チェイサー編
運命の日
邂逅の日─①─
スマートフォンから聞こえる軽快な時報が、将真に時刻を告げている。
『───ジェット…エアライン………───』
ラジオアプリから聞こえる男性俳優のナレーションと共に、飛行機のフライト音が心地好く鼓膜を振動させる。
「はぁ……結局この時間か……。」
将真は依頼主への報告書をまとめていたのだが、結局日付を回ってようやくあと半分という進捗だった。眠気は差程無いが、明日は平日だと言うのにこの時間に机に向かうというのは少々メンタルに来るものがある。
とは言え明日の学校をサボるのも気が引けた。将真の通う高校は所謂進学校で、本来バイトは禁止なのである。当然将真も学校には無断で蒼子の下にいるのだが、彼が校則を破ってまで彼女の所で働くのには理由があった。
そう、あれは4ヶ月ほど前の出来事だ。
─1─
「ッあァ!!!?」
───2012年6月1日。
強烈な悪寒で目が覚めた。あぁ、また悪夢だ。原因は分かっているが、慣れてくると驚きとか不安とかより怒りの方が勝ってくる。
そして、大体こういう日は───
「は!?7時半!?クッソまた遅刻だぞこれ!!!!」
───大体寝坊する。
焦りながら布団を剥いで床に片足をつけた所で、熱が冷めた様に将真は冷静になった。
「はぁ──────
──────もういいや、またサボるかな。」
正直学校になんて行きたくない。寝坊して怒られるのが嫌とか、授業が面倒だからとか…まあそういう理由も無くはないのだが、そんな平凡な理由よりも遥かに大きい理由が彼にはある。
「将真!?起きてるの!?」
母の声がドア越しに聞こえてくる。
「やべ……。」
少し強めにドアが開かれるのと同時に、将真は再び布団に潜り、ベッドの上で反対方向を向いて体を縮めた。
「間に合う!?間に合うわけないか!今ならお父さん車出せるけど!?」
「いい……なんか…体調悪い……。」
「あぁ、そう……お母さんもう行くからね?」
はぁ…というため息が聞こえた気がした。
そりゃそうだ。こうやってサボるのはもう何回目だろうか。母も正直仮病なのは分かっているのだろう。だが、寝坊などという些細な理由が与えられると、どうしても体が拒絶してしまうのだ。人間社会に赴く事を。
───イヤに決まっている。恐ろしいに決まっている。
今だって、母の顔を見たらきっと彼は吐き気を催していた。実際一度吐いた事もある。流石にあの時は母も病院に連れていってくれたが、結局熱もなければ他に何の異常も無かったので、それはそれで逆に心配された。
家の雰囲気が静まり返った頃。
「腹減ったな…。」
恐る恐る、念の為誰もいないことを確かめる様に自室のドアを開けると、完全に静まり返った自宅内の雰囲気に同調する様にしてゆっくりと階段を降りていく。
「お、肉あるじゃん、使っちゃうか。」
もしかしたら夕飯の材料かもしれないが、まあ一応使った事は母にメッセージでも入れておけば良いだろう。
フライパンと肉、塩とコショウだけを取り出し、適当に味付けしながら焼いていく。
「よし。」
朝の残りと思われる、食べ盛りにしては少し少ない量の白米を茶碗によそり、シンプルな味付けで焼いただけの肉で米をかき込んだ。
「ふぅ……ご馳走さん。」
───静けさに包まれた中で訪れる、虚無の時間。
「ゲームでもやるか。」
─2─
「───お前またサボったろ!!!───」
「んなでけえ声出さなくても聞こえてるよバカ!」
時刻は夕方。母は既に帰宅しており、父はまだ残業中のようだ。いつもの事なのだが。
将真は自室で友人の細見拓也と通話していた。
「明日来れんだろうな!?祭りだぞ!わかるか!?俺達がオンナと関われんのは貴重な機会なんだ!わかるよな!?」
電話越しに聞こえてくる細見の興奮した声。
まあ彼の気持ちは痛いほどわかる。だからこそ明日の夏祭りは渋々誘いを受けたのだ。将真達の通う高校は男子校。近場に女子校もあるのだが、両校の生徒が関われる貴重な機会である文化祭の日は、教師陣が口裏を合わせているのか、大体休日の補講が入るらしい。二年の先輩がそう言っていた。
(祭りか…人いっぱいいるんだろうな……。)
