好きな子からの手作りチョコレート。本当は欲しかったはずなのに……

よこづなパンダ

好きな子からの手作りチョコレート。本当は欲しかったはずなのに……

 俺は、バレンタインデーが嫌いだ。




 つくづく、モテる奴はいいよな、って思う。毎年のように貰ったチョコレートの数を競って、自慢したりなんかしてさ。

 奴らにとってのチョコレートが、自尊心を高めるためのただの道具だというのなら……1つくらい、俺にも分けてほしい。


 本当は、俺だって夢を見たい人生だった。

 しかし、現実というのは残酷なものだ。俺がもしモテる奴だったら、絶対にそんなことで張り合ったりしないのに。個数で比較なんてしないのに。チョコレートをくれた女の子の1人1人の気持ちと、ちゃんと向き合うのに。


 それなのに、そんな俺の元には生まれてこの方、一度もバレンタインチョコが届いたことはない。




「お前は何個貰ったんだよ?」


 中3の頃。

 何気なく訊いてきた友達の言葉が、俺の胸にはグサリと刺さった。


 そいつは勉強も運動も得意で、顔も良くて、俺からすれば何もかもが完璧な奴だった。だから、そんな彼には何の悪気もなかったことくらいわかってるし、彼はきっと、0個な奴がいるって事実すら、考えたこともなかったのだろう。


「教えるかよ。……お前の思った個数がそうなんじゃねぇの」


 俺の苦し紛れの返答に対し、じゃあ3つくらいかな、なんてさらっと言ってしまうあたり、本当に悪意なんてなかったのだろう。しまいには、お前は優しいから陰でこっそりモテるタイプだよな、なんて褒められて。


 俺は苦いものを嚙むような顔で歯を食いしばっていたけれど、別の高校に進学したあいつは、そんな俺の様子にさえ、気づきもしなかった。

 ただただ、惨めだった。

 同級生に上から目線で嫌味を言われているようにしか、俺には感じられなかった。



 いっそのこと、正面から馬鹿にしてくれた方が、ネタにできるのに。

 そうやってみんなにイジられて、それで笑っていられるような性格に生まれて来られたら、良かったのに。



 俺は、もうあんな辛い思いなんて味わいたくなかった。

 だから……




♢♢♢




 高校に入って、初めての2月。


 義務教育が終わって新たに知り合ったクラスの仲間とは十分に打ち解けて、かつ残りわずかでクラス替えになるという、積み重ねられた想いにけじめをつけるにはうってつけの時期に、バレンタインデーというのはやってくるのだから、よく考えられたものだよな、と思う。


 来年になればこの時期には少しずつ受験を意識し始め、再来年になれば卒業でバラバラになるのだから、実質このバレンタインデーに恋人を作れるか否かで、高校生活の恋愛が充実するかが決まるといっても過言ではないだろう。


