地に落ちた夫と天から見守る妻①

「ほれ、お釣りの銅貨4枚な。落とさないように気をつけろよ?」


燃えるような赤いリンゴが三つ入った木のカゴを背負った、小さなお客人に薄汚れた茶色のお金を渡す。

ここ最近、この国でも随分と物価が上がった。

昔は銀貨一枚でリンゴは十個買えた。

今ではその半分しか買えない。

これも戦争の影響か。


「うん!ありがと、おじちゃん!」


そんなことも知らない無邪気なお客人は、受け取った銅貨を懐にしまい、満面の笑みで家の方向へと進んでいった。

あの顔を見ると、不安も心配事も嘘みたいに吹き飛んじまうな。

俺は店のカウンターに身を乗り出すと、


「足元には気をつけろよー!」


と叫んだ。

この村は王都に近いが、それでも小さな村だ。

だから、誰がどのあたりに住んでいるかぐらい、すぐに分かる。

今の女の子もご近所さんみたいなものだ。


「すみません。リンゴをひとつ」


「はいよ。銅貨2枚だ」


だからこそ、村で見たことがない奴はすぐに分かっちまう。

全身を黒い外套で包み込み、背負っているのは巨大な薙刀。

身長はまだ小さい。体も随分と細い。

それにこの声……女か?


まるで亡霊のような少女は、懐から銀貨を一枚取り出すと、俺に手渡してきた。

銀貨には、銅貨十枚分の価値がある。

俺がお釣りの銅貨八枚を取り出そうとすると、目の前の亡霊少女は手でそれを制した。



一目でわかるほどに深い知性を感じさせる赤い双眼が視界に入った。



「なんだ?」


「いや、少し聞きたいことがあってね」


「俺は外の情報に詳しくないぞ?すぐ近くにある王都のことなら分からないこともないが……」


「その”王都”について聞きたいんだ。軽く質問するから、わかる範囲でボクに教えて欲しい」


こんな物価高の時に、わざわざ銀貨を貰っちまった俺に、断るという選択肢はなかった。


—————————————————————


大陸中央に位置する巨大な国——ウィスドルト王国には、大陸各地から物資や人が集まる。


しかし、数千年前から存在すると言われているこの国は現在、他国との戦争真っ只中。

少し前に、国全体が戦争に協力する命令が出されたため、ありとあらゆる物資が兵士に提供されているという。

おかげで物価は急騰。

兵士になることを恐れて、国から逃げ出す者も多いという。


亡霊は、死の匂いがするこの街を訪れることにした。

—————————————————————


「うぅ……朝か……?」


俺——リューゼルは、鉛のように重たい上半身をゆっくりと起こす。

この硬い石畳のベットで眠るのも、これで何年目だろう。

慣れる前は体が痛くてキツかったが、今では何かを感じることも少なくなった。

……それもこれも、馬鹿な王族が戦争を吹っかけたせいだ。


「ふわぁ〜〜」


肩を回しながら大きな欠伸をひとつ。

伸び放題の顎髭をいじりながら、噴水の水で顔を洗う。

服の切れ端で濡れた顔を拭うと、水面に映った自分の顔が目に入った。

かつての自分とは思えない不清潔でだらしない姿……いや、俺は何も変わっちゃいないな。


「ミナ……お前がいてくれたらどんなに……」


こんなどうしようもない自分と共に人生を添い遂げる決意をしてくれた、今は亡き妻の名を呟く。

元々、体はあまり強くなかった子だ。

それなのに、周囲を心配させないように明るく振る舞っていた。

ほんと、自分には勿体無いくらいで……


「死の匂いの終着点はここか。これは時間がかかりそうだね」


「んおっ!!」


突然背後から声が聞こえたので振り返ると、そこには黒い外套に身を包んだ”何か”がいた。

い、いつのまに背後に!?

慌てふためきながらも、俺は”それ”に声をかける。


「お、お前は誰だ!?人間なのか!?それとも亡霊なのか!?」


身長は子供……よりは大きいな。

だが、随分と痩せている。

それに、背中に背負っているのは武器か?

黒い”何か”は少し首を傾げる。

乱雑に切り揃えられた前髪と、背筋が凍るほどに赤い双眼が一瞬だけ見えた。


「ボクは……だれだろう?名前は無いから適当に呼んでほしいな」


「な、何が目的で俺に近づいた!?金なら無い!戦争で全て失った!家も地位も家族も全部だ!」


「家族がいるの?」


こ、こいつまだ俺に質問してくるのか!?

それにさっき、俺に向けて”死の匂い”とか言ってたよな……。

もしかして、こいつは死神なのか?

どうりで、他の俺みたいな全てを失った奴らが噴水に集まってこないわけだ。


「ねぇ、聞いてる?」


「知るかっ!!お前はとっとと他の裕福な奴らから取り立てろ!お前達は、俺みたいな何もないやつから、金だけじゃなくて命まで奪うのかよ!?」


「あ、ちょっと待っ——」


気がついた時には、俺は全速力で死神と反対方向に駆け出していた。

久しぶりの運動だったが、死が目前に迫った恐怖によって、体は難なく動いた。








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