第86話 エピローグ・カルタ+蛇足

 神々の時間が始まる。


「世界が終わる…ん?」


 シロッコ山から更に西、半島の先に隠れ潜んでいる。

 メリアル王国と帝国の西沿岸を燃やしたゲヘナの炎は、前の世界のユウの指示。

 多くの民を犠牲にしたハバド地区の大厄災とは違い、あの炎で死傷者は殆ど出なかったらしい。


「今は消えてしまったあの炎は勇者の逃げ道を塞ぐ意味だと思っとった。それはカモフラージュ…。ううん、二つ意味があったってことじゃんね」

「祠を守る意味もあったらしい。世界が壊れる時、泡沫の時間は止まってしまう。それが、前に世界を分断して、本体と時間の差が生む理由にもなった。こちらが先に壊れるリスクはあったが、現実では勇者たちが世界の寿命を縮める愚行に走った。計算…、いや流石にないか」

「どうせ、勇者様の為にここの祠を守ろうとしたんじゃん。…あんなのに殺されるユウじゃもん」


 カルタは不貞腐れて、小さなベッドに横たわる。

 その様子は肩を落として、車いすから見守る兄。


「勇者様を揃え、世界の再構築をする予定が、本当に酷いありさまね」


 そして数名の女たち…


「あらあら。途中で投げ出しておいて良い言えますわね」

「は?次の世界の覇権を握り損ねた貴婦人に言われたくないわね。私は別にいいのよ。元々クシャランの人間、全員嫌いだし、帝国の気に入らない貴族連中も一族郎党皆殺しにしたし」

「ママ。リリーが怖い…」


 と、数名の子供たち。


「そうよねー。怖いわよねー。悪魔がついてるから怖いのよ。殺人専用の悪魔よ。近づかない方がいいわね」

「あー、済まないが…。妹がそろそろ寝るので…、その…」

「不貞腐れてるだけでしょう?やっぱりわたくしがお祈りした方が良かったのではなくて?」

「は?最初に目を付けたの私だし。目の付け所が悪いおばさんにだけは、彼女も言われたくないのでは?」


 リーリアとロザリーはカラードとカラーズの血が混じっている。

 元々の世界の住民の血も受け継いでいる。当時リーリアがベンに言った血筋とは、勇者の血筋ではなかった。

 ただ、この世界を牛耳っているのは、勇者の子孫であるカラーズの方だ。

 何せ、発現率が全然違う。


「ひ…、もっとこあいおんなのひと」

「リュー、そんなこと言っちゃいけません」


 そして、どのようにしたらメッシュになるのか、金色に紫の差し色が入った女。


「元々、あれは賭けのようなもの。そもそも分断された世界に、こちらの魔法具からの信号が届くのか、定かではありませんよ。それよりリーリア様?そのクシャランの勇者様とは連絡が取れましたか?ロザリー様は夫と連絡が取れましたか?」


 ロザリーでさえ、目を見張る程の美女。

 帝国を裏で操っていたとさえ言われる、傾国の魔女。


「…お言葉ながら、あの二人の王子と話す気はありません。それ故に連絡手段がありません。アグセットの親戚からも返信はないです。」

「私も時々連絡を入れているのですが、無しのつぶてでございますわね。勇者様のスキルを考慮に入れるなら、やはり大神官の近くにいるのではありませんの?エアリス様、マリスの教皇はどちらにいらっしゃるのです?」

「アレはまだ子供です。奥深くに匿われているのでしょう。現状のみを切り取れば、過去のデビルマキアと相違ありませんしね」


 今回が異例尽くし。勇者はバラバラで、最後の締める名を残さない勇者はいない。

 イスルローダ曰く、ズルをしたというのに。


わたくしたちには分からぬ程度に、地上の恵みを少なくしていた…でしたわね。その為、十年程度の猶予はあった。流石は真白の勇者様と言いたいところだけど、四人の勇者の感情までは読み切れなかったのですわね。人質を取られて殺されたなんて、皮肉を通り越して喜劇ですわね」


