2人の距離感
例えば現実の他にもうひとつの世界があるとして
例えば夢の中がそのもうひとつの世界だったとして
例えば君がその世界を自由に行き来できるとしたら
君は、起きている時と眠っている時、そのどちらを正とするだろうか。
答えは、少なくとも君にとってはどちらも正では無い。
───ある人間への助言。
─1─
蒼子と将真が悪魔スペルビアと邂逅した後、二人はあまり口も交わさないまま拠点である事務所へ帰ってきていた。
───青峰探偵事務所。青峰蒼子が個人で経営しているその事務所は二階建てのテナントを丸ごと借り上げており、一階部分は探偵事務所として、割と在り来りな清潔感のあるオフィス、そして二階部分は蒼子の居住スペースとして利用されているのだが、全体的に茶色を基調としたインテリアのせいで、これがまた薄暗く、少し古ぼけて見えるのだ。レトロな雰囲気を蒼子は気に入っていると言っていたが、新し物好きな将真も不思議とその空気感は嫌いではなかった。
───時刻は19時を回っている。
「っはぁ〜…今日は疲れたね…。」
二階に上がるなりデスクの椅子に飛び込んだ蒼子が我慢出来ないと言わんばかりに流れる手つきでタバコに火を付けた。一応未成年の将真に気を使っているのか車内では吸わないので、あの山林からここに帰ってくるまでの30分はずっと我慢していたのだろう。
「報告書、明日でいいよな?」
将真は2人がけのソファにそっと腰を下ろしてそう言った。普段は高校生をやっている将真だが、この探偵事務所では依頼についての報告書をまとめるのが彼の仕事だ。
「あぁ、うん。ありがとう。終わったらポストにでも入れといて。見とくから。」
「おっけ。助かる。」
そう言うと将真は部屋に置いておいたリュックから本とノートを取り出して目の前のテーブルに置くと、そのままソファから降りて地べたに座り込んだ。
「ん?なんだ勉強かい?」
蒼子が尋ねる。
「そ。英語の勉強。」
将真は参考書を読みながら必要最低限の言葉を返した。
「試験の時期でもないけど、偉いね。宿題?」
蒼子のこの問いに対しても、将真の答えはあっさりしていた。
「いや?宿題は出てない。」
そこまで会話したところで蒼子はタバコの煙を肺に含んでから吐き出した。
「そうか、君は進学するつもりなんだね。」
その問いに対しては明確な答えを用意していなかった様で、将真は思わず手を止めた。
「いや…わかんね。別に大学行きたいって訳でもねぇけど。」
「ふ〜ん。やりたい事とかないの?」
答えを有していない問いは少々苦痛を伴う。まるで自分が何も考えていないように錯覚させられるからだ。
「どうだろ。夢とか無いし、やりたい事ないならとりあえず大学行っといた方がいいのかなぁとは思うけどさ…正直わかんなくね?何がしたいかなんて。」
あぁ、この子はちゃんと年相応の悩みがあるのだな。蒼子はそう思った。本人は悩んでいるのだろうが、そんな悩みを持つゆとりも無かった蒼子からすれば、幸せな事だなと思えたのだ。ただ一方で、そういう当たり前の悩み方をこの子がいつまで許されるのか、それを考えると少しだけ胸が痛んだ。
「少年。道は自分で切り拓くものだ、それだけは忘れちゃダメだよ?」
─2─
「んじゃ、そろそろ帰るわ。」
時刻は21時を回っている。
「あら、泊まってくものだと思ってた。」
「馬鹿やろう、帰るに決まってんだろ……」
帰り支度をしながらそう呟く将真に対し───
「ふ〜ん?──────
─────もう少し食いつくと思ったんだけどな、意外とシャイなんだね。」
蒼子はそんな風に茶化してみせた。
「マジでうるせぇ…ホントに……制服だけ置いてっていい?」
「構わないけどさ、面倒くさくない?普通に服とか何着か置いてきなよ。」
「社畜かよ。嫌だわ…じゃな。」
将真が玄関のドアを閉め、階段を下る音が聞こえる中、蒼子は再びタバコに火をつける。
(七幻教───悪魔を崇拝し、悪魔に力を借りたとされる集団…。かつてのスピラナイト使い同士の争いの最中で滅ぼされたと記録にはあるが…その際に別の場所で起きていたとされる神と悪魔の戦争……。これらを繋ぐピースは確実に彼らだ。そして───
───およそ500年の時が経って尚、彼らは現代社会で暗躍していると聞く。)
蒼子はタバコの火を吐き出して思考をまとめる。
(私が追い求めているモノは、ほぼ確実に奴らの手中にある。なんとしてでもこの手掛かりを絶やす訳にはいかない…)
今日起こった事への追想を終え、先刻去った少年の事が脳裏を過ぎると、ふいに昔の記憶が蘇ってきた。
