マルコという男。


 将真がマルコという謎の男に襲撃を受けた翌日───。


「おはよ……─────────」


 将真が目を擦りながら6畳程の和室のドアをスライドさせてリビングへ顔を出した───


「あぁ…起きたのか。おはよう少年。」


 蒼子はホットコーヒーを片手に、先程起きたかのようなテンションで挨拶を返すが───



「──────ぉぉぉぉぉぉぉおッ!!?」


 黒いキャミソールにパーカー、スウェットパンツという服装でリラックスしていた蒼子の姿は、16歳の男子校生にはあまりにも刺激が強すぎた。


「?」


 取り乱す将真に対し、蒼子は首を傾げるだけで。


「?じゃねぇんだわ、見てるだけで寒いからちゃんと着てくんね…?」


 顔は少し落としつつ、将真は視線を泳がせた。


「あぁ、ごめんごめん。暖房入れてるからこれでちょうどいいんだよね。確かに君がいるのにこの格好は良くなかったね───


 ───準備しないの?」


 突っ立ったまま動かない将真に疑問を投げかけると、まるでスイッチが入ったかの様に将真も動き出した。


「…………。」




 ─1─


「あ、そうだ。夜は出かけるよ。」


 支度を終えて制服に着替えた将真に、申し訳程度にパーカーのファスナーを締めていた蒼子が言った。


「依頼?」


「いや、昨日の件だ。よく分かんねぇオネエの居場所がわかったから、会いに行こう。」


「いや…はっや……もうわかったの?」


「うん。どうやら駅前のスナックで働いているみたいだよ。予想通りすぎて私もびっくりしたね。この町にいるのなら、1時間もあれば素性は割り出せるさ。」


 こういう所は流石探偵…なのだろうか。この町は蒼子の地元らしいので、それなりにコネクションはあるのだろう。


 にしても、あまりにも身元の特定が早すぎて将真は少々身構えてしまった。心の準備の方が出来ていない。


「そんなに怯えなくても大丈夫だよ、今回は私がいるのだから。」


 確かに。蒼子がいるのなら例え荒事になっても全く心配は要らないだろうが…。



「……そうだな…うん、おっけ。行ってくるわ。」


 将真は何か言いたげに口ごもってから、それを飲み込んで家を出た。



(…そうだね、君の気持ちはよく分かるよ。私もそうだったからね…。)




 ─2─


 ───その日の放課後。


 日も落ちてきてすっかり辺りが暗くなった頃、蒼子と将真は駅前まで足を伸ばしていた。


「ほぉ…ここか。」


 目の前に建っているのは雑居ビル。その一階に入っているこじんまりとしたスナックが目的の店だ。


「じゃ、入るよ。」


「あ、あぁ…おう…。」


 将真の心の準備を遮る形で蒼子は店のドアを開けた。


 カランカラン、という来客を告げる音と共に、店の内部へ侵入した2人の目の前には、常連と思われる客と談笑する目的の男が立っていた。


「あぁ〜ん!もーぅやっだわァ!!!で!?結果どうなったのよォ!!」


「あァん…?そりゃおめぇ………───


 ───再婚決まりましたァー!!!!」




 店内に充満するハッピームードに思わず面食らい、2人は半開きの口をそのままにしてしばらく静止していた。


 しばらくどんちゃん騒ぎが続くこと、時間にして10分程───



「ふぅ〜大ちゃんの嬉しい報告聞けて良かったわ〜。ワタシも元気もらっちゃった!───


 ───もっと聞きたいところなんだけど、今日はこの後団体さんの予約が入っててねぇ…また今度、続き聞かせてちょうだいよ!今日はお代いいから〜!」


「なんだ珍しいこともあるんだな……俺の運気が呼び寄せてんだろうなぁー!人を!がははははは!!!!!」



 そんな風に自然と二人の会話はお開きとなり、幸せそうな笑顔のまま男性客は帰って行った。



 パタリと店のドアが閉じられると、先程までの賑やかさは一転、途端に静けさに包まれる。



「さて…ごめんなさいね〜?一応客商売だから。」


「客商売なら案内してくれないと。それとも私達はお呼びじゃなかったかな?」


「とんでもないわ〜。まさか君の方から来てくれるなんてね…来るってことは──────」


 それまで大人の笑みを浮かべていたマルコの雰囲気が、途端に切り替わる。そこに先程までの穏やかさや気さくさは無く、滲み出る雰囲気には低い重圧だけがあった。



「──────少しは戦い方、覚えたって事?昨日の今日だけど。」


「───ッ………。」


 彼の目線が自分に向けられていることを直感し、思わず将真は息が詰まった。やはりこの男、強い。



「あまり虐めないでくれよ、うちの大事な従業員なんだ。萎縮して明日から来なくなってしまったらどうする。」


「あら、そんなタマなの?」


 挑発するようなマルコの発言に、蒼子とマルコはほぼ同時に微笑を浮かべた。


「さて、と。今日は店じまい。ここからはプライベートだから。で?何の用?そちらのお姉さんが仇討ち?」


 妙な言い回しに将真は少々引っかかった。


「仇討ちなんて、そんな物騒な真似はしないよ。大体少年が負けたのは彼自身の力不足だ。むしろ感謝してる。彼に火をつけてくれてありがとう。」


「あらそう、モチベが上がったのならワタシも嬉しいわ。今のままじゃ、とても楽しめそうになかったから──────


 ──────ねぇ、もういいかしら?いい加減体が疼いて仕方ないのよ。」


 マルコが退屈そうに首を回し、こちらを睨みつけている。


「ほう…君、そういうタイプか。」


 蒼子は先程と口調も態度も変えることなく淡々とそれに言葉を返した。しかし、将真は気がついている、この二人が───



 ───既に戦闘態勢に入っている事に。


「最近溜まってるのよ…だからこの前も思わず襲っちゃった…でも結局未遂で終わっちゃったから──────代わりにアナタ、相手してくれるわよね?」



 台詞を終えるのとほぼ同時────マルコは蒼子に向かって拳を叩き込んだ。


 ──────が。




「───ッ……へぇ………。」


 マルコが放った渾身の初撃は、蒼子によって受け止められている。



 ───蒼子は一切体勢を変えること無く、意図も簡単にマルコの突き出した拳を掴んでいた。


「──────っ。」


 蒼子は掴んだマルコの拳をそのまま外側に捻るような形でマルコの膝を崩し───


「なっ………!?力が……」


 体勢を崩したマルコに───


「ふっ…!」


 まるでサッカーボールを蹴り飛ばす様に、蒼子は強烈な蹴りを食らわせた。


「ごッッ!?」


 吹き飛ぶことこそ無かったが、的確に腹部を捉えた蒼子の一撃をもろに食らったマルコは思わずその場に蹲り、唸りをあげた。



(何なの…今の………この子に触れられた途端に力が入らなくなった………)


 マルコは突如自分に訪れた不調に困惑していた。蒼子に一撃を放つまでは間違いなく絶頂だった。だと言うのに蒼子に拳を掴まれた瞬間、急激では無いにせよ確かに力が抜ける感覚があったのだ。



「成程ね、確かに君は強いみたいだ───


 ───、だけどね。」

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