地に落ちた夫と天から見守る妻④
「ボクが死者を送り届けていること、どうして知っているの?誰にも話したことはないし、話す人もいなかったんだけど」
亡霊少女は薙刀の全身をなぞるように指を滑らせると、矛先を灰の娘の首に向けた。
その目はしっかりと灰の娘に向けられており、警戒していることを隠す気はなさそうだ。
しかし、睨まれている当の本人はクスクスと笑いながら亡霊少女に近寄る。
刹那——薙刀の刀身が光った。
「あれ、ここじゃない?」
『ふふ〜ん。年上は敬うものなのよ?』
呆気に取られたような亡霊少女と、勝ち誇ったような灰の娘の声が響く。
亡霊少女の薙刀は、確かに灰の娘の額を貫いていた。
一方の灰の娘は、突き出された薙刀で額を貫かれたまま亡霊少女の頭を優しく撫でていた。
通常、死後も活動する生物には核となる部分が存在する。
人間の場合は頭か心臓、もしくは死亡する原因となった場所——死に至るほどの傷口などだ。
『その薙刀は【死者を還す刃】を持つ。実物は初めて見たけれど、何かの小説に出ていた物とそっくりだったから、もしかしてと思っただけよ』
これまで、亡霊少女はこの薙刀を使って、多くの死者をあちら側に送り届けてきた。
いつから薙刀と一緒にいるかは知らない。
亡霊少女には記憶がなかった。
いや、何かを記憶することを辞めていたのかもしれない。
彼女にとって、記憶は邪魔な物だったから。
「初めて核を外したよ。もしかして、自分で核を別のものに移してる?」
『あら、流石に気が付かれたわね。次は胸を貫いてくると思ったのだけど……』
「ということは心臓でもないんだね。そういえば、君の死因はなんだったの?」
『おそらく衰弱死よ。この国は今、他国と戦争をしているでしょう?私はこの戦争が始まると同時に死んだわ。最期に見えたのは涙を流す彼だったかしら……』
どこか懐かしむ様子の灰の娘の額から薙刀を引き抜くと、亡霊少女は撫で続けている灰の手を頭から引き剥がす。
残念そうな灰の娘を横目に、さっさと外套の中にまで入ってしまった灰を払い落としてしまった。
サラサラとした灰は、なんの抵抗もなく地面に落ちていく。
『私の夢……叶えてくれそう?』
「いいよ。これからのボクに目的を与えてくれたお礼。君の夢——代わりにボクが世界を旅して、ボクの知らないことを知る旅をしてこよう。帰ってきたら、思い出話を三人でしよう」
『本当は?』
「ボクと一緒に旅に出ない?君はたくさんのことを知っている。反対にボクは何も知らない」
『それは無理だわ。だって……私はあの人を置いていけないから』
「それは残念だね。まぁ、お土産ぐらいは買ってきてあげるよ。覚えてたらね」
『あなたは私を忘れないわ。だって今のあなたの顔、最初に会った時よりも素敵だもの!』
亡霊少女は小さく頷くと、灰の娘は向日葵のような笑顔になった。
直後、ドサっという音を立てて、灰の娘はただの遺灰に戻って、呆気なく地面に落ちた。
灰の中でキラリと光る指輪——最期まで自分よりも他人を優先し続けた病弱な妻が贈る、最愛の夫への形見だった。
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今日は満月だ。
ただそれだけのことなのに、なんだかとても懐かしく見える。
空をこんなにも真面目に見上げたのは、いつ以来だっただろうか。
『あの一際明るく光る星はね。心優しい王妃を亡くして一変してしまった王様に、ある女神様が試練として作ったと言われているのよ。その女神様の名前はね——』
ベッドのそばにある大きな窓から見えた星空を指差し、熱心に解説してくれる彼女の姿。
俺はいつも、楽しそうに笑う君しか見ていなかったが、唯一この話は覚えていた。
「女神リューナの指す方角には財はない。だが、それ以上に大切なものが見つかるだろう」