 俺はクラスの友人たちと、今日もいつものように休み時間に他愛もない会話をしている。とはいえ……勿論、頭の片隅には一週間後に控えたバレンタインデーのことがあった。


瑞斗みずと。お前は、好きな人とかいないのかよ」


 そう俺に話題を振ってきたのは、クラスで1番のお調子者と言われている照之てるゆきだ。


「おっ?瑞斗の恋バナか?興味あるなー」

「お前いつもクールぶって、そういう話に全然興味がなさそうにしやがってなあ」


 他の奴らも照之に便乗してくる。客観的に捉えれば、いつもの悪ノリに過ぎない。

 しかし、そんな友人たちを見て、俺は……普段は近くに感じている彼らのことを、急に遠い存在に思った。


 中3の頃の、あの苦い記憶が蘇る。

 俺は別にクールなキャラなんかじゃない。


 ただ、モテないんだよ。


 俺にはなんの取り柄もない。

 勉強も運動もずば抜けてできるわけではなく、身だしなみは一応は意識してるけど、きっと元の顔はそんなに良くない。

 なにせ、人生で一度もバレンタインデーにチョコレートを貰ったことがないのだから。


 でも……


 そうやって俺の反応に興味を示している友人たちは、きっと違うのだろう。

 そわそわしている様子からして、彼らにとってはおそらく、とても楽しみなイベントなのだろう。


 ―――だからこそ、俺ははっきりと彼らに伝える。

 これ以上彼らに踏み込まれぬよう、壁を作って殻に閉じこもる。



 あの日のような気持ちを抱かずに済むように。



「バレンタインデーの話なら、俺、チョコレート好きじゃないから」




 ―――チョコレート、好きじゃない。

 これが、俺がこの日のために用意していた台詞だ。


 好きじゃないから、要らないから、というニュアンスを予め示しておけば、チョコレートを貰えなかったときの精神的ダメージはかなり軽減される。

 本当は……甘いものは好物で、チョコレートも結構な頻度で食べているけど。

 真実というものは、ときには伝えない方が上手くいくことだってある。

 実際、俺の思惑通りに話は進んでいった。


「あー、瑞斗ってそういうキャラって感じするわー」

「なんか大人な雰囲気っていうかさ、ブラックコーヒーとか似合いそうだよな」


 友人たちはそう言って、前向きに捉えてくれる。クラスで一番のイケメンであるかけるも、うんうんと真面目な顔で頷いていた。


 唯一、お調子者の照之にだけは通用せず、


「じゃあクラスの女子に聞こえるように俺が宣言しておいてやるか!」


なんて言うものだから、俺は「やめろよ」と慌てて制すると、


「なんでだよ、折角頑張って用意したのに瑞斗に嫌な顔をされたら、その子が可哀想じゃん」


って……照之というやつは……。


 そのせいで結局、俺の胸は少しだけチクリと痛んだわけだが、それでも何も宣言せずに、チョコレートを貰えなかっただけの未来に比べたら、軽い痛みだ。


 ……これは、痛みの先行投資。

 そう自分に言い聞かせると、胸の内がすっと軽くなっていった気がした。




 そうしているうちに休み時間は終わり、チャイムが鳴って皆が席につく。やがて、次の授業が始まった。

 これ以上傷つかずに済んだことに俺はひとまず安心しつつ、しかし、本当の自分はといえば……



 期待なんかしてない。

 欲しいなんて、思ってない。


 だけど、だけどさ。


 ―――やっぱり、あの子が、誰かにチョコレートをあげるのかな、とか、どうしても気になっちゃうじゃないか。



 古典の先生の退屈な話を聞きながら、俺はこの前の席替えで離れてしまった彼女の、その座っている席の方角を……つい目で追ってしまう。


 さっきは話題をすり替えて誤魔化したけど、本当は……俺には気になっている子がいる。

 いや、もう気になるとかではなくて……


 好きな子が、いるんだ。




 門崎かどさき 海夏みなつ

 サラサラの黒髪をボブカットにして、大きめの可愛らしい目とその……胸が特徴的な、俺とは正反対の、根っからの明るい子。


 そんな彼女の視線が黒板とノートを往復し、そのせいで揃えられた髪の毛先がサラサラと揺れる様子に、俺はつい見惚れてしまう。


 海夏には、好きな人って、いるのかな。


 彼女とは前までの席が隣同士で、それをきっかけに彼女の方から話しかけられて、それ以来少しずつ仲良くなっていくにつれて、俺の心は次第に惹かれていった。


 自分でも、チョロいなって思う。

 それでも、彼女が俺に向ける笑顔はいつだって眩しくて、面白みのないであろう俺の真面目な話とか、楽しそうに聞いてくれて……


 誰にでも優しい彼女のことだ。

 勘違いしてはいけない。

 ずっと自分にそう言い聞かせていたはずなのに……


 頭では理解していても、心はわかってくれない。


 俺と話すときだけ一呼吸置いてから話しかけてくるところとか、他の人と話すときとはどこか異なる彼女を知るたびに、俺の心は乱されていく。


 口下手な俺に合わせるために、色々と工夫してくれてるだけだってことくらい、わかってるのに。


 どうしても、自分は彼女にとっての特別なのではないか、と思いたくなってしまう。


 ありもしない夢を追っても、苦しくなるだけだというのに。


 今だってそうだ。新しい席になってから、彼女と会話できる機会は減ってしまった。しかし、友人の多い彼女にとっては、俺との会話が無くなったところで、きっとそれは些細なことだろう。でも、そう思うと、辛くなる。