一抹の不安を抱えながら、将真は覚悟を決めた。
「大丈夫だよ、明日は行ける。雨のジンクスが的中しねぇといいな。」
「雨なんて吹き飛ばすつもりでいろよ!天候になんか負けてんな!!それに土砂降りだったらそれはそれで服が──────」
将真は彼が次に放つであろう下品な思考を読んで電話を切った。彼の思考は完全に男子校という地獄の楽園に支配されている。
「俺もそのうちこうなんのかな……。」
─2─
翌日、6月2日。夕方頃になって将真は持っている服からとりわけ自信のあるコーディネートで家を出た。
(流石に今日はバスで行くか…。)
祭りの会場は通っている高校のすぐ近くだ。普段は自転車で通学している将真だが、自転車だとせっかくセットした髪型も風で乱れるので、その日はバスで向かう事にした。
およそ10分遅れで到着したバスに乗り、イヤホンをする。
少し前までは愛用の機器で音楽を聴いていたが、今はケータイで、しかも結構悪くない音質で曲が聴けるのだから、本当に便利な時代になったものだ。今はこれさえあればゲームもできるしラジオも聴ける。
───バスに揺られること約30分。会場付近は既に人混みができている。
将真はできるだけ人を見ないように細見を探した。電話をかけながら。
「あ、細見?今着いたけどどこ?」
「───商店街の入口!───」
「商店街の入口……ってどっちが入口だ…?女子校側?宇都宮方面?」
「───女子校───!」
「あいよ、今行くからちょっと待ってな。」
真山駅北口でバスを降りていた将真は少し安堵した。良かった、女子高側ならここからすぐだ。そんなに人混みを潜らなくても合流できそうだ。
───駅を離れて商店街の入口を目指す。できるだけ、人の顔は見ないようにしながら。
そうすると自然と視線が下を向く。その姿はまるで、引っ込み思案でか弱くて、一発殴ればすぐに逃げ出しそうな男に見えるだろう。将真は元々痩せ型なので余計舐められる容姿をしている。
───だから、この力を目覚めさせてからは面倒ないざこざには巻き込まれないよう細心の注意を払っている。
───否、払っていた筈なのに。
商店街の入口が見えてきた所で、将真は細見を探そうと意を決して顔を上げようとした───その時。
「おっ…と……。」
「あっ…ごめんなさ───」
将真の体に、小柄な少女がぶつかった。前を見てなかったからだ、そう思った将真は自分が悪かったと思い、彼女に謝罪しようとした。
「あの、すいません…怪我とか───」
───途端、目が合った。
「──────!」
その少女の瞳は、何だか吸い込まれるような薄い紫色をしていた。顔立ちは日本人だが、髪色はくすんだ白で、少しくせっ毛になっている。普通はカラコンを入れて髪も染めていると思うのだろうが、何故かその容姿がとても馴染んでいて、それが生来のものだと感じさせられた。
「あ……大丈夫…?」
将真は再度声をかけた。彼女を見ても嫌な気持ちが流れてこなかったからだ。だが──────
「待ーてってー!!」
2人組の男が、軽快な足取りでこちらにやってきた。どうやら少女を追ってきたらしい。
「助け………て。」
蚊の鳴くような声で少女が将真の後ろに隠れて言った。その声を聞いて、将真は何か熱くなるものを感じ、覚悟を決めた。
「あんたら、なにやってんスか…?」
「え?……何?カレシ?」
金髪の男が落胆と苛立ちを混ぜ合わせたような声色でそう言った。
「違うけど……この子ビビってますよ。普通じゃないでしょ、この状況。」
将真はできるだけ目線を上げて話しているつもりだった、しかし…。
「フッ!こいつ見ろよ!目も合わせられないでやんの!すーげぇビビってんじゃん、お前のがビビってるべ!カッコイイねー!!ちゃんとおにゃのこ護れるかにゃー?」
「──────ッチ……!」
将真の怒りのスイッチが入る。
───ハハハハハハ!!!!───そんな風に大爆笑する男二人に対し、将真は決して合わせるつもりのなかった目を合わせようとした。そう、本来の彼はこういう少年だ。負けず嫌いで、挑発されれば乗りやすい。だから次の行動は早かった。迷い無く、ほぼ反射的に振り下ろされた一撃だった。
「───ッ!!!」