 薄紫の明かりを灯す少女に向けられた、桃色の明かりを宿す女の言葉。

 そして、水色の明かりの修道女が姿を見せる。


「あらあら。意地悪言わないでくださいね。いつかは辿る道だっただけですよ。そろそろお兄様と私のグレイが帰って来ますよ。そしたらご飯にしましょうね」

「私のでもあるのだけれど、マリアさん」

「多少魔力が強いだけで、偉くはないのですよ。グレイの故郷を焼いた罪は消えないのですから」

「あ、あの…。せめて、私も食事の手伝いを致します。それくらいしなくては、流石に申し訳がない…。ロコ、モコ、おじさんにも仕事を分けてくれないか」


 包帯塗れの兄が突然手伝いを申し出る。

 その兄を軽く睨んで、カルタは体を起こした。


「お兄ぃ、ズルい。ウチも…」

「カルタちゃんは駄目でしょう」

「うう…」


 ──これが最近のウチの生活。


 そう思っていたウチ。けど、次の日の夜。


 ドンドン‼ドン‼ドン‼


 カタパルトで石でも飛んできたと思った。

 でも、それはドアを叩かれていただけ。そして、そのままドアを破られて、グレイが飛び込んできた。


「何⁉何が起きたん?」

「ここから逃げる。どうにも海がおかしい。俺の目線の遥か上に海があった」

「どういう状況だ。そんなことあるわけ…」

「伝承には残っていますよ。海とは動くもののようです」

「…そか。ユウがしきりに海を気にしてたん、そういうこと…」

「思い出している場合じゃないわよ。今すぐ逃げるわよ」

「逃げるってどこに?まさか、ここを離れるん?」

「当然、大陸の真ん中ですわよ。どれだけ体術に、魔術に自信があっても、私たちは海では生きられませんの」


 ウチたち?少なくともウチの常識は通用しない、これがデビルマキア。

 その時はそれくらいに思っていたのだけれど。


「海面が上がっただけで…、そんな…」


 海を舐めていた。

 水没する程度かと思ったら、祠も家々も木々も皆なぎ倒してしまった。

 シロッコ山がなければ、命はなかっただろう。

 そういえば、クシャラン半島にも近くにヌガート山があるらしいが。

 とにかく、メリアル半島の最西端は海のせいでなくなってしまった。

 その後、半島を彷徨い、グレイとマリアが潜伏していたというオーテムもなんとか通り抜け、あと少しで大陸中央というところまで来た時。


 ドン‼‼


「え?え?」

「そういえば…、オーテム山は不思議な形をしていましたわね。山頂部が窪んでいて…」

「みんな、離れなさい‼」


 大地が揺れた。その後空気が揺れた。そして、世界が揺れた。

 ドン‼程度の文字で表したくない、爆音がした。

 帝国領からエイスペリア領に行く最短ルート、オーテム山越えの途中。

 炎が天にまで昇った。


「俺はロコとモコの傍にいる。マリア様、エアリス様は先へ」

「でしたら、私も残ります。回復魔法は必要ですからね」


 ここでグレイ達と分かれることになった。

 ここまでの道のりで実体を伴った魔物を倒してきたが、その9割は彼の力だった。

 カルタには彼の離脱が怖かった。

 だが、彼女は先を行く。


「北へ。帝国側に抜けましょう。もしかしたら隠れているかもしれません。」


 カラーズ最強のエアリスが指揮棒を振る。

 噂に違わぬ魔力、簡略しない魔法詠唱。その資格は確かにある。

 だけどメリアル半島を抜けた後、彼女が言ったこと。


「勇者様が居なければ話になりません。勇者様を探すことこそが私たちに使命です」


 納得出来ない。ユウを、友を殺した四人の勇者に頼らないといけないなんて、納得出来るわけがない。

 理由は分かる。カラーズの方は勇者の影響を強く受ける。

 勇者はデビルマキアの為に呼ばれているから、彼らを中心に人々は纏まる。

 