 そして……彼女のことを見ていると、時々、授業中だというのに目が合いそうになるせいで、俺はさらに勘違いをしてしまいそうになるけど、その視線の本当の意味だって……


 気づきたくない事実だったけど、俺はもう知っているんだ。

 ―――というか、誰だってすぐに気づくことだ。



 海夏は、俺ではなく、俺を超えたその先に座っている、翔のことを見てるってことくらい、さ。



 わかってるさ。

 でも、ふいにこっちへ向けられたその顔をチラッとみて、可愛いなと思うことくらいは、許してほしい。



 海夏は、チョコレートを翔に渡すのだろうか。



 ふと、考えたくもないことを、つい考えてしまう。

 俺の心はいつだって天邪鬼で、冷静でいようとする脳の邪魔をする。


 彼女の笑顔を独り占めできる男が、羨ましい。

 俺は心の中で海夏、と呼びながら、彼女のことは面と向かっては門崎さん、としか呼べたことがない。


 海夏、と呼べる男が羨ましい。


 そしてそれは……きっと翔で、でもあいつはモテるから、海夏を選ぶとは限らない。


 いや、海夏より良い女の子なんていないから、やっぱり彼女を選ぶだろう。彼女の笑顔を守ってほしい。


 でも、もし振ってくれたとしたら、俺にも……




 そうやってまた、ありもしない夢を見ようとする自分の心を押し殺す。


 黒板に向き直した海夏の横顔は、今日も最高に綺麗だった。




♢♢♢




 ―――あれは、席替えになる直前のこと。

 1月の終わりのことだ。


 席替えの直前というタイミングで日直が回ってきて、放課後の教室にて、俺は海夏と2人きりで学級日誌を書いていた。


「ねぇ、瑞斗くん」


 日誌を書く手を止めて、彼女は突然俺に話しかけてきた。

 海夏は、いつも俺のことを下の名前で呼んでくる。

 そのせいで距離感覚がバグりそうになる。


 俺はそんな彼女への気持ちを必死で隠しながら隣を見ると、左手にシャーペンを握りながら、首を少し傾けて俺の顔を覗き込むように見つめつつ、笑顔を浮かべた海夏がじっと俺の目を見ていた。




