老婆と大樹と翠の石①

寒い寒い冬が終わると、やがて季節は万物が目覚める春へと動き出す。

窓を開けると、温かい日差しと冷気が肌を突き刺してくる。

連日続いていた豪雪は、どうやら寝ている間に過ぎ去ってくれたようだ。

降り積もった雪に日光が照らされ、キラキラと光を反射している。


力のある若い連中は、ここ数日休めていた体を動かしに畑へ。


老人達は各々で安否確認を。


そして、子供達は久しぶりの再会に喜び合う。


少し向こうで、元気な声が聞こえてきた。

ほんと、子供の爆発は怖いもんだねぇ。

昨日までの静けさが嘘みたいだよ。


「エイゼルさーん。おはようございまーす」


玄関の扉がノックされ、その向こうで代替わりしたばかりの村長の声が聞こえる。

この村長はまだ若いが、かなり頭がいい。

若いなりの着眼点、みたいなもんがあるんだろうね。

私みたいな年寄りにも気を遣ってくれる、今時珍しい子だよ。


「さて、私も挨拶に出かけようかね。あんまり村長を待たせると、家の扉を壊して中に入ってこられちまう」


ここは小さな村だ。

村人全員の安否を確認することなぞ容易い。

だから、誰が亡くなったかもすぐ分かる。

ここでは知らない人が亡くなることはない。

逆に、私にとっての親友と呼べるほどの人が亡くなることはあった。


もうじき私も、すぐにその後を追うことになるのだが。


「私は今年で何歳になったのか。それを確認しに行こうかね。レザちゃんや」


—————————————————————


無造作に積み上げられた石の山。

側に立つのはこの村の守り神とも言える大樹。

この村によく来る商人曰く、”サクラ”という種類の花らしい。

王国にある学園の敷地内には、この大樹が何十と咲いているという。

……いつかレザちゃんを王国に連れて行きたかった。


「さて、今更悔やんでも仕方ないね。とっとと墓参りを済ませちまうか」


この丘に墓を建てて欲しい。

親友の最後の願いは私がきちんと聞き届けた。

持参した陶器のコップに湧き水を汲み、石を積んだだけの墓にかけてやる。

積もった雪が流れ、緑色の美しい石が姿を現した。


……私が幼い頃に、親友に初めて贈った綺麗なプレゼント。


眠る彼女の枕元に置いてあった、大切なもの。

私は墓の目の前で両膝をつくと、今はもういない親友に祈りを捧げる。



亡き親友に安否を伝えることは、いつしか私の余生の日課になっていた。



しばらくの間、目を瞑って親友にメッセージを届けた私はゆっくりと立ち上がる。

最近動いていなかった弊害か、膝が少し痛い。

少なからず私の体も歳をとっているのだ。

いつまでたっても現役じゃない。

私は振り返りながら、背後に立つ”何か”に声をかける


「で?あんたは何をしに、こんな何もない村にやってきたんだい?そんな物騒なものを携えて、まるで死神みたいだよ」


「…………」


この雪原ではかなり目立つ黒い外套を目深に被った”それ”。

背負っているのは、自身の背丈よりも長い武器だろうか。

剣というよりも……いや、槍に近いな。

ただ、槍にしては刀身がそり返りすぎている。

”突く”よりも”斬る”を意識している?


「聞こえているのかい?それとも、私の首が欲しいのなら、今ここで切り落としてくれて構わないよ。親友の墓の前で死ねるのなら、百歩譲って許せるさ」


「あなたの細首なんていらない。それよりも、あなたは何をしていたの?」


「!!!」


この声……まさか性別は女?

確かに体は痩せ細っているが……ここまで近づいても性別に気がつけないとは。

歳はとりたくないもんだね。

私は軽く咳払いをすると、ぶっきらぼうに死神女に話しかける。


「見ての通り墓参りさ。私の親友のね」


「墓……参り?」


死神は首を傾げる。

フードの隙間から見えた血の如く赤い瞳は真っ直ぐこちらを捉えており、私は冷や汗を流す。

まったく、私の人生には安寧という言葉が存在しないみたいだ。


「墓参りを知らないのかい?少し前に行商から、どこも同じようなことをしていると聞いたんだけどねぇ……」


「そうなの?私は知らなかった」


私は少し考えると、再度陶器のコップに湧き水を注いだ。


—悪いね。少し寒いけど我慢しておくれ—


私は心の中で親友に謝罪をすると、死神にコップを渡す。

外套の中から現れた、雪にも劣らない真っ白で綺麗な手に少々驚いた。

死神は、右に左に揺れるコップの水面を見つめて動かない。

サクラの大樹が一瞬だけ視界に入った。


「これをどうするの?」


「全部……いや、半分だけ親友に与えておくれ」


「もう半分は?」


「横の大樹にも与えるとしよう。守り神様には頑張ってもらわなくちゃいけないからね」


「分かった」


死神はコップの中身の半分を親友に。

もう半分は御神木に与えた。

たったこれだけで何かが変わるとは思えない。

親友が生き返るわけでもない。

けれども、人間なんて所詮は気持ちさ。

私が満足すればそれでいい。

——親友はもう、この世にいないのだから。


「あんた、私の家に来るかい?あいにく私は独り身でね。寂しくご飯を食べるのが辛かったんだよ」


気がついた時には、私は死神を家に招いていた。

若い時の私なら、もっとこの娘を警戒したのかもしれない。

でも、歳をとった私には、この死神が何かをするとは思えなかった。

老婆の勘……という奴だね。


「そうさせてもらうよ。それに、ボクはもっと君の話を聞きたくなったからさ」


死神は考えることもなく即答した。

私は少しだけ微笑むと、死神に背を向けて自宅に足を進めた。


親友に送る冥土の土産話がひとつ増えたよ。

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