「ここまで来ると分かりますわね。沿岸を打ち崩す海、火を噴く山、渦巻く神々の魔力。返事がなかったのではなく、届かなかったのですね」

「近くに居れば届くんでしょうけど、このどす黒い空の中で探すのは大変でしょうね」


 ドドドドドドドドドドド…


 そして、ここで。

 オーテムの噴火とは真逆、マリス山脈から全身を凍り付かせる冷気と、真っ白な壁がこちらに向かって迫ってくる。


「今度は何?特大氷魔法⁉」

「その奥の山が動いている。アレは…、なんだ?」

「魔物なのでしょう?それより、エアリス様。今、わたくしにはチラリと見えましたが」

「そのようですね。小さな光、いえ炎の明かりでしょう。チラリと光る髪も…」


 終始狼狽するエイスペリアの王子と姫に対し、先に集まっていた面々は落ち着いていた。

 いや、肝が据わっているだけだろうか。

 デビルマキアと真正面からぶつかっていた時代は、太古の昔のこと。

 少なくとも千年以上も前の話で、その殆ど忘れられている。


「帝国の臣民が残っているのでしたら、私が行きましょう。皆様はオーテム山を迂回して南に向かってください」

「エアリス様、私も同行しますわ。この子達は後に帝国を背負って立つのですし。それに…」

「そうですね。では、ここからはリーリア様にお願いしましょう」

「え、私?この先はエイスペリアですよ。彼女の方が適任じゃないですか?」

「それでも、です」


 有無を言わせぬ言葉に、リーリアは肩を竦めた。

 とは言え、勇者探しをするのなら、赤毛の彼女の方が適任。

 いや、あんな奴ら探したくないし、見つけたら自分が何をするかわからない。


「…分かりましたよ。両殿下、足を引っ張らないようにお願いします」

「う…、はい。お兄ぃ、ウチが背負おうか?」

「問題ない。グレイ殿の義手さばきまでは行かないが、足も手もさほど違和感がない。そういえば、あの時も…。…いや、なんでもない」


 兄は妹を気遣うが、妹は顔を曇らせる。


「おそらく、殆どの勇者は南に居るのよ。私情は捨てることね。一族郎党皆殺しにした私が言うことじゃないけど」

「分かってる…。それが彼の意志じゃけ…」

「そ。それじゃ、直ぐに行くわよ。エイスペリアに白銀姫が戻っていることを願いましょう」


 子供の頃は憧れていた。伽話を読むたびに想いを馳せた。

 大きくなっても憧れていた。

 召喚するという話が伝わった時、胸が高鳴った。

 でも、今はどす黒い。


「何…、これ…」

「そんな馬鹿な…」

「なるほど。かつてのエイスペリアは森だった。そういうこと…。それに視線、魔物の数が尋常じゃないわ」


 天候という天候のオンパレード。

 天変地異が堰を切って、全てが溢れ出したのだか、これらの現象は彼らにとっては神話と同じ。

 

 とは言え、ここには火山も雪崩もない。

 今のところはだけど。


「一度、オーテム山の南に行きましょ。山の表と裏でこんなに違うなんて想像も出来なかったわ。ここでは水が雨として降っている。それなら、マリアとグレイも山越えのリスクが減るはず」

