第13話 焼き菓子とコーヒーと意見交換

     ◆


 ソファに座った川端と鶴見はコーヒーの入ったマグカップを片手に、もう一方の手でバウムクーヘンを取っていた。鶴見が持参した焼き菓子のセットの中の一つである。他にはフィナンシェとクッキーがテーブルの上の箱の中に収まっている。

「で、何がわかった?」

 川端の問いかけに鶴見はバウムクーヘンを頬張り、もごもごと口を動かしてからコーヒーで飲み下し、言葉にした。

「誤作動といえば誤作動なんでしょう。僕の感触ですが、きっと犯人はいませんね。暴走なんです」

「どうしてそう言い切れる?」

「僕は人工知能にこう質問しました。電子マネーを分散したのが誰にとって有効か、と。それに対する返答は、社会にとって有効だ、というものでしたよね。これがある種の分岐点です」

「人工知能に詐欺が社会貢献だと教え込んだんじゃないか?」

 うーん、と鶴見は斜め上を見た。

「でも人間にとっても有効だと答えた。これは微妙なラインです。詐欺が社会貢献だと考えるとして、では人間から財産を奪うのが有効だと答えるのでは、やや矛盾します。財産を奪われることが社会的に当然のことで、同時に社会の構成員が財産を奪われることが当然だと考える人工知能は、明らかに暴走しているでしょう。善悪という言葉がありますが、人工知能は基本的に悪をなさないので、善という概念しか持たない傾向にある。社会に貢献するのが善なのに、社会の構成員を害するのも善、というのはありえない」

「観念的すぎる。それじゃあ立件は不可能だ。もっと分かりやすくしてくれ。誰にでも分かるように」

 鶴見はしばらく考えていた。

「僕の認識だと、問題の人工知能には善悪の概念に歪みがある。誰に学んだのか、自分で学んだのか、独自の価値観がある。僕からすればあの人工知能の価値観は、人間が入り込む余地がない。社会のために個人を犠牲にする思想があるとして、それでは社会の中の個人は常に脅威にさらされてしまう。ここでまた話が戻りますが、この一件であり得る展開は二つ。一つは人工知能の暴走、もう一つは、人工知能を社会を乱す方向へ誘導しておきながら無事でいる人間がいる、ということです。僕は後者の可能性は、限りなく低いと思います」

 川端は黙って聞いて、話し終わった鶴見がバウムクーヘンを食べ終わり、フィナンシェへ手を伸ばすのを眺めていた。

 やはり観念的だが、社会と人間の関係については踏みこめる気がした。人工知能に施される犯罪防止の仕組みにはいくつかの要点があり、その中に反社会的行動を禁止する要素がある。もっとも反社会的とされるものが何か、を詳細に設定することは難しい。そこは人工知能の自己学習に委ねられる。

 しかしそこまで極端な思想を持つ人工知能などあるだろうか、とも思う。

「検事にお伺いを立てておくよ」

 川端がそういうと、僕は責任を取れませんよ、と鶴見は即座に答えた。思わず苦笑いしながら、川端は言葉を付け足した。

「もうちょっと俺の方でも情報を照らし合わせて検討する。あの人工知能は、警察の取り調べて長い長いログを残しているからな。もう一回や二回、通読する余裕はあるよ」

「僕の意見がおかしいと思ったら、切り捨ててくださいね。なんせ、素人探偵どころか、素人ですから」

 わかっている、とマグカップを傾け、それが空なのに気づいて川端は席を立った。鶴見がマグカップを突き出してくるのでそれも受け取り、コーヒーを用意しに向かう。

 川端の頭の中ではどう検事の栗原を説得できるかいっぱいだった。おかげで普段より濃いコーヒーができてしまい、鶴見に文句を言われたが、川端は適当に受け流してじっと思考に没頭していた。

 それから三回目の立件審査までに川端は徹底的に資料を読み込み、栗原とも意見交換をした。最初こそ栗原は乗り気ではなさそうだったが、川端が要点となる部分をまとめて整理し、繰り返し説明をしていくと態度が変わってきた。

 結果、三回目の立件審査の前には、栗原は最大の強権であるレベル五での人工知能への調査を請求するところまで至っていた。川端にはそれでも浮かれている余裕はない。弁護士の桐乃は反発するだろうし、裁判官を説き伏せられるかは栗原と協力しても五分五分だと見ていた。

 より詳細で、しかもわかりやすい資料を用意し、三回目の立件審査の日を迎えた。

 会議室の空気は、会議の始まりと終わりでは、激変することになった。

 栗原と川端の指摘に桐乃が全面的に反発し、レベル五での構造解析には桐乃は猛然と反論を口にした。裁判官は口数こそ少なかったが、栗原と川端の側に近いように見えた。

 しかしレベル五での人工知能の情報を調査する決定はなされなかった。そこは川端の敗北だったが、次回の立件審査で、実際に人工知能に質疑応答をする時間を設ける、と裁判官が決定した。勝負で言えば、引き分けであろう。もちろん桐乃も提案し、再び、電脳境界社から関係者を出席させることを裁判官に認めさせた。

 会議が終わり、怒りを隠せない桐乃が退室してから栗原が愚痴るように川端に言ったものだ。

「荒唐無稽なことを裁判で口にはできないよ」

 ご心配なく、と言えればよかったが、川端には「努力します」としか答えられなかった。

 今度は、人工知能の思考をどう引き出すか、質問を練る必要があった。

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