第3話 彼が潔癖症なのは
オフィスまでの帰り際、南波は後ろに纏わりつく気配に苛立ちを隠せてなかった。例のホログラム少女が新しい主人を観察するように、じっとこちらを見つめているからである。一体、俺に何を求めているのか。南波は彼女に実体さえあれば突き飛ばしていたと思った。
「ご主人。」
「…なんだ。」
ついに264が口を開いた。南波は舌打ち混じりに振り返ると、彼女はニコニコと無邪気な笑みを浮かべていた。
「すでに所有者を持ったウイルスのデータによると、皆、主人たちから名前をつけてもらっているようです。」
「それがどうした?」
「264も名前が欲しいです、ご主人。」
そう言うと264は神に祈る様に両指を組んだ。これが自我、か。南波は小早川博士の言葉を思い出し、嫌気が差した。南波は再び前に向き直ると、廊下を歩み始めた。
「ウイルスに名前なんかいらねぇよ。」
「ですがご主人、お願いです。名前を__!!」
しつこくねだる少女に、南波はとうとう痺れを切らして壁に拳をぶつけた。主人の様子に少女は肩を縮こませた。
「黙ってろ。俺はウイルスと馴れ合う気はねぇ。」
「ご主人?」
子供に言い聞かせるように、南波は生まれたばかりで精神年齢が幼い少女を見つめた。
「よく聞け、俺はな、昔、悪性ウイルスによる爆破事件で親を殺されてるんだ。それ以来、俺は残された妹を守るため、クソッタレのウイルスから無実の新人類を守るため、EVCに入ってウイルスを悪用する輩をシメまくっている。そんな俺が、お前ら“人でなし”と仲良しこよしすると思うか?」
「人でなし」。少女は最後の一言でショックを受けたらしく、今にも泣きそうな顔をした。南波はいくらウイルスでも、新人類と同じ姿のそれを傷つけたのをバツが悪く感じた。
「命令だ、264、引っ込め。」
南波が吐き捨てるようにそう言うと、少女は「はい。」と大人しく消えていった。彼は少女の憂いの表情がやけにちらついて、また煙草の煙を欲したのだった。
「んで、課長の話はなんやったん?」
オフィスに戻ったあと、南波は最近溜まっていたファイル仕事に取り掛かった。林はお気に入りのグラビア雑誌を読み漁り、間田は一人で報告書作りに熱中していた。林はふと思い出したかのように、顔を上げて先ほどの台詞を放った。南波はタイピングの手を止めないで、口を開いた。
「フラッシュガンの廃止を通告されて、ホログラムガンを渡された。」
「え、マジ?」
林は雑誌を机に投げ放って、ぐいぐいと隣の南波に詰め寄った。
「ついにトシが時代に追いついたとはなぁ。せや、ウイルスはどんな姿しとった?」
「…女だ、女子高生ぐらいの。」
「へぇ、女の子かぁ。俺んとこと同じやな。ミッチーのは男の子らしいけど。それより、名前はつけてやった?」
「ウイルスにそんなの必要ないだろ。第一、既に264という名前がある。」
「きついこと言うてやんな、トシー。ウイルス嫌いも程々にせんと。あの子らは悪性ウイルスとは違うで?ただ主人に仕える良い子らや。名前ちゃんとつけてあげて仲良うせんと。なぁ、ミッチー?」
「仕事しろ、林。」
間田はパソコンから目を離さず、答えた。林は適当な返事を返して、自分のデスクに戻っていった。南波はタイピングを止めて、目の前のブルーライトの画面を見つめた。
「良い子、か。」
果たしてそれは真実だろうか。自分の両親を殺害した“ウイルス”という種族が新人類と手を取り合うなど、到底想像できない。あの小娘とも、だ。しかし、別れ際のあの表情、それだけではない所作もまるで新人類と変わらない。思い返せば、言い過ぎた気もしなくない。あぁ、駄目だ、駄目だ。ウイルスに情など…。
南波はそこから集中が途切れ、帰宅することにした。支度をして、オフィスのドアを潜るとき、カートに乗せられたホログラムガンが目に焼き付いたのであった。
新人類によって改造された日本は、住宅地の景観も大きく変わっている。まず木造の家屋は旧人類からの記念建築物以外はすべて取り壊され、コンクリートや新たに開発された金属物質で作られた建物で埋め尽くされた。以前よりも電力を大量消費する生活に移行したため、電柱や電線の質も改良されている。無機質さと人工照明で彩られた町。しかし、彼ら肉体を持たない新人類には皮肉にもお似合いである。