「確かに。拠点を置くべきだな。水を降らせてくれる優しい神の加護」

「私は少しだけ山を登って交信してくるから、この辺りの魔物の掃討を頼むわね。直ぐに戻ると思うから、遠くには行かないようにね」


     □■□


 雷雲が豪雨を降らし、木々に雷が落ちる。

 突然登場した大森林と共に野生生物も出現し、それが魔物を集めている。

 影ではない魔物は、影ではないから肉も野菜も何でも食べる。

 カルドの言う通り、拠点を置くには十分に思えた。それだけならば…


「何なん?知ってる魔物と全然違う‼」


 切っても、斬っても、射っても、撃っても、打っても、…討てない。

 泥になんてならない。攻撃したら、攻撃し返されるし、攻撃しなかったら襲われる。

 もしも砦が見つかったら、そこに使役の暗鎖があるかもしれない。

 だけど、こいつらに効くかどうか。


「お兄ぃは無理せんで、ウチがぁああ‼」


 過去のデビルマキアの比ではない。山という山が火を噴き、鏡のようだった海が嵐を呼ぶ。

 ただの白い山と思っていたのは、巨人の体で立ち上がるだけで白い何かが周りの全てを押しつぶす。

 水平の遥か彼方、その両端に閉じ込められた神々。


「…かはぁっ‼」

「カルタ‼」


 止められた時の中でも、神々は意識を保っていた。

 女神デナの息子、その化身マリスによって互いを分けられていた神々。

 白の神も黒の神も、赤も青も黄色も緑も紫も…、全ての色の神々が戦いの途中で、無理やり上と下に分けられた。


 だから、善も悪もいつの間にか失われてしまった。

 神々からすれば、大した時間ではないだろう。

 それなのに、全てが悪神になってしまったのは、たかが化身に自由を奪われていたから。

 神は神、化身は化身。その理を無視した時止めは、純粋な怒りを積み上げるには十分な、傲岸不遜な行為だった。


「どっちが良い神様?どっちが悪い神様?どっちが白⁉どっちが黒⁈風の神、ウチに力を‼…エアスラッシュ。って出た‼風の神様は味方かも!」


 天が裂け、見たこともない雷が落ちる。

 三百年ごとに、ほんの少しだけ神の時計の秒針が進む。

 人間にとってはそれでも十年は進んでいる。

 今までは、そこでマリスの化身、ユウが疑似世界を作って人間たちに力を蓄えさせていた。

 残る四人の勇者は、カラーズと共に、力なき者を守っていた。


「お兄ぃ‼大丈夫⁉ウチ行けそうじゃけ、ウチが引き付ける。お兄ぃは下がって、リーリアさんに拾ってもらって‼」

「ダメだ、カルタ‼一人で突っ走るんじゃない‼」


 至る所に包帯を巻いた兄・カルド。

 包帯で嵩増かさましされている筈なのに、前よりも体積が小さい。

 インディケン先生の治療で命は繋がったし、義手も義足も繋がったが、まだまだ戦える体ではない。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…


