忘れなくとも

増田朋美

忘れなくとも

その日はなんだか大規模な低気圧が日本列島を通過するとかなんとかで、とにかく寒い日であった。朝晩は寒いのは当たり前だが、それでも日中日がささないので寒いのだと思う。そんな寒い日が続いていて、たしかに、ちょっと生きるのが大変だなと思う日もあるのだが。

杉ちゃんとジョチさんは、お互い寒いなあと言い合いながら、用事があってでかけていた。ちょうどたまたま、踏切に差し掛かろうとしたとき、踏切の真ん中で呆然と立っている女性を見つけた。すぐに何をしようとしているのかわかってしまった二人は、

「おーい、こら!ちょっと待て!」

杉ちゃんに一声で女性は逃げていこうとしたが、ちょうどこのとき、踏切の警報機がカンカンカンカンとなり始めてしまったので、杉ちゃんのちょっと待てという声と同時に、仕方なく、踏切を出るしかなかった。それと同時に杉ちゃんとジョチさんの二人は、その女性の近く迄たどり着いたのであるが、

「お前さんいくつだよ。」

と杉ちゃんに言われるほど女性は背丈が小さかった。これでは女性というより、女児というべきなのかもしれないと思われるくらい幼い女性であった。

「もう一度聞きますが、あなたの年齢を教えてください。」

ジョチさんにそう言われて、彼女はもうだめだとでも思ってしまったらしい。泣きそうな顔をして、

「13歳の中学生です。」

と、答えた。

「で、お前さんの名前は?」

杉ちゃんが聞くと、

「上村実莉です。」

と彼女は答えた。

「それでは、お前さんのお父さんとお母さんは?」

杉ちゃんがそう言うと、

「パパやママには言わないで。ママ泣くから。お願いします。」

という答えが返ってくるのである。

「そういうことだったら、ちゃんと何があったか、話をしてもらわないと困りますね。まず初めに、ああして踏切の前に立っていたということは、尋常な出来事ではありませんからね。」

ジョチさんがちょっときつい言い方をすると、

「まあ、ここでは寒いから、製鉄所へ連れて行くか。お前さん腹減ってるだろ。だいたいな、悩んでいるやつは、大体腹が減ってるんだよ。そういうことなら、カレーを食べさせてやるから、悪いようにはしないから、ちゃんと話そうね。」

杉ちゃんに言われて、上村さんは、小さな声でわかりましたと答えた。三人は、近くのバス停留所からバスに乗り、富士かぐやの湯のバス停で降りて、製鉄所へ入った。上村さんは、鉄を作るところでは無いことに少しびっくりしていた。とりあえず杉ちゃんに、カレーを作ってもらい、上村さんは、最初カレーを食べることを緊張していてためらっていたが、一度カレーを口にしてしまうと、ものすごい勢いで食べ始めた。そういうところは、やはりまだ子供だなと杉ちゃんたちは言った。

「それで、お前さんは、どっから来て、どこへ行くつもりだったのかな?どこの学校に通っていたのかな?」

杉ちゃんに言われて、上村実莉さんは、

「はい、川村中学校です。」

と、小さな声で答えた。

「川村中学校ですか。名門の私立中学ですね。それなのになぜ、踏切に立っていたのですか?」

ジョチさんに言われて彼女は、

「高校受験の勉強に絶えられなかったからです。」

と言った。どうやら、まだ一年生なのにもう高校受験の話をしているらしい。それでは、学校生活をエンジョイするなんて言う言葉はもうないのかもしれない。

「そうですか。たしかに、受験は大変なことでもありますからね。難しいところではあるんですけど、逆にそれに勝たないと安全圏にいられないという社会構造が問題ですよね。」

ジョチさんは、大きなため息をついた。

「本当にそれだけですか?受験だけでは無いでしょう?なにか別の理由があったのではないですか?単に受験で大変だと言うのなら、ああして踏切に行くとは思えないですよ。」

ジョチさんはあえて聞いてみた。単に受験のストレスというだけでは無いような気がしたからである。

「なにか悪い事件でもあったのではないですか?」

「実はそうなんです。私、とんでもないことをしてしまったんです。」

上村さんは、そう話し始めた。

「そうなんだね。じゃあ初めから聞かせてもらおうか。それから終わりまでちゃんと聞かせてもらう。ちゃんと、話せないと解決への道が遠くなってしまうぞ。」

杉ちゃんがそう言うと、上村実莉さんは、時々しゃくりあげながら、こう話したのであった。

「実は私、人殺しなんです。何の罪もない人を殺してしまった。私はどうしたらいいのかわからない。担任の先生も気にしないでいいといいますけれど、私はそうは思えなくて、それでもう私が死ぬしか無いと思って、あそこへ行きました。」

