったよな、リカバリーが」

「ええ、そう……でしたね」


 だめだ。

 やっぱり、この人…………だめに、なったんだ。

 壊れてしまった。



 ――――課長の奥さんは一ヵ月前に死んでいる。

 信号待ちをしてたら車に突っ込まれ、電柱との間に挟まれて即死だったそうだ。

 SNSで現場を見たとかいうヤツの投稿を見たが、原形をとどめていなかったとか

 今でも俺は覚えてる。

 お通夜の時、棺に縋りついて吼えるように泣いていて、会葬者への挨拶すらろくにできなくて。

 喪主や施主の役目はおろか、ろくに喋る事さえできてなかった。

 そんな、痛ましすぎる姿の課長を、俺は覚えてる。

 言えない。とても言えるわけがない。

 『課長、奥さんは先月亡くなりましたよ』なんて言えない。


「まぁ、仕事の話はいい。な、一度でいいんだ。一度、うちのと……な?」

「しかし……奥さんは何て言ってるんですか。奥さん、身持ちが堅いって言ってたでしょ。俺がコナかけても相手になんてされませんよ。まして旦那の部下ですし、面識だってあるのに」

「大丈夫。うちのとはもう話してあるから」

「え?」

「というか、俺がビビったんだよ。引っぱたかれると思ったし、一時別居とか言われるのも覚悟してた。でも、あいつの方こそちょっと乗り気で……君のこと結構気に入ってるみたいなんだ」

「…………は?」




*****


 それから、話はあっという間に進んだ。

 俺が……いや、誰もツッコミなんかできないだろうし、合わせていくしかない。

 奥さんの方も乗り気だったとか言われて、“へぇ、じゃあ一度だけですよ”とか、“あとで怒るとか無いですか”とか、適当に話を合わせて流して、とにかくその日は課長を飲ませるだけ飲ませて潰して帰らせた。

 せめて、ちょっと頭が混乱して変になってただけだと祈って。

 願わくば記憶がとんでいてくれる事を祈って、俺も全然酔えそうにない酒をどうにか流し込んで帰ったのに。

 あれから数日後の今日、会社は休みの日なのにいきなり課長からメッセージが飛んできた。


「覚えてるよな? 約束。夜十時にホテル〇〇で部屋取って待っててくれ。部屋番号はあとで教えてくれ」


 ……正直言って、まだ話が続いているとは思わなかったんだ。

 この通り適当に合わせて過ごして、次の日に課長に会ったらまた適当に合わせて、それでこの話はおしまいだ。

 どうだったか訊かれても、当たり障りなく“奥さん”を褒めればいい。

 課長が少しでも癒されるか、でなければ現実をまた見つめるきっかけになればそれでいい。


 俺は、この時はまだ、そう考える事ができていたんだ。



*****


「ってか……マジかよ、あの課長……っ」


 指定されたラブホの一室に俺は先乗りして待っていた。

 大学時代に使っていたような安いラブホとは違ってお高めで、広々として各種内装もまるで一流ホテルもかくやという空間はあまり落ち着かない。

 先に“宿泊”分のホテル代をくれていた手前もはや嫌とは言えず、時間の一時間前にチェックインして、冷蔵庫に冷やされていたビールを一缶だけ開け、苦い泡で潤った喉もそこそこにあらためて部屋を見回す。