「うわ…。次は何なん?」

「地割れだ。それにまだまだ魔物が出てくる。早く離れろ‼」


 天の神様が大地を焦がす。それじゃ、上が悪者かって思っていたら、大地の神様も人間の世界を揺すって壊す。

 地割れを起こして、生えたての森林も、何もかもを呑み込もうとする。


「う…。ここを飛び越えるんは…」

「とにかく逃げろ‼囲まれているぞ‼待ってろ。この腕、この足でも…」

「ダメ‼ウチ、まだ回復魔法がちゃんと使えん。お兄ぃをそれ以上、傷つけたくない‼」


 影でしかなかった魔物は皆、本来の体を取り戻し、悪神たちの遣いとして人間を見つけては狩り殺す。

 暴れまわっている魔物は、以前に人間に使役されていたのかもしれない。

 何もかもが分からない。規模が違い過ぎて、全然分からない。

 聖典という聖典を焚書目録に入れてやりたいと思うくらい、伝承と違う。


 大地の罅、そこが見えない真の闇。背後の木々からは何かが蠢く音。


「…お兄ぃ、逃げて。ウチなら大丈夫。子供の頃から、一人で山に入っとったけ」

「…て…ルタ」


 大地が動いて、カルタとカルドの体が物理的に離される。

 後ろで噴火したコーベルス山が起こす地鳴り、地殻変動による地鳴り、暴風雨の音、木々の騒めき、魔物の鳴き声で、兄の声が聞こえなくなる。


 そして、彼女は一人。森の中。


「逃げ…なきゃ…」


 うっそうとした森がなければ、知っている場所の筈。

 生まれ育ったエイスペリアの北側の筈。

 砦にさえ逃げ込めば、使役の暗鎖もきっとある。

 こんな場所にいるよりは、生き残れる可能性が高い。


 だけど


「え…、でも…」


 ぬかるみに足を取られる。

 だから、歩みが遅くなる…ってことはないほど、カラーズとしての力は満ちている。

 でも、足が重い。心が重い。前を向けない。


「ウチたちの目的は…、勇者を探す…こと…」


 ぬかるんだ地面に地響き、早くしないと流砂に呑まれてしまうのに、早く足を出さないと沼地に沈んでしまうのに。


「クソ。お前なんかに…、ファイア…。えと、どうするんだっけ。水平線の…」


 シャァァァァアアアアアア‼


「うぐっ‼」


 背後から四足歩行の魔物に体当たりをされて、幸いにも沼地からは抜け出せた。

 でも、吹き飛ばされた先の大木に強く体を打ち付けた。

 もっと冷静になって戦わないといけない。


 だけど今の彼女は、戦う意味を見失っている。


「ウチは…、あの勇者を見つけたくない‼あんな勇者と一緒に戦えないよ……」


 憧れていた勇者。初めて会ったのは黄金騎士。次は白銀姫。

 その後、何人か同時に見た。

 そして、無能な黒い髪の勇者かどうかも分からない彼。


「…ウチが憧れてたのは」


 正直言って、どれもこれも拍子抜け。憧れとはそういうもの。勝手に妄想していただけ。

 だけど、そこから変わっていった。

 一緒に居る筈なのに、どんどん強くなる、どんどん逞しくなる、一人の青年。

 命を助けられ、そこで嫉妬をした。そして勝手に…


「ううん、ウチのせいで…、殺された。…ぐ。腕が…抜けない…」


 打ち付けられた時に、木々の枝に挟まってしまったのか、左腕が動かない。

 打ちひしがれている間に、動けない間に、二足歩行の魔物、四足歩行の魔物が次々に現れる。

 得物が罠にかかった、とでも思っているのか木々の後ろから現れる。


 いや、…木、そのものも魔物…?


