第5話  名前と酒と疑いと

「父さん!母さん!どこ、どこにいるの!?」

 子供の声。誰だ、いやこの声は。

「俺?」

 次に南波が目を覚ましたとき、彼は十年前の“あの記憶”のなかにいた。荒れ果てたモール内に、周囲には壊れた商品や義体。あのとき全く同じ光景、匂い。しかし一つ相違点がある。

「あれは俺か?」

 南波は大人の姿のままだった。しかし、南波の目の前には両親を探し回る幼い義体のままの自分がいた。少年は涙を浮かべながら、あちこちを走っている。南波も無意識的に追いかけた。近づく、近づいていく、母の元へ。ついに少年が母と再会するときが来た。呆然とする少年、南波は顔を背けた。二度も傷になった場面を見たくない。少しして少年はショックで力なく失神した。南波は顔を上げて、自分を見つめた。その瞬間だった。

 ひらり、ひら。

「!!」

 自分の前を何か小柄なものが飛び去った。一瞬のうちに見えたソレ。間違いない、あれは。

「まだら模様の蝶!?」


「…はっ!!」

 南波はかっと開眼して、身を起こした。動悸と過呼吸が止まらない。少しずつ身を鎮めながら、周りを見渡す。

 無機質なベッド、真っ白な部屋、サプリオイルが入った点滴袋、そして包帯だらけの体。どうやら自分は病室にいたようだ。一先ずあの爆発から生き延びたようだ。そのとき、横から光のようなものが見えた。

「264…。」

 ベッドの縁には264が腕を枕にして、居眠りをしていた。というか、ウイルスでも眠るのか。南波はおかしくなり、起き上がって彼女をよく見てみた。すると鼻が赤くなって泣いていた形跡を発見した。南波は目を丸くした。

「涙?まさかウイルスが?」

 そのとき、病室が開いて誰かが入ってきた。藤原であった。

「おや、南波君!目覚めたのかい?」

「課長、俺は一体…。」

 藤原ははっとした顔をして、部下に駆け寄った。そして、ほっと溜息をついた。

「良かった。君、五日間眠っていたのだよ。」

「い、五日間?」

 藤原は頷くと、ベッドの横に置かれた端末を手に取って、操作をして何かを読み上げた。

「全身火傷に、右肘から下の切断、あと頭部もちょっとやられてたらしいね。三日間の手術だったよ。全く、自分が生身じゃない、修復可能な義体であったことに感謝だね。」

 南波は自身の惨状に、耳が痛くなった。しかし、義体であったことが幸いし、右肘も戻り、人口皮膚も交換され、全てに欠けがなくなっている。藤原は眠る264を見た。

「その子、ずっと君の傍にいたよ。ホログラムガンを持っていこうとしたら、『いやだいやだ』ってごねてさ。」

 苦笑する彼女をよそに、南波は264を見つめた。そうか、こいつの涙は、俺に対しての__。

「とにかく、安心だな。ああ、第一課の皆がね、君が目覚めたら快気祝いをしようって。それじゃ、今はゆっくり休め。」

 そこまで言うと藤原は手を振って、病室を後にした。それと同時に、264の目がうっすらと開いた。そしてしばし目を擦ると、南波の姿を射止めた。

「ご主人!!」

 その瞬間、264は目尻から雫を溢れさせた。ついに勢い余って南波に抱き着いた。

「おい!いきなり何しやがる__」

「もう、心配したんですよ!ご主人が死んじゃったら、仲良くなれないし、名前だってもらえないだもん!」

 名前、か。南波は泣きじゃくる264を見た。やっぱり、人にしか見えない。こいつは俺が憎む仇の一人じゃないのか?おぞましい、デジタル世界の人外じゃないのか?どうしてこうまでして人と馴れ合いたがる、どうして「人でなし」と言われて俺を心配できる…。

 そのとき、南波の中に譲歩、妥協にも似た感情が湧き起こった。こいつは、違うのかもしれない。俺が憎む奴らとは別の生き物なのかもしれない。新人類を守る、忠実なただの小娘なのかもしれない。ならば、少しはこいつの言い分を聞いてやったって…。

「エミ…。」

「え?」

 264が涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げて、首を傾げた。南波は「らしくねぇ。」と首を掻き、もう一度言った。

「エミ、いつもニタニタ笑ってるから『笑み』だ。名前、欲しかったんだろ?初任務の褒美だ、ありがたく受け取れ。」

「エミ、エミ、エミ…。」

 “エミ”はたったいま誕生した名前を繰り返した。そうすると晴れやかな笑顔を浮かべ、また泣き出した。

「な、何で泣くんだ、お前は。」

「だ、だってぇ、ご主人から名前もらえたもん!ご主人とちょっと仲良しになれたもん!ぞれが、うれじくてぇぇ!」

 鼻水や涙を垂れ流して叫ぶエミに、南波はふっと笑った。

「ったく、騒がしいウイルスだぜ。小早川博士を恨むよ。」

 そうして、しばらくエミは泣き続けたのだった。

 

「えー、では今からトシのための『おかえりの会』を開きたいと思います。それでは乾杯!!」

 都内の居酒屋、酒とつまみの臭気で満たされた室内で林はビールジョッキを掲げた。テーブルに座る第一課の面子も同じようにし、続けてビールに口をつけた。

 覚醒した日から三日、南波は予後も安定し、メンテナンスも無事終わって退院した。その夜、林達同僚に連れられ飲みに駆り出たのだった。

「トシぃ、よがったなぁぁぁ、ほんまにー!!」

 林がジョッキを片手に南波の首に縋った。しかし、本人は遠い目でそれを押しのけた。

「分かったから、離れろ、酔っ払い。」

「んもう、トシがあんまりにも起きんから王子になって目覚めのキッスでもお見舞いしようかと思ったわー。」

「キモいぞ、林。」

 間田がつまみの焼き鳥をかじりながら言った。

「けったいなこと言うなや、ミッチー。なぁ?松村ちゃん。」

「間田先輩の言う通りです、林先輩。」

 即答で返す松村に、林は肩を落として自分の席に戻っていった。それを藤原はにこにこと日本酒を片手に見つめていた。それからも下らない会話が続いた。林は自作のギャグやすべらない話を連発して飲み会を氷河期にし、間田はウイスキーの飲みすぎで嘔吐し、松村と藤原は野球拳を始めようとしてしまった。南波はそんな光景をただ柔らかく眺めた。