「瑞斗くんは、その、好きな人とか、いるの?」




 そして、そんな彼女の突然の質問に、俺の脳は完全にバグった。

 ……なんで、そんなことを訊くんだよ。


「じゃあ、どんな子が好み?」


 しかし、無言でいた俺に、彼女は畳み掛けるようにそう尋ねると、学級日誌をパタン、と閉じた。

 そして、立ち上がったかと思えば、今度は座っている俺の目の前に立つ。


 元気な彼女は、よく動く。

 腰に手を当てて前屈みに覗き込むような格好で目の前に立たれると、制服のスカートが少しだけ揺れて、つい目を奪われる。

 それに、胸も……

 ―――そんな自分を悟られないように、俺は無表情を貫く。


 だけど……


「……私、とかは、どうかな?」


 海夏はそんな俺に、更に追い打ちをかけてきた。

 黙り続けていた俺に対し、彼女はそう言いながらくるりと俺の目の前で1度回ったのだ。

 その姿は……あまりに可愛らしくて、思わず息を吞むほどだった。

 スカートの裾はひらりと揺れて……不覚にも心臓が跳ねた。



 ……ダメだ。ダメだ。


 抑えろ。沈まれ、俺の心。


 俺は慌てて、思考を会話の内容へと切り替える。

 ……しかし、その内容も俺の心を揺るがすには十分すぎて、どうしても落ち着くことができない。



 ―――馬鹿か、俺は。

 彼女の発言に、どんな意味があるっていうんだ。

 海夏が、自分に気があるとでも思ってるのか。



 そんなこと、たとえ天と地がひっくり返ってもあり得ないだろう。

 だとしたら、海夏は……



 そうだ。

 俺のことを、いじって遊んでいるだけだ。



 自分の中で1つの答えが導き出された途端、急に悔しさがこみ上げてくる。

 自分の気も知らずに、余裕ぶって、そんな目の前の女の子に対して……暗い感情が湧いてきたのは、これが初めてのことだった。




「ふざけんなよ。馬鹿にしやがって」




 なんとかそう言い返すことができた。

 それでも、惨めだった。

 情けなくて、そんな彼女に魅了されている自分が、嫌になった。


「そ、そっか……。そうだよね……うん、なんか、ごめんね……」


 しかし、拗ねたともとれる俺の様子を見て、満足げに勝ち誇った表情を見せると思われた海夏は、何故だが急に申し訳なさそうな態度に変わり、伏し目がちに表情を歪ませた。


「……今の、やっぱりナシで!忘れて?……じゃ、私、帰るねっ」


 そう言い残すと、書き終えた学級日誌を先生に届ける役の俺を1人教室に残して、急いで走り去っていってしまった。



 その直後に席替えがあり、俺と海夏の関係は途絶えた。




♢♢♢




『はあ……』


 今日に限って悪い夢を見て、2週間以上も前のあの日のことを、思い出してしまうなんてな……

 そのせいで一日、何をしてもずっと上の空だ。


 ―――そう。どんなに嫌でもその日は訪れてしまったのだ。

 今日は、バレンタインデー当日である。


 不審がられぬよう、俺は休み時間をいつも通りに友人たちと過ごしているが、事前の牽制の効果があったのだろうか。今のところ、チョコレートをいくつ貰ったのか、尋ねられる様子はなかった。


 俺は、『チョコレートが嫌い』だから。


 それでも一応、登校時に下駄箱や机の中はチェックした。

 それは勿論、万一、中に入っていた場合に溶かしてしまうと厄介だからというだけで、決して期待していたとかではない。


「翔、お前、何個貰ってるんだよ?え?10個か?え?」


 俺の代わりに、というわけではないと思うが、今話題の中心にいるのは、翔だった。

 照之の煽りに対して、いやいやそんなんじゃないよ、とクラスで一番のイケメンである彼は謙遜する。


 そんな態度を取られると、こっちはかえって惨めになる。

 やめてくれよ。


 そんな逆恨みにも等しい感情を抱いたまま、俺は翔に目を向けたのだが……今日の翔は少し表情が曇っていた。

 というか、どこか自信なさげに俯いていた。


「え?ま、まさかまだ……0個だった?わりぃそんなつもりはなくて……」


 慌てた照之に対し、いやいやそうじゃなくて、と訂正する翔に、俺の心は若干抉られたのだが。


 しかしそんな俺には構わず、ここだけの話だぞ、と言って、小声で俺たちにだけ聞こえるように話し始めた内容に……


 ―――俺の心はさらに抉られることになった。


「俺、実は5日前に、告白したんだ」


「ええっ!!!」


 驚きのあまり、皆の大きな声が響いて、クラスメイト全員がこちらを向く。

 慌てて翔は声を抑えるように呼びかける。


 やがて、皆が元の様子に戻ってから、翔が小声で漏らした名前は……



「門崎さん。ずっと、好きだったんだ」






 初耳だよ〜とか、水くさいぜ、とか、口々に言っているけど、周囲の盛り上がりに反比例して、俺は周りの声を拾えなくなっていった。



 嘘、だろ……


 勝てるわけ、ない……


 でも、あの海夏だ。お似合い、だよな……


 ズキズキと胸が痛む。



 ふと、海夏の方を見る。


 ちょうど彼女もこちらの様子を伺っており、うっかり目が合ってしまった。

 彼女は少し、気まずそうな顔をしていた。



 海夏は、やっぱり、チョコレートを、翔に……



 俺は現実から目を背けるように、慌てて彼女から目を逸らした。






 結局、放課後になっても、今年も俺の貰ったチョコレートの数は0個のままだった。

 最後に下駄箱の中身を確認して、はあ、と溜め息をつく。


 まるで期待していたみたいで、馬鹿だなと苦笑する。そんな俺だったが……


「瑞斗くん!」


 後ろから勢い良く俺を呼ぶ声がして、振り返る。

 そこに立っていたのは、慌てて走って俺のことを追ってきた様子の、黒髪のボブカットを揺らして、肩を上下させている可愛い女の子だった。


「今から、その、話したいことがあって、校舎裏に、来てくれないかな?」



 え……?