 ただ人がふたり、性行為をするには堂々としたつくりでもはや持て余す。

 ちらりと見た浴室もまぁとても広く、イチャイチャしながら過ごすにはうってつけのデカい埋め込み式の湯舟。

 アメニティも整ってるなんてもんじゃない、ドライヤーにヘアアイロン、小さなサイズのヘアスプレーまである。

 近くに繁華街が通っているため、そこから“デリバリー”でやってくる人たちへ向けたサービスでもあるんだろう。


 最初はどうしたもんかと思っていたが、これなら、“ひとりで”一晩過ごすぶんには快適そうだ。

 課長には申し訳ないが、場所は場所だがせめて息抜きに使わせてもらう事にする。

 ……別に俺だって、課長との約束を破りたいわけじゃない。優しい人だし仕事もできるから尊敬している。

 でも、くどいようだが流石に指摘できないだろう。

 せめて、課長がまた現実に目を向けるきっかけになるなら――――というのは、建前に聞こえてしまうのも理解しているつもりだ。 


 ともあれ、ソファに腰を下ろして一缶だけのつもりだったビールも二本目に到達し、途中で買ってきたつまみのビーフジャーキーを噛みしめながら、いつものようにスマホゲームのデイリーを消化しつつ過ごす事にした。

 塩っ辛いジャーキーでイガついた喉をまたビールで癒し、無事にデイリーを消化してガチャ一回分に満たない石を獲得して、適当にイベ周回をして強化素材をかき集めては対人防衛ミッションのチケット分を消化する。

 これでもう寝落ちしても構わない。

 気付けば三缶めになってしまうビールを取りに冷蔵庫へ向かい、そろそろガウンにでも着替えようかと考えながら開けたその時に。


 ……ドアが、ノックされた。


「っ――――」


 そうだ、そうだ、そう。

 それぐらいの時間になってしまっていても、不思議じゃない。

 酔いの覚めるような感覚に襲われながらベッド脇の時計に目をやると、約束の時間を五分ほどまわっていた。

 その後、すぐに同じ感覚でノックが二回。

 力加減も同じ。

 果たして誰が。

 誰が、と思っているとさらにまた扉が叩かれる。

 ただそれだけで、言葉が投げかけられる事はない。


 こん、こん――――こん、こん――――こん、こん――――こん、こん――――こん、こん。


 あまりにも規則正しいノックの音。

 人間がこんなに同じ間隔で扉を叩けるものなんだろうか。

 ともかく、出ないわけにはいかない。

 もしかしたらデリ嬢か何かが部屋を間違えているのかもしれないし、ホテルの人が何か確認しに来たのかもしれない。

 こんな時に限ってドアスコープがついていない事を恨めしく思いながら冷蔵庫を閉め、立ち上がって扉越しに声をかけた。


「はい。……どちら様ですか?」


 ――――ノックの音は止んだ。

 だが、返答はない。

 そのまま十秒、二十秒、三十秒――――心の中で数えただけだから、実はまったく時間は経っていなかったかもしれない。

 そこでようやく呼吸を整えて、扉を開いてみる決心を固めた。

 せめてもの気休めに掛かっていたプラスチック製の靴ベラを握りしめ、ロックを外し、ゆっくりとドアを押し開ける。

 滑らかな蝶番が音もたてず、薄暗い廊下の情景を少しずつ解き放っていく。

 もし誰かが今さら覗かせたら隙間からでも靴ベラを突き立てて大声を出して人を呼んでやる。

 そうまで息巻いていたのに。


「……え?」


 ドアを開き切り、左右に広がる人気の少ない廊下を見渡しても。

 ドアの裏まで覗いても、誰もいない。

 見えたのは緑色に光る非常口マークが遠くにひとつだけぼんやりと。

 音さえも聴こえはしなかった。


「は、ははっ……」


 いよいよ……笑えない。

 声だけが笑いを上げるが、これは喉が引き攣れたのに近い。

 だって、それじゃ……さっきまで聴こえてたノックは、何だったっていうんだ?

