Acte 2-4
日曜日は雲一つない晴天が広がり、少し汗ばむほどの絶好のスイーツ日和になった。スイーツ日和というのは亮が勝手に作った比喩表現である。傘を差さずに目的地まで歩いていき尚且つケーキを最も美味しく味わえる気温と湿度。駅を降りて大通り沿いをてくてく歩く。
四月終わりの瑞々しい街路樹が、ランダムな光と影を亮の頭上へと落としていた。爽やかな追い風に背中を押されるようにして店の方まで足軽く進む。大通りから少し外れて路地裏に入る。駅前から十分ほどの距離にその店はあった。白いタイルの貼られたビルの一階部分にすっぽりと嵌め込まれた、黒いペンキ塗りの店。入口の看板には金色に塗られたフランス語の文字が書かれていた。サン・フォス・ノートと読めるその店名は、音程が外れていない、つまり完璧な、という意味らしい。
木製の扉を開けて中に入るとガラス張りのショーケースが出迎える。赤、オレンジ、黒、緑、白と、色も形も華やかなケーキがケースの中に整然と並ぶ。右手奥の木棚には焼き菓子に、パン、サンドイッチなど。左手のイートインスペースにはシルバーを基調としたデザイン性の高い椅子とテーブルが十席用意され、所かしこに置かれた観葉植物がくつろぎの空間を控えめに添えていた。
開店を少しばかり過ぎただけだが客は多い。一つだけ空いていた席に運よく座ることができて、黒い小振りのショルダーバッグから読みかけの本を出す。
ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」である。以前読んだがもう一度おさらいだ。才と博に溢れて父親を含む周囲の大人たちから過大な期待の圧がかかる主人公の少年ハンス、彼は進学校――ならぬ、神学校での規則や勉学の重圧に苦しみ、詩人へとなる道も閉ざされてやる気をなくし学への将来も失う。見習工として人生をやり直すも、父親との軋轢のさ中に不幸が訪れてしまうという、青春時代の圧迫と心身のバランス喪失を赤裸々に描いた傑作である。まあ、とにかくフラフラと危なっかしいハンスの精神状態に辛いとしか言いようのない代物だ。彼の境遇に同情し今の自分と重ね合わせて共感しうるも、どこかの時点で何かしらの救いがないのだろうかと探り探りで読みを進める。
客は女子だらけ、しかも本を読んでいるものなんて誰一人としていない。隣の女性が会話の隙間にちらりと亮の方を気にして、何を熱心に読んでいるのだろうと怪訝な視線を本にやり、すぐに友人とのお喋りに戻った。亮はそんな空気を気にすることはない。本と想像は自分だけのもの、自我の砦である。他人がどうあろうがこの空間を思いっきり楽しめればそれでよし。
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