 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。



 え……海夏……?

 ヤバい。ヤバいって……



 そんな夢のようなことが起こるはずがない。

 第一、海夏は翔と両想いのはずだろ。


 そう自分に言い聞かせつつ、その一方で、今日という特別な日にわざわざ急いでこの俺に声を掛けてくれたことで、つい『何か』に期待してしまう自分もいて、そんな気持ちを押し殺すように、俺はぶっきらぼうに、わかった、とだけ返事をした。


 それから、俺は海夏に連れられて、2人で人気ひとけのない方へと進んでいく。

 校舎裏とは言ったが、まさかこんな奥の方まで行くとは思っていなかった。

 草が鬱蒼と茂っており、スカートから覗く彼女の綺麗な素足にチクチクと刺さっていて少し痒そうだ。


 それでも、彼女はずんずん先へと進んでいく。

 どうしても、他人には見られたくないらしい。

 いったい、彼女の話したいことって……?




 やがて、ここまでくれば大丈夫、と彼女は呟くと、少し開けた場所に辿り着いていた。

 1年間通ってきた高校だけど、こんな場所があるとは知らなかった。


「あのね、瑞斗くん……私、私ね……」


 俺の目の前に立った海夏は、ゆっくり、ゆっくりと、語り始めた。

 しかしそれは、何かを躊躇っているようにも見えて……






「好きな人に、フラれちゃったんだ。告白する前に、終わっちゃった」




 ―――とうとう意を決したかのように、続きを話した彼女は、そう言って、不器用な作り笑いを浮かべた。


 それは、彼女には似合わない笑顔だった。


 この時点で、俺は戸惑いを隠せなかった。

 こんなに可愛い彼女がフラれるところを、想像できなかったから。


 そして、次の言葉を聞いた途端……




 俺の思考は完全にフリーズした。




「私ね、瑞斗くんのことが、好き、だったの」






 ……え……




 好き、だった……


 俺…俺を……









「あー!スッキリした!」


 そう言うと、彼女は伸びをする。腕を上に持ち上げることで胸の膨らみが強調され、勝手に俺の目は追ってしまう。


 ―――そうすることで、無意識のうちに話の内容の衝撃を忘れようと思考が働いていることにすら、俺はすぐには気づくことができなかった。

 それくらい、海夏の告白に、混乱していた。


「ちょっとは、びっくりしてくれた?」


 そう言って、また、海夏は作り笑いを浮かべた。


 やめろ……やめろよ、その表情。

 それは、胸が締め付けられるほど、辛そうな顔だった。

 こんな顔の海夏は、見たことがなかった。


「私ね、あの日の後、泣いちゃって……ハハ……馬鹿だよね私……ふざけんな、馬鹿にしやがって、って言われて、やっと自分が瑞斗くんの隣に立つのに相応しくない女の子だって自覚して……こんなお喋りでうるさい人なんて、瑞斗くんの好みじゃないことくらい、誰だってわかることなのにね……でも、どれだけ泣いても、どうしても割り切れなくて。だから、これは私のけじめなの。この前読んだ漫画に、好きだった人に気持ちを伝えて、ちゃんと玉砕して、そしたら前を向けるって話があって、だから実践してみたくなって」


 話が見えない。

 海夏は、何を言って……

 そもそもあの日って……



 あ……

 日直の、日誌を書いてたあの……




「ごめんね、こんなことに時間を取らせちゃって。でも、これは私なりの復讐だぞっ?少しは、私のことを女の子として意識してくれたかなっ!でも、今更好きになっても、もう遅いぞっ!」


 茶目っ気溢れる言い方で、無理に笑おうとしているけど、目にはうっすらと涙が浮かんでいることに、気づいて、俺は……


「私ね、実は翔くんに告白されたの。でも、私の我儘で、もう何日も返事をできてなくて……だから、私、翔くんの部活が終わったら……今日、ちゃんと返事をしようと思ってて」