「だから、腕が…。でも…、もういいじゃん…。本当はあの時、ウチが…」


 どうにかして死んでいれば良かった。

 もしかしたら、殺すまではしないと思っていたのかも。

 ううん。彼ならきっと…って?ほんまに…他力本願…なウチ…


 ──大丈夫


「…え?」


 少女は顔をあげた。だけど、魔物しかいない。

 どこまでも魔物、魔物、魔物


 ──だけど、大丈夫。いつもの君で


 もうすぐ、彼らに食い殺される。魔法の詠唱も思いつかないし、体だって拘束されている。


 だけど、やっぱり声が聞こえる。


「大丈夫…なわけないじゃん。ウチ、何もできん…し」


 ──いつものように、いつもの魔法を撃ってみて


 間違いない声。でも、知らない声。

 いつもって言われても知らない子供の声。


「いつもの?…ファイアアロー。って、知らんの?もう、この世界には…」


 と、口にしたところで少女は目を剥いた。

 自らの頭上から発生した炎の矢が、襲い掛かる魔物を次々に射貫く。


 ──君は他力本願じゃないよ。君は戦える。ほら、いつものようにやってみて


「…エナジーボム‼…エアスラッシュ‼…アイススピア‼…これ、本当に」


 魔物の群れが次々に死体に変わる。当然、泥には変わらない。


 ザッ…


「…ウチの魔法」


 ザッ…ザッ…


 遠くの方から何かが聞こえる。暗闇の中、魔物の悲鳴が上がる。


「ううん‼ウチが…本当に憧れとったのは…」


 ──ウチ、小さい頃に何度か夜中抜け出して探してたもん!領民から貴族まで、それくらいの歳の女の子の憧れじゃん


 ザッザッザッザッ…


 暗闇の中で、何かが動く。

 ピギィィィイイイ‼ギギャァアアアアアア‼


 魔物の断末魔も近づいてくる。真っ暗な中、真っ黒な何か。


 ──真っ黒な髪の男の子‼そいでー、真っ黒な服を着たユウよりも、もうちょっと背の低い子供なんだよ。


「ウチが本当に憧れたのは、…暗闇ナイト‼」


 そして、思い描いていた風貌の少年が、左右真っ二つに分断された魔物の間から現れる。

 遥か昔の伽話に登場する『暗闇ナイト』、彼は彼女の思い描いていた通り、子供の頃から想像していた通りの風貌。

 いや、それは流石にないが、今のカルタが想像した通りの姿だった


「ゴメン、遅れた。…ってか、夜のナイトと騎士のナイトを掛けたのかな。絶望的なネーミングセンス」

「それ…、ユウが言う?」

「え?…俺がユウって直ぐに分かった?」


 強いて言うなら、少し違う。


「声だけじゃ分からんかった。っていうか、髪の色戻ったんだ。っていうか、遅いー」

「それはゴメン。髪は、こっちに戻る時に力を使ったから…だと思う。それにえっと…」


 少年はホックを外し、一つ目、二つ目のボタンを外す。

 突然、服を脱ぎだした少年の少女は狼狽するが、そこで目を剥く出来事が起きた。


 バサバサッ‼っと青い鳥が飛び出す。

 その鳥は彼の右肩に趾を乗っけて、眠たそうに欠伸をした。


「バドメの声が届かなくて、探すのに手間取って…」

「バドメ…って、魔法具のバードメール?」

「…え、そうだけど。これをくれたのってカルタ…だよ?」

「バードメールは伝えるときに鳥の形にはなるけど、生き物みたいには…」

「でも、ほら。カルタの方も」


 その時、カルタの右の胸がトンと押された。

 目の前に何かがよぎって、左肩の肉がちくっとつままれる。

 すると、動かなかった左腕がするりと絡まった枝から抜けた。


「げ。ウチのもそうじゃった…ん…。知らんかった」

「そうか…。だったら、マリスの権限ってことか。でも、この子のお陰で遠くからでも繋がったんだから、感謝しないと…な」


 彼が彼女の右手を引っ張り、彼女の体が木から剝がされる。

 身長は少女の方が高くなってしまったけれど、地面がぬかるんでいる分、少女の体が沈み込んで、目線が同じになる。

 彼と彼女の目線だけじゃなく、雄鳥と雌鳥の目線も。


「ユウ…」


 ただ、カルタがそのまま体を預けて、ユウに抱き着いたから、青い鳥はぶつかりそうになって二羽とも飛び上がる。


「…水と癒しの女神アクアス。彼女を癒して…」


 水色の光が二人を周囲を包み、カルタの擦り傷切り傷、腫れあがった左腕も癒されていく。

 それを肌で感じながら、彼女は言う。


「その髪でも魔法使えるん?」

「神々が起きているから、これくらいはね。怒ってはいるけど、力は貸してくれる。神様って割とそんな感じなんだ」


 良い神様、悪い神様とか、考える必要はなかったってこと。

 でも、そんなことはどうでもいいと、彼女は思った。そして。


「…でも、癒されてない。足りん…し」

「え…。んーっと、それじゃ風の神に…」

「ううん。そうじゃない。ウチの心が癒されてない…。ユウ、ウチに言うことがあるじゃろ?」


 暗闇ナイトが固まる。首を傾げようにも、頭と頭がぶつかって動かせない。


「えと…。遅れてゴメン。こんなに…」

「そういうんじゃないもん。それに謝らんといけんのはウチじゃし。…そうじゃなくて、普通のやつ…。ほら…、えっと」