(あぁ、今なら君の気持ちが少しわかる気がする。確かに保護の対象が自分の見えない所にいるっていうのは…少々胸がざわつくね。)
ふぅ…。と大袈裟に口から煙を吐き出した後、蒼子は交感神経にスイッチを入れた。
(これじゃ君と同じ事を繰り返してる気もするが、まぁいいか。先人に倣えだ。)
─3─
事務所からの帰り道、周囲は田畑や雑木林ばかりで、街頭も少なく夜はかなり見通しの悪い田舎道を、将真は自転車で疾走していた。
将真の自宅がある宇都宮市の外れから真岡市にある蒼子の事務所までは約15kmほど。時間にして約1時間かかる道のりだった。
(蒼子が探してた組織の手がかりって…。)
将真は今日の出来事を振り返って複雑な気持ちを抱いていた。その理由は他でも無い、蒼子が探していた手がかりというのが自分に心当たりのあるモノだったからだ。
(間違いねぇ…あのスペルビアとかいう奴が放ってた空気感…間違いなく同じだった───
───俺の中に閉じ込めてる…アイツと…。)
今現在は封印されていて無害だとしても、もし自分の中に悪魔が潜んでいると蒼子が知ったらどうするだろうか。その答えはおおよそ想像がついた。
(わかってる。蒼子は良い奴だ。拾ってもらった恩はある。でも…4ヶ月位の浅い付き合いでも一つだけ分かったことがある───
───
捉え方次第かもしれない。迷いが無いというのは肝心な時に道を切り拓いてくれる力強さもあるのだろう。だが、もしそれが自分の目的の為なら一切の情無くあらゆる存在を犠牲にできるものなのだとしたら…。
(俺の中の悪魔を引っ張りだそうとするなら、多分俺も無事じゃ済まないだろうな。よく分かんねぇけどその確信はある。)
そんな風に考え事をしながら夜道の中を操縦されていた自転車は、突如として将真の眼前に映った人影にせいで乱暴にブレーキをかけられて悲鳴をあげた。
(あっ───ぶねっ……)
突然現れた存在に驚いて言葉に詰まっていたところだったが、目の前に映った存在の正体が見えてきた所で更に血圧が上昇する感覚がした。
(こいつ───)
目の前で佇んでいる存在は、確かに人の形をしてはいる。しかし、どこか存在の輪郭が曖昧で、風に吹かれて消えてしまいそうな雰囲気を見て、将真はそれが生きた人間では無いと確信した。
(夢喰い……。)
夢喰い───この世に未練を残したまま去ってしまった人間が、稀に思念体となって現世に残留してしまう事がある。いわゆるユウレイという奴だ。そういう存在は霊感の無い人間や見えているだけの普通の人間であればさほど脅威は無い。憑かれたり別の影響が及ぶ事はあるかもしれないが。
だが、それ以上に将真や蒼子の様なスピラナイト使いにとって、幽霊という存在は脅威だった。
『───幽霊が見えたら気をつけるんだよ。アレは我々スピラナイト使いにとっては少々厄介だ。あの者達はね、スピラナイトに引き寄せられる性質がある。寄ってくる彼らを放置していると、やがてそれらの存在はスピラナイト使いが持つ精神世界へと侵入を始める。本人らがそうしたいと言うよりかは、本能的に入ってしまうみたいだけどね───』
蒼子はそう言っていたが、将真は以前にこの存在に危害を加えられたことがあったので、その折に色々と知る機会があったのだが。
(精神世界に侵入した幽霊、夢喰い。こいつらが俺達の精神の核に到達した時、スピラナイト使いは体ごと精神を乗っ取られる……。)
無論、精神の核などという存在はスピラナイト使い達の間でも理論上はあるというだけで、実際に到達する為の手段が判明している訳では無い、言ってしまえば曖昧な存在ではあるのだが───。
(祓っとくか…。)
将真はそう言って左の掌を前に突き出し、集中させた心力というエネルギーを一直線に放った。
───幽霊は特に避けようとする素振りも無く、将真の心力が直撃した事で、まるで風を受けた煙のように消えてしまった。
(……ごめんな。)
どうして幽霊という既に亡くなっている存在を祓った事に罪悪感を覚えるのかは分からない。ただ、何となく可哀想な事をしているような気がして、胸が痛んだ。
(ふぅ……。こいつら、俺の手でちゃんとテンゴクへ行けてんのかな。)
将真は夜空を見上げ、真っ先に視界に入ったオリオン座を見て、自分が行った事への罪悪感を薄れさせていく。
───そんな彼を、遠くから監視する人物がいた。
「フゥン……みーつけた♡」
心に悪魔を飼っている少年と、悪魔を探す美女。
少年を狙う、謎の男。
これは、超常の存在に運命の歯車を組み替えられた者達の、抗いの物語だ。
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