南波は昨今浸透しつつある自動運転モードに頼らず、愛車を運転して自宅に戻った。両親が建てた白のブロック型の家には今は妹と自分しかいない。南波は車をガレージに入れ、玄関の前に立った。生体認証の入室許可を潜り抜けると、ドアが自動で開いた。
「ただいま。」
くたびれた声でそう言うと、温かい光が漏れるダイニングに続く扉からひょっこりと小さな顔が覗いた。
「おかえり、お兄ちゃん。晩御飯、もうできてるよ。」
「分かった、食べるよ、早苗。」
南波早苗。それが彼の九歳年下の妹である。早苗は都内の中学校に通っており、毎日友人と楽しく部活や勉強に勤しんでいる。南波は靴を脱ぐと、ダイニングに進んでいった。
家の中は多忙な南波の代わりに、早苗が整えている。そのため、家中にかわいらしい置物や雑貨が散りばめられている。南波はダイニングテーブル上で、今日忘れてしまったライターを見つけると、手に取って煙草に火をつけた。有害な煙が体中を駆け巡る。
「もう、また吸ってるー。」
「いいだろ、どうせ俺ら機械なんだし。」
「そうだけどさ、臭いんだもん。」
「分かった、分かった。」
早苗が料理の置かれた皿を並べて、文句を言う。南波は仕方なく煙草を携帯灰皿に潰した。そして夕食の支度を手伝い始めた。
「お、今日はカレーとサラダか。」
「うん、今日は手作り!オートサーバーで作っても良かったけど、手料理の方がおいしいしね!」
「早苗は母さん譲りで料理上手だな。」
南波は妹を誇りに思うように、ふっと笑った。
新人類は義体であるため、真実を言えば旧人類のような食事はいらない。ただ彼らには、摂らなければならない“もの”はある。
「そういえば、お兄ちゃん、サプリオイルの在庫、買ってきてくれた?」
「ん?あぁ、昨日買って棚に置いておいたぞ。」
「ありがとー。」
そう言うと早苗は棚から、『サプリオイル』と銘打たれた缶を二つ取り出し、テーブルに置いた。
サプリオイル、新人類達の栄養補給源はこれである。特殊に製造された油であるサプリオイルによって彼らの義体はエネルギーを作り出し、毎日を生き延びている。ただし、人人工舌に五感まで備えている彼らにとって、味は最悪であり、彼らが旧人類と同じ食事をとるのはこの不味さを誤魔化すためである。
「いただきまーす。」
夕食の支度もでき、二人は席に着くと、サプリオイルの缶を開けてカレーライスに手をつけた。
「んん、我ながらおいしい!」
早苗が感嘆しながら、スプーンを口に運ぶ。南波もそうしようとするが、うまくいかない。なんだ、この錆びのように心について離れないものは。南波はスプーンにあの少女の影が映り込んだ気がした。
「お兄ちゃん、食べないの?」
早苗が首を傾げる。南波は首を振って、スプーンを持ち直した。
「あ、ああ食べるよ。うん、早苗のカレーは美味いな。」
「何か悩み事?」
早苗は両手を組んで、訝し気にこちらを見た。こういうときの妹はやけに鋭い。おっと仕事の話を家庭で持ち出すわけにはいかない。南波は妹に笑いかけた。
「心配ない。ちょっと、職場の新人とうまくいかないだけだ。」
「ふうん、うまくいくといいね。あ、そういえば、」
早苗が思い出したかのように、後ろを見た。そこにはカレンダーがかけれれている。
「もう少しでママとパパの命日だね。」
「そういや、そうだったな…、」
ぼそっと呟くそうに、妹は答えた。南波も食事の手を止めて、その方向を見る。カレンダーの十二月二十五日に赤い丸が付けられている。その日は彼らの両親が殺害された日である。あの忌まわしき日、南波の人生を変えられた日。
南波は歪みそうになる表情を持ち直して、カレンダーに向かって寂しさを浮かべる妹に言った。
「その日は休みを取る。墓参り、行こうな。」
「うん!」
早苗は頷くと、再びカレーを咀嚼しはじめ、サプリオイルを飲み干した。
「ぷっはー、やっぱまずいや!。」
夜、十時。南波はしばらくテレビを見て、シャワーに入るとソファには早苗が寝巻で夢のなかに入っていた。片手にはスマホが握られており、大方先ほどまでネットサーフィンをしていたのだろう。