 いつ殉職してもおかしくない仕事だ。こんな一夜の飲み会だって、かけがえのない思い出となる。どうか、いつまでも…。

 飲み会は数時間続き、深夜に差し掛かる頃、第一課のほとんどは酔いつぶれていた。義体といえども、脳の感覚や身体反応は限りなく旧人類と似せて作られている。南波は比較的上戸だったらしく、まだ平然とジョッキを傾けていた。

「おうおう、飲むねぇ、南波君。」

 藤原は顔を赤くして、頬杖をついて微笑んだ。彼女もふらふらとお猪口に口をつけた。

「課長、明日に響きますよ。」

「いいんだ、いいんだ。あ、そうだ、南波君。」

「はい?」

「聞いたよ、あのウイルスちゃんと打ち解けたそうじゃないかー。あの子、話してたよ、『エミ』って名前つけてもらったって。」

「打ち解けたなんて、ギャーギャーうるさかったんで応えてやっただけです。」

「そうか。林君も間田君もウイルス達とうまくやってるみたいだよ。でもね、南波君。」

 そこで藤原がお猪口を置いた。

「我々の仕事はウイルスを狩ることだ。狩人は鹿や熊と友になどなれない。あのウイルス達だって、いつ我々を裏切るか分からない。君のエミちゃんだって…。そこはちゃんと分かって行動してくれたまえ。」

「言われずとも。」

 南波はジョッキを飲み干した。藤原はふっと笑って、指先で机の木目をなぞった。

「君を見てるとシンパシーを感じるよ。」

「シンパシー?」

「ああ。私と同じ、ウイルスの被害者っていうね。」

「確か、課長の親も…。」

「そうさ、私の母は、どっかの誰かが作った凶悪ウイルスでコアを停止され、殺された。」

 藤原は目を伏せて、机に凭れた。

「母は優しい人だった。女手一つで私を育ててくれて。私はやんちゃな子だったから、よく母を困らせてたよ。それこそ家中に虫のお絵描きをしたりね。」

「それは、さすがにご母堂も怒るでしょう。」

「うん、そうだな、あの日は叱られたなー。でも褒めてくれたんだよ?『涼子は将来画家になる』って。」

 藤原は少し笑うと、むくりと起き上がった。

「だからこそ、私は母を殺したウイルスが嫌いだ。」

 藤原の言葉に南波は頷いた。

「私はこれからも害をなすウイルスを滅し続ける。そのために十年もこうやってEVCに勤めてきた。南波君、君もウイルスとの付き合い方はよく考えるといい。奴らは所詮“菌”なのだから。」

 そのときだった。

「電話?」

 二人の間に派手な着信音が響いた。藤原ははっとすると、自身の鞄を探った。そして振動する携帯を見つけた。

「ごめん、南波君、電話出てくるね。」

 そう言うと藤原は携帯を掴んでトイレの方に走っていった。その後ろ姿を眺めていると、いびきをかいていた林が目を覚ました。

「あんれ、いま何時?ってもう十二時かいな!?トシ、起こしてぇや!」

「知るか、他人の快気祝いで十杯も飲む奴が悪い。」

 冷たく突き放せば、林は口を尖がらせて他の爆睡する同僚を起こし始めた。そろそろお開きになりそうなので、南波はお手洗いを済ませることにした。男子用トイレに行き、用を済ませ、手を洗っていれば化粧室から藤原の声が聞こえた。南波はなんとなくそれを聞いた。

「ああ、そうだな、それなら“鼠取り”が早い…。」

「なんだ?」

 南波は化粧室に耳をすませた。

「ああ、ああ、“家”が見つかるのも時間の問題かもしれないな。まずは“メインディッシュ”を手に入れる方が先か。とにかく、念を入れて“マダラ”は続行しろ。」

 その瞬間、南波は生唾を飲み込んで後退った。どんなに細い声でも、「マダラ」という単語だけは聞こえた。「マダラ」とは何だ。一体、課長は誰と何の話をしていたのか。その瞬間、藤原の電話を切る音がし、南波は急いで飲み会の席に戻った。

 マダラ、マダラ。まだ動悸が収まらない。思い浮かぶのは「まだら模様の蝶」である。一先ずお冷を飲んで心を落ち着かせる。

 落ち着け、マダラが例の蝶を指すのか分からないじゃないか。まさか、あの爆弾男がいっていたような集団と課長に関わりが?…。

「ただいまぁ。さて、もうお開きにして帰ろうか。」

「はーい。」 

 藤原がそろそろと戻ってきた。林達はとっくに起き上がって、帰り支度を済ませている。

藤原は、こちらを見つめる南波に気づき、笑いかけた。

「ほら南波君、さっさとコート着て、お会計。今日は私の奢りだぞー」

「あ、はい、ありがとうございます…。」

 南波はいそいそと立ち上がった。

 例の電話や蝶の件はまた後日、二人になったときに尋ねよう。でも、もし課長が蝶の集団、ひいては両親の死と繋がりがあるとしたら__。

 南波は強く拳を握りしめた。


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