 ひんやりとした冷房が、ことさら肌に刺さる。

 ――――もう、いい。きっと誰かのイタズラだったか、でなけりゃ上階の音か何かが響いていたんだろう。


「ン、だよっ……人騒がせだな……」


 自分を勇気づけるようにわざと荒っぽく口にして、ドアを閉めて鍵をかけ直す。

 靴ベラを再びフックに引っかけ、今さらながらこんなもので何に対処できるものなのかと思い直し、再びわざと笑う。

 その時だ。


 ――――かしゅっ。



 俺が、ここに来てから二回立てた音が確かに聞こえた。

 よく冷えたあの飲み物を開栓する、額に汗して働く誰もが一日の終わりに待ち望むあの音。

 今度は素早く振り向く事ができて――――


「あっ……え……」


 やはり、そこには誰もいない。

 俺がさっきまで座ってたソファには、やはり人の姿はなかった。

 なのに、どうして。どうして。どうしてだ。

 さっきまで俺が座っていた、目の前のテーブルに。

 取れなかったハズの、三本目のビールが確かに開いてる。


「っ……は、はははっ、気のせい、気のせいだって。いや、数え間違いだっ……確かあれで、よ、四本目だったかな? あは、はははっ……」


 そうだ、そうに違いない。

 きっとあの時の酒がまだ残ってて、うっかり一本多く飲んでたのを忘れただけだ。

 聞こえた音だってきっと気のせいだ。 

 そう、決めつけたのに――――足が動かない。

 扉から出る事もできない。ソファに戻る事もできない。力がすっかり抜けているのに崩れ落ちる事もできなくて、

 足に力が入らない。なのにへたり込む事もできない。吐きそうになるぐらいアンバランスな感覚に襲われて、いやになるぐらい研ぎ澄まされた耳が今度は。


 ――――しゃあぁぁあぁぁぁっ――――ぴしゃ、ぴしゃ、ざぱっ――――


 今度は……シャワーの音だ。

 部屋に入ってすぐ左手、脱衣場と浴室の二枚扉を隔ててなおハッキリ聞こえてくるこの音。

 最悪な事に今度聞こえるのは水の音だけじゃない。

 明らかに――――肌に当たって・・・・・・お湯が流れ落ちる音だ。

 お湯が床を叩く音の前に、確実に何かを経由して伝い落ちている。

 今度ばかりは間違いない。

 シャワーの誤動作なんかじゃない。


 何かが、今――――シャワーを浴びているんだ。


 眼がチカチカする。

 もう、ハラにも脳にもアルコールなんか一滴も残っちゃいない、全部冷や汗になって流れた。

 背中がひたひたに冷たくて、ケツの穴にまで冷や汗で濡れた下着が張り付く。


 ――――しゅぽ、しゅぽっ…………しゃこしゃこしゃこ、もしゃ、もしゃっ――――

 ――――しゃわっ、ざぁぁぁぁぁっ……びたびたびたた、びたっ――――


 シャンプーのポンプ音。髪に塗り付けたそれを泡立てて、空気を含んで白く泡立つ光景が眼に浮かぶ、

 そうだ、確か課長の奥さんの髪形はショートボブだった。

 だからシャンプーの消費は少ないなんて事も言ってたし、奥さんも“乾かすのラクで”なんて言ってた。

 短い。短すぎる。

 その後、次はコンディショナーか――――耳をそばだてて聞いていると、浴室のスライドドアが滑り開く音がした。

 俺は、そこでいつの間にか足が動くようになっていることに気付く。

 すっかり汗をかいた足の裏が不快なほどぬるぬるになっていて、板張りの床にしっとりと足跡がついた。


 今なら逃げられる。そう思ったはずなのに俺は――――きびすを返す事なく、まさしく突撃する勢いで脱衣場へ続く扉を開いた。

 逃げる事はできたはずだ。人を呼ぶこともできた。

 でも、どうしてなのか、抑えられなかった。

 好奇心なのか。怖いもの見たさなのか。

 それとも、課長との男同士の約束のためか。

 それとも、それとも。


 おれは、期待していたのか?

 あのケツも胸も張りつめて肉感的で美人な課長の奥さんと、一度だけでも本当にヤれやしないか、と。

 まさかそれが、奥さんがこの世にもういないのだとしても?