将真の左フックが金髪の男にクリーンヒットする。
「ごふッ!?───」
反動で金髪の男が数歩後ずさりする。その様子を見たもう1人の男───左右に刈り上げを入れたソフトモヒカンの男がゆっくりと将真を見た。
「おいおいおぉい……やっちゃってんね。」
モヒカン男が、将真の脇腹に向かって強烈な拳を叩き込んだ。
「ごほっ……!」
痛みと苦しみで思わず腹を抱えてうずくまった。その様子を見た周囲の人混みがざわつき始め、気がついた時には将真達を囲うように空白ができていた。
───警察!警察!!という声が聞こえた時、将真は少々血の気が引いたが、そんな事を気にしていられる状況でもない。
「おいガキ…お前このへんのやつ?オンナの前だからってあんまカッコつけんなや。」
「いッ……て……くぅッ………!」
モヒカン男が将真の髪を掴んで持ち上げる。強烈な痛みで全身が強ばっていく。
「おい、目見ろや、ビビってんの?」
モヒカン男が覗き込むように、将真の目を見た。
(やめ………ろ…………)
抵抗も虚しく、将真と男の視線がピタリと重なり合う。
───その時だった。
「うっ………!!!?!?」
突如将真の視界から入り込む、目の前の男の感情の色。赤に黒が混ざった様な色に、僅かながらピンク色が足されたような、気色の悪い色をしている。
悪意と欲望を怒りが包み込むような感情が強制的に将真の中に流れ込み、腹の中をかき混ぜられるような感覚に襲われ、将真は我慢の余地も無くその場で胃の内容物を吐き出した。
「うっ……おぇぇ…ッ!!!」
モヒカン男はそれを反射的に避けたが───
「うーわっ!!?───テメェふざけんじゃねぇぞ!!!マジで殺すか!?あァ!?」
ゴホッゴホッ…と咳き込んでその場に倒れ込む将真に再び男が掴みかかろうとしたところで、ようやく終了の鐘が鳴り響いた。
「シンジ!!やべぇ!!マッポだ!!」
金髪男の警告によってモヒカン男もこの状況は分が悪いとみたのか、そそくさと逃げていく───
─3─
「ゴホッ…ゴホッ………くぅ………。」
───動けなかった。
「ふぅぅ………ッ………。」
───俺は決してビビってなんか無かったのに。
「………うぅぅぅ………ッッッ!!!!!」
───この力のせいだ。突然目覚めたこの力のせいで、彼は人の感情が見えるようになってしまった。それは決して他人が想像するような理想的な力では断じて無い。少なくともある日突然目覚めさせてしまったこの力を制御できていない将真にとっては、人様の感情が自分の中へ流れ込み、それが悪意や敵意のような負の感情であれば強烈な不快感を催すものだった。
───まして、自分の話している相手が常に何を思いながら自分と会話しているか、それがハッキリと見えた状態で会話するなど…苦痛以外の何物でも無い。
(こんなクソみたいな力のせいで……俺はまともに人と話せねぇ………みっともない姿まで晒す羽目になって………)
今顔を上げたら周囲はどうなっているだろうか。笑われているだろうか、引かれているだろうか。せっかくの祭りを台無しにしやがって。そんな風に怒りを向けられているだろうか。
ただひたすらに怖くなった。誰かが自分の体を持ち上げて引っ張っていってくれないか、そんな奇跡を待ち望んで、ただただその場を動けなかった。
「──────菅生……?」
将真の後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。
「大丈夫…か?」
ゆっくりと、恐る恐る後ろを見た。そこに立っていたのは三ヶ月は切っていない髪をボサボサにした友人の姿だった。
「───細見……。」
友人の姿を見た将真は溢れ出る感情に歯止めが効かなくなり、反射的に立ち上がってその場から逃げ出した。
「──────あ……!」
彼が護った小さな少女も一足遅れて立ち上がり将真を追いかけたが、既に彼の姿はどこにも無くなっていた───。
少年は走った。ただひたすらに走った。どこに向かっているのかも分からないまま、ただひたすらに逃げ続けた。
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