 あ…、という言葉を呑み込んで、ユウはゆっくりと少女の頭を引きはがし、目と目を合わせる。

 色々考えると、正解かどうかは分からない。

 この世界で間違いなく死んだ。そして、あっちの世界から別の自分が来たとも言える。

 だけど、スロットの記憶が今回は封印されずに残っている。


 だったら、やっぱり──


「…ただいま、カルタ」

「おかえり、ユウ‼」


 そう言って、薄紫髪の少女は自分より小さくなった彼を、ギュッと胸で抱きしめた。


 とてもとても良い雰囲気…の筈だが…


「あ…。そか。カルドとリーリアにも言ってない。後で言わなきゃ…」


 ドン、っと突き放す少女の顔は、半眼で。


「えええええ?ウチが一番じゃないん⁉」


 黒髪の少年は、彼女のジト目に目を泳がせて。


「いあ、その…。リーリアが魔法でどこかに呼び掛けてたから、見つけやすくて…。で、カルドとカルタが近くに居るって聞いて…、カルドを見つけてカルタの居場所を…」


 ジト目、半眼、三白眼、色々あるがこの場合は、白目。


「お兄ぃ…でもちょっと…じゃけど、一番目が女…、リーリアが一番…」


 っていうか、燃え尽きたような少女の顔に、少年はあたふたと、じんわりと汗までかくが、そういえばと思い出す。


「俺、カルタが一番って前に言った」


 勿論、これは少女には無効化される…


「うん。でも、それはこっちの世界限定…」


 と思いきや。ちゃんと効果抜群の意味を持つ。


「カルタが呼び掛けてくれたタイミング、バッチリだったよ」

「え、…なんの話?」

「呼びかけてくれた。多分、あっちは時間が止まっててタイムラグがあったけど、ちゃんと思い出せた」


 この言葉で既に少女の顔には笑顔の光が射している。


「…そか。ウチの言葉、ちゃんと届いたん…じゃね。…良かった、ウチのこと思い出してくれて」

「うん、それにそれだけじゃない。あのタイミングだったから、あっちの世界と縁が切れた」

「…んー?」

「要するに、俺があっちの世界の人間として召喚される前。だから、俺はこっちの人間のまま、こっちに戻れたんだ」


 その直前に彼らと共にこっちに来た可能性はないのか。

 それも考えたけれど、やっぱり在りえない。もしもあの時点で呼ばれたら、今も勇者は義父と義母で、神々の時間を止め続けていた筈だ。

 だから、それはないと言い切れる。 


「こっちの世界限定って言葉は訂正。この世界だけが俺の世界だ。だから…」

「ウチが一番ってこと⁉」

「うん。そういうこと」


 マリスと縁を結んだ少女は、少年の体を思い切り抱きしめた。

 化身はそのまま体を預けて、彼女の体を確かめるように抱きしめ返す。


「俺はカルタが好き」


 力が思いのほか強かったのか、もしくは別の理由でカルタの両肩が跳ね上がる。

 そして、せっかく停まった青い鳥が、やれやれと飛び立った。


「ウチも…、ユウが好き」


 少女の言葉は既に知っている。だけど、今初めて聞いたと思い直して、彼は年上のお姉さんに少し背伸びをして、口づけをした。


 ──魔物が救う森の中、愛を確かめあう二人。


 そして、ユウが戻って来たことでカラーズの魔法も復活して、新たなる世界の始まりとなる。



     □■□


 因みに、ここで物語的には終わり。


 彼の気持ちは本物だけど、接吻にはそれ以外にも意味がある。


 このままハッピーエンドにする為に、ここに意味を持たす為に。


 画竜点睛を欠く、いや書く為に…


 ──その瞬間、世界が色を失う。


「え…、何、これ…」


 世界の色が失われるのは、あの悪魔が、あの女神が現れるから。


「…で、イスルローダ。女神デナ、女神シクロ。…いや、母さん。どういう落とし前をつけるつもり?」

「へ…?イスルローダじゃなくてデナじゃなくてシクロじゃなくて…、お母さん?」


 最後に見せたイスルローダの姿は女神の姿だった。

 そして、ユウがマリスではないかという話は、いつか出た話。

 だけど、彼の口からハッキリと語られるのは、カルタにとっては初めてだった。


「落とし前ねぇ。オチと言ってくれない、マリスちゃん?」

「マリスちゃん‼本当に…そうなん?」

「あらあら、泥棒猫ちゃん。神への口の利き方を知らないみたいだねぇ…。ねぇねぇ、マリスちゃん、本当にこの子でいいの?もしかして、一人称『ウチ』の喋り方?ウチを求めちゃった?」

「その喋り方、ほとんどしてないだろ…。って、まぁいいや。俺はカルタと共にありたいんだけど?」


 突然の豹変。白黒世界でのユウは大人の姿に戻っていた。

 喋り方の長く聞いていた男の声。そして、女神デナの子供に違いないらしい。


「…ユウは…神…様?それって…、ウチ…」

「あぁ、そうじゃない。俺は人間なんだ」

「マリスちゃんは、半神半人でしょう?」

「ってことは、お父さんが人間…」

「いや、人間性分のが強いよ。母さんが人間の姿になった時に、人間の男と間に生まれた子なんだ。人間として召喚される前の記憶が戻っているから、今までは忘れていたんだけど」