 飛び込んだ脱衣場の先に、空っぽの浴室が見えた。

 脱衣場の床に残るてんてんと残る水滴はまだ暖かい。

 頭を突っ込むように浴室の中を見渡しても、やはりそこには誰もいなかった。

 そう――――いなかった・・・

 漂う湯気。リンスの香り。甘ったるい成熟した女の体の匂い。

 痕跡は間違いない、何故ならば俺はここにチェックインしてからシャワーなんか使っていないんだ。

 それでもやっぱり――――痕跡を残して、今は誰もいない。

 残り香を鼻に吸い込んでから、少しだけ冷えた頭に任せて浴室と脱衣場の二枚の扉を閉めて、再びメインルームへ戻ると。


 そこにはまた、またも。

 ようやくこれで、間違いない。

 ――――いるんだ、本当に。


「ははっ……ヤる気満々すか、――さん」


 冷蔵庫の隣に置かれていたワインセラーから一本減っている。

 代わりに、テーブルの上に……グラスがふたつ、紅く波打つ注がれたばかりのワインが着席を促すように寄り添うように置かれていた。

 脱衣場から続く暖かい水滴がソファまで続き、濡れている。

 よろめくように近寄ると――――ほんのかすかな体重の一人分、ソファがかしいでいた。

 何もそこには見えないのに。

 促されるように、ワイングラスの片方を手に取った。


 口の中を満たす酸っぱい液体はどこかほろ苦く、グラスを通した視界に薄ぼんやりと、見えた気がする。

 一度だけ会って、その後一度だけ写真で見た課長の奥さんの、四十手前と思えないほどいたずらっぽい少女みたいな笑顔が。

 どこを見ても目のやり場のない晒された柔肌が。


 ――――グラスを置いて、すぐに意識は刈り取られた。

 いるはずのない誰かの手首を掴み止め、押し倒し、暖かくて良い匂いのする、しっとりと弾力ある唇を奪う感覚があった。

 ほんの一言、盛り上げるようにささやかな言葉を聴いた気がした。


 “――――本当に……今日だけ、だからね”



 



*****


 あれから数日。

 課長からは何の反応もない。

 挨拶や業務上の会話ぐらいはするが、不自然なほど俺に話を振ってはこない。

 正直俺もどう話したことか分からないため、それはいい。

 今日はちょうど奥さんの命日の一ヵ月後で、ちょっとやり取りがあるとの事で有休を取っているらしい。


「――――おい、聞こえてんの? おい、って!」

「え!? は、あっ……ごめん、何だ」

「まだ午前だぞお前、何ボケてんだ」


 声の主は、隣のデスクの同僚だ。

 このところ俺はあの日を思い返してはボンヤリする事が多くなった気がする。

 まだポカに繋がってないだけマシだが、理由はあの日の出来事もそうだが、課長とどう付き合ったものかが分からないせいとの半々だろうか。

 同僚は俺の様子に呆れながら、あらためて聞き逃した話をしてくれた。


「ったくもう……しっかりしろよ。課長が立ち直ったと思ったら次はお前がかよ」

「……待てよ、何つった?」

「え? ……言い方、強かったか? 悪い」

「違うよ。その前。課長がどうしたって?」

「はぁ。課長が立ち直ったって話だよ。先月の事で塞いでたのに、つい先週ようやく奥さんの話もできるようになって……通夜ん時の話とかしたよ。泣いてばかりで申し訳なかった、とか……」

「…………は?」


 ――――待てよ。

 課長は、奥さんの死をちゃんと受け止めてたっていうのか?

 じゃあ、何だよ。じゃあ。

 なんなんだよ――――俺とのやり取りは。

 あの話は、いったい何だったって言うんだ。


 その時、音を切っていたスマホに短い振動が走る。

 震える手でスマホを取り出し、ロック画面の上に乗っかって表示されるアイコンをタップ、送られてきたメッセージを開いた。




『先日はわがままを訊いてくれてありがとう。――もあんなに興奮したのは初めてだったそうだ』




『君さえ良ければ次は、動画をお願いしたい』




『それと――――次はぜひ、君の家で抱かれてみたいと言っている。今夜はどうだろうか?』

 




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