俺は物語の一節をポツリと呟いた。
リューゼルとミナ、たまたま俺たち二人の名前を半分にしたような名前を持つ女神リューナ。
星に導かれ、各地を転々とした王様が最後に見つけたのは、飾り気のない一つの指輪だったという。
それは、王様がまだ王子だった頃。
初めて王妃にプレゼントしたものだった。
あまりの懐かしさに感動し、その指輪を身につけようとする王様だったが、集めた税で暴飲暴食に走った自分の指には入る気配すらない。
『そこで国王様は思い出したのよ。王妃が目指した国を守っていくと約束した自分が、王妃の国を壊そうとしているとね』
国に戻った国王は暴飲暴食を辞めた。
民衆にとって高すぎた税収も下げた。
政治も清く正しく行うようになった。
まるで、王妃がいた頃のように。
『国王様は側近の人たちに、いつもいつも、”死者は敬う者だ”。そう言っていたそうよ。だからこの国は死者を敬うのよ。国王に心を取り戻させた王妃に感謝するためにね』
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「で、今更なんのようだ?死神様」
暗闇の中、現れたのは黒い外套に身を包み、薙刀を背中に携える女。
会うのは二週間ぶりだが、相変わらず慣れない見た目をしている。
大声こそあげないが、恐怖で体はいつでも逃げる準備ができている。
「もう驚かないよね?ボク、初めて目的ができたから、今日中にこの街を離れるつもりなんだ。また逃げられると探すのが面倒だから、さっさと要件を済ませるよ」
外套から伸ばされたのは、月明かりに照らされた白く細い腕。
少し触っただけで折れてしまいそうだ。
あまりにも人間離れした美肌を、吸い込まれるように見ていると、何か光るものを投げられた。
「おわっと!!」
俺は反射的に顔に当たる寸前で受け止めた。
投げられたものは…………こ、これって!!
「それは君に預けるよ。彼女、君のことが気がかりで離れられないんだって。最期までボクのことも君のことも心配していたよ」
「お、お前!!いったいどこでこれを!?ミナの指輪は遺灰の中にいれて、そのまま立ち入り禁止の地下墳墓に行ったはず……」
前を向くと、もうそこに死神はいなかった。
ただ暗闇が広がっているのみ。
すぐに俺は自分の頬を千切れるくらいに引っ張ったが、痛みとしっかりと握りしめた指輪が消えることはなかった。
彼女の指輪を満月に照らすと、かつての忘れられない彼女の笑顔のようにキラリと光った。
「ミナ、お前は俺みたいな馬鹿のために死後も心配しているなんてな。ほんと、お節介が……過ぎる…………」
ボロボロと大粒の涙が地面にこぼれていく。
膝はガクガクと震え出し、視界はぼやけた。
俺は指輪に問いかける。
「ミナ、あれは本当に死神………だったのか?」
『リューゼル違うわ。あれは女神リューナよ。私とリューゼルを繋いでくれたあの物語と同じように、離れ離れになった私たちを再び繋いでくれた素敵な子よ』
聞こえるはずのない声が後ろから聞こえてくる。
ずっと会いたいと思っていた妻の声。
しかし、俺は振り返りたい一心を抑えて、彼女の発言に首肯するだけにした。
振り返ってしまったら、彼女は消えてしまいそうだったから。
「なら、王様である俺がきちんとしないとな。王妃を失ってもなお、前へ進むことができたこの国の主のように」
『ふふっ。やっぱり、落ち込んでいるリューゼルよりも、目標に向けて動くリューゼルのほうがかっこいいわ』
まずはこの街を出て、どこかの村に移住しよう。
野菜でも育てて、他の住人と仲良くなろう。
そして、お金を貯めてこの街に戻ろう。
彼女の遺灰と思い出が残るこの街に。
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