「はあ、それはどういう意味なのかな?」

杉ちゃんがすぐに言った。

「もっと具体的でわかりやすい意味で話してくれるか?」

「同級生の男子が、自殺してしまいました。クラスが悪ふざけをしていたのが原因です。私は直接関わったわけではないですけど、でも彼を自殺にいたらしめてしまったことは事実ですから、だからもうだめなんじゃないかって。」

「はあなるほどねえ。」

杉ちゃんは、彼女に言った。

「確かに、それは大きなことだよな。だって、その男子生徒はもう帰ってこないんだもんな。それはやっぱり辛いと思うよ。確かに、お前さんは、辛いよな。そうやって自分を責めてしまっては、だめだと言っても通用しないでしょう。それくらい、大きなことだったと思うよ。」

「しかし、それではその男子生徒が、どうして自殺に追い込まれたのかも、気になるところですね。学校の中でなにか事件があったのでしょうか?もちろん学校なんて隠蔽の温床ですから、外部の人にそのようなことが漏れないようにしてしまうこともあると思いますが、、、。」

ジョチさんがそうきくと、上村実莉さんは、

「はい。クラスの中で、その子がいじめられてて、多分いじめた子たちは、その子が消えてもいいとか、そういうことを感じていなかったんじゃないかと思います。その子が自殺してしまっても、いじめた子たちは、平気な顔してましたから。あたしは、そんな学校にいるのが耐えられなくて、本当に死んでしまうしか無いと思ったんです。」

と、泣きながら答えたのであった。

「そうですか。わかりました。それなら、もう学校なんて信用出来ないとでも思ったのでしょうね。それは決して悪いことではないですよ。そういう事なら、大人がもうちょっとしっかり扱うことが大事なんですが、まあ、学校のすることですから、隠蔽しようとするしかしないでしょう。そういうことなら、それなら、学校を変わったほうがいいと思います。それで、またあなたの人生をやり直せばいい。しかしですね、まずあなたを受け入れてくれるところを探すことから始めるのが必要ですね。」

ジョチさんが、そう彼女に対策を話してくれたが、実莉さんはそれを受け入れることができないようであった。

「でも私が学校を変わってしまったら、彼を見捨ててしまうことにならないかって、それでいつもいつも考えていて。」

「うーんそうだねえ、そういう気持ちはとても優しい気持ちではあるんだと思うけどね。でもね、お前さんの人生は今で終わりじゃないからね。まだまだ、これからでもあるんだぜ。お前さんは、この地上に現れてから、13年しかたってないんだからな。それなのに、こんな時間なんかいらないなんて思うなよ。」

確かに、実莉さんの考えはとても美しいものではあったが、杉ちゃんはそういったのであった。確かにそれは大事なことでもあるのだが、彼女には、ものすごいたくさんの時間があることも忘れては行けない。そして、彼女は、杉ちゃんたちより長く生きることも忘れては行けないのだ。

「もちろん、解決はできないと思うよ。だけど、お前さんの人生はこれから始まりだ。もう終わりじゃないんだぜ。だから、お前さんは、これからの時間を無駄にしては行けないよ。」

「そんなことわかってます。それは彼に対して、非常に申し訳ないことであることもわかります。だから私は、死のうと思ったんです。直接彼のいじめには関与してなかったとしても、止めることもできなかったし、結局彼を自殺に追いやってしまったのも私達です。たしかに殴るとかそういう事した人たちも悪いですが、私が止められなかったのも悪いと思います。だから私は、死ぬしか無いと思いました。」

杉ちゃんに言われて、実莉さんは反論した。

「そんなことはない。死ななくても、彼への償いはできるんじゃないか?それはやっぱりな、その亡くなった彼の分まで生きるってことが大事なんじゃないかな。」

杉ちゃんに言われて、彼女は、ウンウンとうなづいていたが、でもなにか納得できない様子だった。たしかに、その男子生徒はもうこの世にいないことも確かだし、二度と帰ってこないのも確かなのだ。それの原因を彼女が作ってしまったのも確かなのだ。それははっきりしているが、そのあたりをもう少し聞いてくれる大人が圧倒的に足りなすぎる。いくら、カウンセリング事業所が増えていると言っても、何の役にも立たないと言われても仕方ない。