「ったく、ベッドで寝ろよ。」
南波は揺すっても起きない妹に溜息をついて、彼女を背負って部屋まで連れて行った。寝台に寝かせると早苗は無意識上で「おやすみぃ。」と呟いた。南波は「はいはい。」と布団をかけてやって、妹が寝静まったのを見た。
当たり前であるが、義体の新人類は生殖機能は持っていない。ただ娯楽用に生殖器がついているだけ。彼らの生まれ方は特殊である。まず、子供が欲しい新人類のカップルは婚姻をすれば市役所に許可をもらい、「新人類工場」に行く。そこで、二人の容姿やAIで構成されている思考パターンをもとにして、子供を工場に作ってもらうのだ。完成した子供はカップルの元に送られ、数年ごとに義体を交換して成長していく。早苗も南波もそうやって生まれた。しかし、そのような生まれたとしても脳に高度なAIを搭載し、旧人類同様の心を持つ彼らには「家族」という絆が生まれていく。南波も両親のことを愛していた。妹のことも。だからこそ、南波は両親を奪ったウイルスが許せなかった。
あの十年前のクリスマスの日、十三歳の南波は家族皆とクリスマスプレゼントを買いに出かけていた。しかし、行先のショッピングモールでそれは起こった。
「お兄ちゃん、あっちのオモチャ見に行きたい!」
あの時、幼かった早苗が南波を引っ張り、わがままを言っていた。南波は仕方なくオモチャコーナーに妹を連れていくことにした。しかし両親は他に用事があるからと別行動になった。
「あとでね、俊之。お母さん達、一階で晩御飯の食材買ってくるから。」
「早苗を頼んだぞ。俊之。」
まさか永遠に頼まれることになるとはな。その後南波が妹とオモチャを選んでいるとき、突然、轟音とともに爆風が飛んできた。
「な、なんだ!?」
咄嗟に早苗を庇い、南波はオモチャコーナーを出ると、そこは地獄絵面だった。ちぎれて吹き飛んだ誰かの義体の手足、頭部。爆風で飛んできた物体に押しつぶされた者。あちこち義体の死骸ばかりであった。爆発は一階で起きたようで二階から見下ろせるそこにはまた粉々の義体の欠片が散っていた。南波は早苗の目を隠し、二階の隅に隠れさせると、煙が漂う一階に下りていった。一階は食品店になっていたが、今やその見る影もなく、レジや缶詰めが転がっている。南波は死骸に吐き気を覚えながら、前に進んだ。
「父さん!母さん!どこ!」
しばらく進めば、見覚えのあるものを見つけた。
「あ、母さんのコートだ!」
食品棚の先に母親のお気に入りだった青いコートと腕が見える。南波は一目散に走り出し、その手を掴む。
「母さん!だいじょう__。」
そこにあったのは“腕”だけだった。そこから先はちぎれて見当たらない。どこだ、どこだ、見回して探す。すると目が合った。棚の上に母親はいた。半分顔がかけ、腰から下が見えず虚ろに目を向いた。その瞬間、南波は目の前が真っ白になり、やがて意識を手放した。最後に見えた視界に、何かが羽ばたいていった気がした。
あとから病院で目覚め、医者という名目の義体整備士に話を聞いたところ、今回の爆破は何者かにより作成された悪性ウイルスが新人類の神経回路を乗っ取り、その人物を操ってテロを起こさせたというものだった。医者はその後言いにくそうに唇を嚙みしめて、南波の両親が死亡したことを告げた。母親はまだマシで父親は彼女を庇って破片にされ、遺体を集めるのに一苦労したとのこと。この世界では人口増加抑止のため、一度コアが停止した義体を蘇生させるのは法で禁じられている。つまり、南波の両親はもう帰ってこないということだった。
両親の死を知った南波は震え、泣き叫んだ。「ウイルスも、それを悪用する者も殺す。」
二つの棺の前でそう叫んで、誓ったのだ。そうして南波はウイルス系犯罪を滅するEVCに入ったのだった。
「っつ、」
南波はあの日のことを思い出して、頭痛がした。こういう日は酒でも一杯飲んで、早寝するのが一番いい。彼は妹の部屋を出ると、前を向いた。
この先どうであろうと、自分はEVCの仕事を全うし、妹と人々を守っていくのだ。たとえ憎きウイルスと手を組むことになっても。
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