老少不定
三鹿ショート
老少不定
将来を期待されていた会社の後輩が不慮の事故でこの世を去ったことを知ったとき、私は己が何故生きているのかと問うた。
私ではなく、後輩が生き続けていた方が、多くの人間にとっての利益となることは確実である。
だが、私が生きていたところで、何が出来るのだろうか。
容姿も能力も平凡であり、自信を持つことができるものなど、何一つ有していないのだ。
そのような人間が生きていたとしても、喜ぶ人間など存在していないだろう。
公園の長椅子に腰を下ろしながら考えたとしても仕方がないことを考えていたところ、不意に隣から声がかけられた。
「あなたは、未来を知らないだけなのです」
突然の言葉に、私は驚きを隠すことができなかった。
先ほどの思考は口に出してはいなかったために、隣に座っている彼女は、私の心の声に反応したということになるからだ。
私が無言で見つめていると、彼女は口元を緩めながら手元の本を開き、頁をしばらく繰った後、私に本の内容を見せてきた。
其処には、この世を去った後輩について記載されていた。
しかし、奇妙なことに、其処には後輩がこの世を去った後についても、記載されている。
私が首を傾げていると、彼女は本を閉じながら、
「確かに、あなたの後輩は優れた人間だったのでしょうが、生き続けていれば、結婚相手を苦しめることになっていたのです。嫉妬のあまり、他者と接触させないために、自宅に閉じ込め続けるという行為に及ぶのです。その結婚相手の幸福を思えば、この世を去って正解だと言えるでしょう」
彼女が何を言っているのか分からなかったために、私は彼女を見つめることしかできなかった。
そんな私に対して、彼女が笑みを崩すことはなかった。
***
信じがたい話だが、彼女はあらゆる人間の未来について知っているらしい。
彼女が手にしている本に記載されているようだが、それにしては頁が少ないのではないか。
それを問うたところ、彼女は本を掲げながら、
「此処には、あなたが人生において関わる人間だけが記載されているのです。本の内容は、自由に編集することができるのです」
私は納得しそうになったが、踏みとどまった。
そもそも、彼女のような特異なる存在が、何故私の前に姿を現したのだろうか。
私の疑問を察したのか、彼女は口元を緩めると、
「あなたが自分の存在価値に絶望し、この世を去ってしまうのではないかと恐れたためです」
彼女の言葉に、私は首を横に振った。
「其処まで深刻に考えていたわけではないが」
「そうですか。杞憂で終わって、良かったです」
彼女は公園で遊んでいる子どもたちを眺めながら、
「確かに、あなたは優秀な人間ではありませんが、関わった人間を不快にさせたりすることがない、貴重な人間なのですよ」
そのようなことを言われたことがないために、即座に信ずることができなかった。
疑いの眼差しを向ける私に対して、彼女は苦笑した。
「他の人間に比べると、優先されるような存在ではありませんが、あなたという人間は、他者を傷つけることはない、無害なる存在なのです。誰もが誰かを傷つけるこの世界において、あなたのような人間は、我々にとっては最も重要な存在なのです」
そう告げると、彼女はやおら立ち上がった。
そして、私に目を向けると、
「あなたの人生はあなたのものであり、あなたがどのような選択をしたとしても、責められるようなことではありません。ですが、あなたは自分が思っているよりも素晴らしい存在であるということを憶えていてほしいとも思います。その上で、あなたがどのような行動をしたとしても、我々はあなたを糾弾するつもりはありません」
そのような言葉を吐くと、彼女は頭を下げた後、公園を後にした。
彼女の姿を見ることができなくなると、私は天を仰いだ。
彼女が本当に人間では無い存在なのかどうかは不明だが、彼女の言葉は、私の慰めにはなった。
平凡な人間なりに、しばらくは平凡に生き続けてみようかと考えさせるほどの、小さなものではあるが、彼女の言葉を忘れることはできなかった。
***
「あのような何も成すことがない人間を、何故生かそうと決めたのか、私には理解することができない。それならば、彼の後輩に対して、自動車には気を付けるようにと言った方が良かったのでは無いか。確かに、彼の後輩は、結婚相手を苦しめることになるが、それを抜きにすれば、この世界にとっては役に立つ存在だったはずだ」
「彼を生かし続ければ、そのような欠点を持たず、そして、この世界にとって有益な存在が誕生するのです」
「そのような人間など、存在していたのか。私は知らないが」
「やがて誕生することになる、彼の子どもです。彼の子どもがこの世に現われるまでは、何としても彼には生き続けてもらわなければなりませんから、そのためには、彼に対する助言を止めるつもりはありませんよ」
老少不定 三鹿ショート @mijikashort
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