「そうですね。こういうところをもうちょっと大人が方向を指し示してやれば、救われる子供さんは多いと思うんですけどね。全く、資格だけ作ってもなんにも役にたちませんね。資格とっても話にならない援助者が多すぎますからね。きっと学校の先生なんかも、仕事が膨大すぎて、事件の詳細まで手が回らないのでしょうね。」

と、ジョチさんは大きなため息をついた。

「でも、それを批判しても始まりません。それなら、僕たちで、彼女をなんとかしなければなりませんね。ちなみに、川村中学校は静岡市にある学校ですが、あなたはどちらにお住まいですか?」

「富士市に住んでいます。」

ジョチさんがそうきくと、彼女は答えた。

「そうですか。わかりました。それでは学校が終わってからでいいですから、こちらに何回か来ていただいて、援助者の方とお話するような感じで、心のケアをしていただきましょうか。放置しておくと、逆のパターンに陥ってしまう可能性もありますから。ここは、大人がちゃんと方向性を示してやるべきですよ。」

ジョチさんは、そう言って、スマートフォンをカバンの中から出して誰かに電話をかけ始めた。それを見て、実莉さんは不安そうな顔をしていたが、

「大丈夫だ。お前さんのことを援助してくれるやつにあわせるだけだ。何も心配はいらないよ。お前さんは、僕らに任されていればそれでいいの。」

と、杉ちゃんが言った。杉ちゃんの言い方はちょっと乱暴なので、ちょっと怖い雰囲気もあったが、でも決して、悪人のようには見えなかった。

「それでは、お話が付きました。あしたこちらに来てくれるそうです。あした学校が終わったら、こちらにいらしてください。あしたの午後には来れるそうですから。今日は、早くご自宅へ帰って、安心して眠ると良いですよ。」

ジョチさんがスマートフォンをしまいながら、そう言ってくれた、とりあえずその日は、実莉さんは小薗さんの運転する車に乗って、自宅の近くに送ってもらった。ありがとうございましたと言って帰っていく彼女に、杉ちゃんたちは、13歳でこんな大問題に直面するとはと、可哀想な目で彼女を見ていた。

翌日、実莉さんは、約束通り、製鉄所にやってきた。川村中学校の制服を着ているが、それも、崩さずにきちんと着ているので、真面目な生徒さんなんだなと言うことが伺わせた。まあ、川村中学校といえば真面目な人ばかりというイメージがあるが、それも最近は崩れてきているとジョチさんは言った。それと同時に、こんにちはという声がした。そして、玄関の引き戸がガラリと開いて、

「玄関の引き戸から時計まで、13歩。」

と言っているのが聞こえてくる。ジョチさんと一緒に、実莉さんは玄関先へ行くと、黒い瞳に、黄色く濁った白目をして、白い杖を持った男性がいた。この人が、いわゆる心理療術師の古川涼さんだとジョチさんは紹介した。この人は、話を聞く専門家であり、どんなことでも話していいと、説明した。実莉さんが、

「はじめまして。私、上村実莉です。」

と自己紹介すると、涼さんは、顔をあわせることができないまま、

「よろしくお願いします。」

と頭を下げた。とりあえずジョチさんの手助けもあって、涼さんは製鉄所の食堂に入ってもらい、実莉さんと対面する格好で座った。そして、学校であったことを少しずつ聞いていってくれた。もちろんこういう作業には、ウンウンとただ聞いているのではだめで、時折そうなんだねとか、辛いんだねと言ってあげることが必要であるのだが、涼さんはそこをちゃんと知っていて時折相槌も入れてくれた。それによると、自殺した男子生徒の名前は森くんで、成績も結構よく優等生と言われていたらしいのであるが、体育はあまり得意ではなかったらしい。それで、他の女子生徒や男子生徒が、彼を殴る蹴るなどしていたようなのだ。実莉さんは、それに直接加わったわけではなくて遠くから眺めていたに過ぎなかったが、森くんとは席が近かったこともあり、彼が辛そうにしているのを見ていたという。それに声をかけてあげられなかったことも、実莉さんは激しく後悔していた。涼さんは、彼女の話を辛いねと言いながら聞くだけではなく、あなたは悪くありませんよと優しく話しかけてあげた。それも実は彼女には大事なことであった。