 ……やめろ、やめてくれ。

 あれは、言葉の綾で……



 誤解なんだ。

 だから、翔に返事をするのは……



 ……やめてくれよ……




「でも、の材料が余っちゃったから、特別にこれ、あげるね」




 うわああああああ……




 俺の脳内は完全に壊れてしまったけど、気持ちが顔に出ないってよく言われる俺は、一体今、どんな表情をしているのだろう。

 

「瑞斗くんは、チョコレートが嫌い、なんだよね?だから、これは私からの復讐を込めた義理チョコなのだっ!罰として、ちゃんと受け取ってよね!」


 そう言ってラッピングされた小箱を渡してくる海夏。


 ―――それは、俺が、隠していた心の内で、本当は欲しいと思っていた、好きな子からのチョコレート。




 ……のはずだったのに。


 なせだろう。こんなにも……




「じゃあね、瑞斗くん。私みたいな可愛い子を振ったことを十分に後悔して、それから……誰にも負けないくらい可愛い彼女を作って、ちゃんと……幸せに、なってね」


 最後にそう言い残して、まるでこの場から逃げるように走り去っていく海夏の背中を。



 俺は結局、ただただ見届けることしかできなかった。






 本当は、行かないでほしかった。


 俺の元から、離れていかないでほしかった。


 翔のところへ、行かないでほしかった。




 でも、俺には彼女を止める資格がなかった。


 彼女は、もう前を向いている。

 次の恋へと、動き出そうとしている。


 そんな彼女の決意を……


 踏みにじるような真似だけは、どうしてもしたくなかったから。




 そう。

 だから、俺には本心を伝える勇気がなかったとか、傷つくのが怖かったとか、そんな気持ちは全くない。

 俺が海夏を止めなかったのは、決してそんな理由ではないんだ。



 俺はこの場で、海夏から受け取った箱の包みを引きちぎる。

 溢れてくる感情に任せて、綺麗に包装された紙をビリビリに破いてみた。


 ―――でも、どれだけ思いを物にぶつけたところで、失われた感情は戻ってはこなかった。


 箱を開けると、1枚のメモ紙が入っていた。



『好きだったよ、バーカ☆』



 あの日の日誌と同じ、女の子の可愛らしい丸文字気味な筆跡で書かれていたのは、たった一文だけ。



 それなのに、バカ、の言葉が、こんなにも胸に突き刺さるのは、何故なんだよ……



 ―――今ここで、このタイミングで、この紙を捨てることができなかったら、俺はきっと一生、これを持ったままだろう。


 だから俺は、その紙切れを握り潰そうとして、


 でも手に力が入らなくて、


 視界がぼやけて、


 あれ……






 俺は箱の中にそれをしまい込む代わりに、綺麗に箱に並べられているミルクチョコレートを1粒だけ手に取った。


 それは、きっと俺が素直でいられたら、本命になるはずだったチョコレート。



 いっそのこと、叶わない恋だって思わせてほしかった。

 海夏には、俺とは何もないまま翔の告白に対してだけ、はい、と返事をして。

 それで俺に、お前らお似合いだな、って言わせてほしかった。



 手作りに見える1口サイズのそれは、チョコレート嫌いの俺には勿体ないほど、綺麗な形をしていた。




 ふざけんなふざけんなよ俺はずっとお前が好きだったんだぞ

 手作りとか、義理であげてんじゃねえよ……




 だけど、そんな俺の思いは、彼女に届くことはない。

 届けたところで、折角前に進もうとした彼女の邪魔をするだけだ。

 今更、何をしようとも、もう遅かった。


「ふざけんなよ。馬鹿にしやがって」


 彼女が俺の言葉のせいで味わった気持ちを考えたら、この胸の痛みはきっとちっぽけなもので、だから俺は、この罰を受け入れなければならないだろう。


 


 本当は欲しかったはずの好きな子からの手作りミルクチョコレートは、とても甘いはずなのに……何故だか苦い味がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

好きな子からの手作りチョコレート。本当は欲しかったはずなのに…… よこづなパンダ @mrn0309

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