 どっちみち、呆けるしかない彼女、カルタ。


「お嬢さん、呆けてるみたいだけど…。アンタの話をする為に来たんだよ」

「ひ…、う、ウチが神様のお子様に手を出そうとしたから…、ウチが消される…。そ、そんな…。でも、神様なら仕方ない…、か」


 この色の失われた世界の元凶の一つは彼女でもある。


「いやいや。俺という存在がいる以上、そんなことじゃ消えないって。このタイムパラドックスをどうするのかって話なんだ」

「ウチがユウを呼び出した…から、あっちの世界がおかしくなっちゃった…ってこと?だってユウはあっちの世界で友達が出来て、それで…」

「時間の主導権はこっちが持っている。だから、あっちの世界の話はどうでもいいのよ、お嬢さん」

「…それはそれで酷い話なんだけど」


 何度か、過去に戻っている。

 恐らく、直前だから未来は変わらないのだろうけれど、今回は別。


「髪色と瞳の色以外、ウチに似ちゃったマリスちゃんを連れ去るのが悪いのよ」

「わ、本当にウチって言ってる…」

「そもそも、召喚制度を作ったのが悪い。で、こっちの世界のパラドックスをどうするつもり?」

「その責任を取らせない為に、縁を結んだんでしょう。一応、その予感があったから、あの四人の存在を虚ろにしているわ」


 勇者の誰にも連絡がつかなかったのには、ちゃんと理由があった。

 デナは、カルタの呼びかけ先が、四人と出会う前だったと知るや否や、神の力で勇者の存在を隠していた。

 そして…


「はぁ…。はっきり言いなよ。消したんだよね。帰るとか言い出す前に」

「消したのは、アナタが戻ってくると分かった後よ。神としての良識は持っているのよ。よそ様の世界にタイムパラドックスを起こすわけにはいかないし」


 ユウが戻った瞬間に四人の勇者の存在を消した。躊躇なく一瞬で消した。


「どの口が言ってるんだよ…。完全に歴史が変わってるんだが…」

 

 と、関係ない世界の話はさておき。


「別にいいでしょ。元々、アナタはいなかったんだから。…で、マリス?いいえ、ユウ。その気持ちは本物なのよね?」

「俺は本物だ。こんな気持ち…。多分、いや間違いなく初めてだし。毎回死んでたんだから、今回の俺は今回の俺。ってことは初めてだし‼」

「何、その微妙な言い方…。っていうか、ウチは本物だし‼」

「あらそう。それなら、それでいいじゃない。今、アナタが考えていることがそのまま答えで良いわよ」


 マリス、いやユウは目を剥いた。


「…ご都合主義ってこと?」


 そして、この言葉に今度はカルタが目を剥く。

 ご都合主義…、それって


「世界の終わりなんて、大体そうでしょ。そこに理由をつけるのが、神の子であるアナタの仕事。理屈を掘ったら、この子は消えてしまう。この世界の人間のほとんどが消えてしまう。だから、良い理由を考えなさい」

「…無茶を言うなよ。そんなこと言ったら、最低のエンディングにするぞ。その為の伏線は張りまくってたし」


 ユウの溜め息に、カルタはまさかと彼を二度見、三度見くらいする。


「いいじゃない。私は既に飽きていたってずーっと言い続けてたんでしょう?」

「いや、母さん。ちょっと待ってくれ。今、それっぽいのを考える。先ず、カルタたちが存在している理由は、なんてことはない。人間なんて新陳代謝で殆ど入れ替わる。脳細胞や心臓の細胞はそうではないかもだけど、生殖に使われる細胞は、毎回新たな細胞分裂で作られるから分子の入れ替わりは早い。で、その分子はこっちの世界で摂取したものだから、カルタたちの体は全部こっちの世界のものだ。だから、カルタは存在していい。みーんな存在していい。ナオキとサナの子供だって、現地調達ってことで大丈夫だ。結果が変わることはない…」


 ものすごい早口で言った。

 母親は半眼、この後パートナーになる娘も半眼。


「…分かった。もういい。俺がずーっと言ってきた最低エンドにするからな‼」


 彼の口癖は勿論、──泡沫うたかたのなんとやら


 そして、その影響を受けるのは──


     □■□


「──って、夢を見たんだけど」

「あ、僕もそんな夢見た。殆ど覚えてないけど」


 という二人。

 教室の隅でいつも二人。


「──って、感じ。変な夢だった」

「奇遇だな。俺も見たぜ、まぁ起きてすぐに忘れちまったけど」

「はぁ?なに、それ。」


 そして違う教室にいる二人。

 二人組同士が共にゲームをする日は、来るかもしれないし、来ないかもしれない。


     □■□


 で、最後にカルタが言う。


「夢…オチ…。ウチたちは夢の世界の住人ってこと⁉」

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俺、プロ賢者。勘違いしないで下さい。違うプロなんです。 綿木絹 @Lotus_on_Lotus

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