Acte 2-3

 ブブッというスマホの振動で意識が水面へ浮き上がったように目を覚ました。机の上でどれくらいの時間突っ伏していたのだろう、右の甲が真っ赤になって感覚がほぼ麻痺している。眼鏡を押し付けていたせいでパッドの当たる鼻根が痛む。舟、いや、スマホか……夢うつつ、嗜眠の中で意識が朧のまま画面を見ると友人からの暇つぶし業務連絡が入っていた。


『篠原、明日ひまー? 食いに行こうぜ』

 何を、と丁寧に書かないのがこいつらしい。と思う間もなく、

『ラーメンがいい。お前ん家の近くの激辛ラーメン』

 おおうそれはやめてくれ、とメッセージに目を剥いた。友人御所望のハバネロ入り激辛ラーメンは別名地獄コースの名の通り、食べたら舌が即座に死ぬ。

『明日は用事ある』

『何』

『ケーキ食べに行く。吉野も来るか』

『ヤダ』


 ヤダアァという派手な擬声語が赤字で書かれたイラストとともに、平仮名二文字できっぱりキャンセルだ。まあそうだよなあ、と素っ気ない友人の態度にも動じることなくLINEをそつなく終わらせる。こういう遣り取りなんてすでに慣れっこだ。スイーツ巡りに男を誘って成功した例は過去に一度きりしかない。


 二つ向こうの駅前に、新しいパティスリーが出来て評判になっている。

 と教えてくれたのは、日々の勉強のストレス発散として重宝しているスイーツの動画情報である。INSTOCKという人が発信しているもので、カフェやパティスリーの紹介が簡潔に分かりやすくまとめられていて、亮お気に入りユーチューバーでもある。気分転換に少しだけ、と思っていたのに教科書を脇にどけて、つい長々とスマホ動画を見入ってしまった。このカフェ、動画で見る限り店の作りもケーキの品揃えも悪くはない。


 掘り出し物の新情報に、積もりに積もっていたストレスが一瞬で消え失せ、胸に沸々と込み上げた喜びと期待で亮の口元がふっと緩んだ。スイーツ、特にケーキのことになると、どうしても浮かれた気分を隠せないのがいつもの癖だ。眼鏡をシャツの裾で拭き、綺麗になったレンズでスマホ画面を食い入るように見つめて、ネット情報や寄せられたコメントなどをくどいほど確認した。


 明日のスイーツ巡りの行き先はこの店に決定だ。時計は針二本が仲良く上を向いている。あと三十分ほど勉強したら終わりにしよう。舟やら川やらやけにリアルすぎる夢の体験は、初にお目に掛かるケーキへの期待と興奮と味予想にその肌感覚がすっかり消え失せてしまった。

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