閑話 お客は何をする神ぞ

昼寝


「べーんてーんちゃーん。よーせーて?」


 お堂の外からのんびりと声を掛けられて、宇賀はかすかに眉をひそめた。子どもが遊びに訪なうような言い方をする、この神は。


「――ッ! 人に見られぬうちにお入りを」

「おおっとお」


 細く外をのぞいた扉を瞬時にガッと開け、お堂に引っ張り込まれたのは水神だ。急いで、しかし音もなく木戸を閉め、ホッと息をつく宇賀。水神はやんわりと文句を言った。


「痛いなぁ、宇賀の」

「――そんな格好でウロウロするからです」


 水神は、十五歳ほどの少年の姿だった。龍の身でないのはいい。だが着ている物が浅縹あさはなだの涼やかで凛々しい狩衣なのは。


「今の世でそれだと、芝居か何かにしか見えませんよ」

「ここに来るまでは今風にしてたよ」


 軽やかに笑うと水神は弁天の隣にぺたりと座った。


「僕はこれが好きなんだ。動きやすいし見目が良い。だけど弁天ちゃんの前で着替えたくはないからさぁ」

「木戸の向こうでしてきたの? 水神くんは奥ゆかしいね」


 弁天はクスクス笑ったが、外で着替えるのはたぶん奥ゆかしくない。だいたい着物を替えるのも、龍への変化も、瞬きひとつの間で自在にできる身なのに。


「……私は、弁財天さまの目の前でなんでもしてしまっていますが」

「ああ、宇賀のはそれでいいの。だって宇賀のだもん」


 それぞれをありのままに認める懐の深さをみせ、弁天は微笑んだ。


「で? 水神くんが訪ねて来るなんて珍しいね。どうかした?」

「んー。なんていうかさ」


 水神は唇をとがらせて弁天の肩にもたれる。甘えられて弁天はよしよしと頭をなでてやった。


「ちょっと疲れたんだよ。横濱沖が騒がしいし、僕の祠のまわりも殺気だってて」

「居留地の真ん中だものね」

「それに夜も、異国の兵が見まわりしてるんだ。こっちに来ようにも出づらくて」


 水神は、増徳院にある楠の梢に龍の姿で憩うのが好きだった。

 夜の空はとろりとして海のようだね、と水神は言う。龍となって樹上に昇り、月や星を眺めながら穏やかな潮騒を聞き、草木の眠りを感じて夜を過ごすのだ。

 たまにしていたそんな事が番所のせいでやりにくくなったと思ったら、外国部隊による夜回りまで始まった。世間が緊張している時節柄仕方がないのだが、暮れてから少年が一人歩いていては見とがめられてしまう。


「夜になるまで、ここにいさせてよ」

「夜遊びはするんですね」


 宇賀はいちおう突っ込んだ。


「そのために来たんだってば」

「いるのはかまわないけど」


 何もおもてなしできないよ、と弁天は断った。最近、茶飲み話は僧坊に行ってすませている。水神はぽかんとした。


「それもどうなの?」

「いやいや、玉宥たちだって楽しそうだからいいの」


 僧侶側の意見を聞かず勝手に言い切る弁天の片膝に、水神は遠慮なく頭を乗せて転がった。


「おもてなしは、これでいい」

「え、やだ。重い」

「えー? ちょっとだけ」


 おねだりされて、弁天も払いのけることはしない。肩をトントンしてあげてねぎらった。軍艦集結でうるさくなった海にむのもよくわかる。なので少し違う話をしてみた。


「水神くんに、海にのまれた亡骸を浜に揚げてよ、て頼んだことあったじゃない」

「……ああ、そうだったね。お兄ちゃんの舟が沈んだって女の子が泣いてて、せめてと家に帰してやった」

「その子に、元町で会ったよ。すっかりお婆さんだった」

「へえ?」


 膝の上から水神はびっくりした目で弁天を見上げる。


「お婆さん? そんなに前だっけ。こないだだったと」

「我も驚いた」


 浜で泣いていた少女はいつの間にか老女になって、子供と孫と一緒に飯屋を営んでいた。人の時の流れは速くて、たまに目が回る心地になる。


「そうかあ。まだ港もない頃だし」

「黒船なんてチラリともいなかったよ」

「なつかしい……」


 水神はぽつりとつぶやく。弁天の手に落ち着いて、そっと閉じるまぶたの裏には昔の浜辺が映っているのか。


「ああ……だけど僕、波止場にできた燈明は、きれいで好きだ」


 夜の港を照らす燈明台。高く掲げられるびいどろ障子の灯りは不思議な輝きだ。

 目まぐるしく進む人の世に、神仏ですら疲れてしまいがち。だけど悪いことばかりじゃない。美しいものも、楽しいことも、ちゃんとあるから。


「ふうん。我も見に行ってみようかな」

「そ……だね……」


 話しながら水神はスウ、と寝入ってしまった。祠がよほどうるさかったのか。

 寝かせておいてあげたくて弁天は宇賀に目をやった。宇賀はそっと近寄ると水神の頭を持ち上げる。弁天がどいたあとに座布団をあて、小声でため息をついた。


「ここで夜まで眠るんですか」

「まあまあ。昼寝というのは至福なんだよ」

「この方と、あなたは趣味が合いますね」

「そんなこともないってば」


 弁天は思いついて宇賀を引っ張り座らせる。ぽてんとその膝に頭を乗せてみると、宇賀は息を呑んだ。


「な――ッ」

「うん、誰かの膝というのもいいものだね」

「……やはり、趣味が合うようですが」

「違うって。水神くんは昼寝したら夜遊びに行くけれど」


 ぶっきらぼうに動揺を抑える宇賀。その膝に頭を落ち着かせながら、弁天はにっこりした。


「我は昼寝して、夜も寝るんだよ」


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