「それで私はどうしたらいいのでしょう。やっぱり学校を変わったほうがいいのでしょうか?」

実莉さんは涼さんに尋ねる。

「そうですね。できればそうしたほうがいいのかもしれませんね。あなたが、森くんと同じ環境にいて辛いのだと言うのならね。きっと森くん自身も辛いと思いますよ。周りの人に迷惑をかけてしまったとして。」

涼さんはそう答えてくれた。

「でも、森くんはもうこの世にはいませんよね。」

と、実莉さんが言うと、

「うーんそれはどうでしょうか。仏式では、何回か法要をしないと、成仏できないと言うじゃないですか。ほら、四十九日とか、色々やるでしょう。それは、より早く成仏してくれるように祈る儀式ですよね。それは、一年やさん年で片付くものではなくて、七年、十三年と、何回もやるわけですから、人間亡くなった人を忘れられなくて当たり前なんですよ。だから、いつまでもくよくよしていてもいいんじゃないかな。そうやって、お坊様とかそういう人のちからを借りてやっと亡くなった人は、意識の中から切り離されていくんだと思います。」

ときにはこういうスピリチュアルな話もしなければならないが、涼さんはそれも平気でしてくれた。それができるというのも、やっぱり療術師を名乗っているからだと思われた。

「だから忘れられなくて、申し訳ないとか、グズグズするなという人間の言葉は気にしなくていいです。それに劣等感を感じることも無いです。忘れられなくてもいいのですよ。大事なのは、二度と繰り返さないという気持ちのほうが大事ですから。」

「ありがとうございます。」

涼さんにそう言われて実莉さんは、そういった。

「だから、なくなるというのはそういうことです。あなたも、森くんが亡くなられて、忘れられない悲しみを背負うことになった。あなたは自分がそれができないから消えてしまいたいと思ったのでしょうが、あなたが消えれば、同じようにあなたのことを忘れられないで、苦しむ人が出てしまうでしょう。それを考えると、やっぱり自殺は行けないとはそういうことなんですよ。だから、あなたも与えられた時間はちゃんと生き抜かないとね。」

「そうですか、、、わかりました。私、自分のことしか考えてなかったんだ。だから、周りの人のことを考えてなかったんですね。私のように忘れられなくて苦しいと思う人がいることを考えると、たしかに消えてなくなろうとは思わなくなると思います。」

実莉さんは、ちょっと考えながら言った。

「そうなんです。忘れられないというのは苦しいことですよ。本来はしなくてはならないのかもしれないけれど、それができなくて苦しいのですから。口では簡単に言えますが、それができない苦しさは、誰にもわかりませんし、時には前述したとおり、法要をしたり、お経などの力を借りなければならないこともある。だから、それを他人に強要させてしまうのはやめたほうがいいです。」

涼さんがそう言うと、実莉さんは、そうなんですねと涙をこぼして泣き始めてしまった。

「大丈夫です。ないても構わないし、叫んでも構いません。それは人間として自然な感情です。人間の反応なんて、いざとなれば本当に何もできないですよ。ただワーワー泣いているしかできないことのほうが多いです。それならそれで良いとしてくれればいいのに、何故か見栄っ張りで、それは行けないと言うんですよね。」

涼さんは、そう言ってくれた。泣いてもいいんだよ、ということがどれだけありがたいかと言うのは、経験した人でなければ、わからないことでもあるだろう。

「本当にすみません。私、何もできなくて、だめな女性ですよね。」

そういう実莉さんに、涼さんはそんな事ありませんといった。実莉さんは、泣き続けたが、涼さんはそれを止めることもしなかった。無理やり止めず、落ち着くまで泣かせてやったほうが良いと言うのも、涼さんは知っていた。

「それだけ泣けるってことは、頭の中に経験として残ることもできますよね。そうなると、他人の苦しみも、自分の悲しみとして受け取れることができるようになるでしょう。そうなると、人生生きていくうえで、大事な武器になりますよ。それは、きっと生きていけばわかっていけるはずです。」

「ありがとうございます。」

涙を拭くのも忘れて泣きじゃくっていた実莉さんは、涼さんに言った。

「あたし、そんな思いをさせないように、もう決して踏切には立ちません。森くんのことは忘れられなくても、生きていけるんだって思いながら、あたしは。頑張ります。」

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忘れなくとも 増田朋美 @masubuchi4996

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