第11話 カレーライスと無理な相談

      ◆


 その日も川端は自宅の仕事部屋で事件の関連情報を当たり続けたが、これといった収穫はなかった。

 もし他にも同様の不具合を起こした人工知能がいれば、と虫のいいことを考えたが、その情報はない。問題の人工知能の余罪についても検証中で、仮にそこで何かが引っ掛かれば格段に視野が広がる予感もあったが、都合のいい展開はなかった。

 結局、夕方になり、食事の用意をするかと思ったところで携帯端末に着信があり、鶴見からだった。今から行くが、カレーのトッピングは何がいいか、という内容だった。カレーを差し入れるらしい。川端は適当に返事をして、仕事部屋を出るとリビングを軽く片付け、まず自分の分のコーヒーを用意してソファに腰を下ろした。

 栗原には奪われた金の流れが問題だと口にしたものの、決定打からは程遠い。その筋から攻めるということは、最初に人間の関与の有無をはっきりさせよう、ということに過ぎない。人間が関与していれば人工知能はジレンマを誤魔化されて今回の犯罪に及んだことになり、人間が関与していなければ暴走ということ。そこまで話が進んだときに、電脳境界社に責任があるかないかという問題に取りかかれる。

 電脳査察官として川端が人間の関与の有無を無視して人工知能の構造情報に踏み込めば、即座に電脳境界社の製品管理や開発の現場について捜査できるが、かなり難しい。電脳境界社は人間の関与を主張するだろうし、人工知能の構造情報を細部まで開示させるレベル五の権限の発動はハードルが高すぎる。

 結局、遠回りでも人間の犯罪者を探さないといけない。

 川端は自分の質問を受けた時の岡田の顔を思い出した。人工知能が金を必要とするか、という問いかけだ。岡田は明らかに戸惑っていた。質問が飛躍し過ぎていたせいもあるだろうが、技術者の立場からすれば、人工知能は道具に過ぎないのだから金など必要とするわけがない、と思ったのだろう。

 コーヒーの苦味を舌の上で転がしながら、川端はとりとめもなく考えた。

 そのうちに勝手にドアの鍵が解錠される音がして、ドアが開く些細な音も聞こえた。

 リビングに鶴見がが入ってきて「こんばんは」と口にする。両手にはビニール袋があり、カレーの匂いがすでに川端の鼻先まで届いていた。スパイスの匂いに、空腹感が刺激される。

「なんか、気難しい顔していますね、川端さん」

「どうして今の仕事に就いたのか、真剣に疑問に思っていたところだよ。腹が減った。カレーにはうるさい方だぞ」

「知っていますよ。何度一緒にカレー屋に行って、その場で散々酷評する川端さんに店主が眉をひそめる場面を見たことか。今日の店は大丈夫だと思います。作っているのはインド人のようでした」

「日本のカレーとインドのカレーは別物だ」

「マッシュアップ、というか、ハイブリット、ですかね。ま、食べましょう」

 鶴見がウキウキと袋から容器を取り出していく。ナンが出てくることを期待した川端だったが、普通の白飯だった。ちょっとがっかりだ。カレーの入っている方の容器を開くと、二つに区切られ、少し色の違うカレーが二種類入っている。最後に別容器でトッピングのチキンカツと太い本格っぽいウインナーが出てきた。

「どう見ても日本の白飯で、インド人が作ったカレーで、チキンカツに、どこかヨーロッパっぽいウインナーとは、デタラメ過ぎないか?」

 思わず問いかける川端に、食べてから文句言ってくださいよ、と鶴見がプラスチックのスプーンを差し出してくる。それは拒否して、川端がキッチンからスプーンと箸を鶴見の分も用意して持ってきた。割り箸は許せても、プラスチックのスプーンは許せないのが川端の主義だった。

 食事が始まり、しばらくは二人とも口を開かなかった。川端はカレーの味の理由を考えていた。幾つかのスパイスの名前が浮かぶが、知らない風味があり、しばらくその正体を考えていた。どうやら知らないスパイスらしいと結論を出し、味を覚えようと丁寧に食べ進める。

「で、例の事件は前進しましたか」

 チキンカツとウインナーに不本意ながら舌鼓を打っていた川端に、鶴見が声を向けてくる。カレーとその他の味に満足していたので、この時ばかりは川端も口が軽くなった。

「前進するわけがない。追加情報はなしだ」

「電子マネーがそろそろ動くんじゃないかと思いますけど」

「素人探偵の意見だな。分散してしまった二〇〇〇万円は回収の見込みも立っていないようだ。特に海外の口座は対応が難しい」

「素人探偵としては」

 鶴見がスプーンを川端の方に向け、小さく振りながら言う。

「犯人がいるのなら、二〇〇〇万円をどこかの段階で運用しなくてはいけないと想像できる、というところです。分散した状態にせよ、再び一つにするにせよ、です。金は集めるためにあるのではなく、使うためにあるんですから」

「それはもっともだが、莫大な額になれば持っているだけで利益が生じる場面もある」

「矛盾しますね。金は実際には分散されている。つまり全体では莫大な額のはずなのに、意図的に小さくしている」

「じゃあ、いつか集めるんだろう。もしくは少しずつバラバラの少額が積み上がっていくか」

「それも矛盾です。集めてしまえば悟られる。積み上げて高額にしてもやっぱり悟られる」

 む、と川端が唸る前で、鶴見は食事を再開している。

 鶴見の意見を採用するなら、この事件の犯人の目的は極めて不鮮明となる。二〇〇〇万円が詐取されていながら、その目的が存在しないことになってしまう。どこかで資金洗浄する可能性もあるが、現時点ではその動きもないなら、二〇〇〇万円はただ世界中に分散しただけに過ぎない。

 そもそもこの詐欺事件は、どんな意図があるのか。そこから考え直さないといけないのではないか。人工知能が悪用されたことで人工知能を起点に考えているが、それに囚われすぎたかもしれないと川端は考え始めた。

 それでも、やはり不自然である。犯人が見えない理由があるはずなのだが、見当がつかない。

「川端さん、一つ、お願いがあるんですけど」

 川端はその鶴見の言葉で意識を現実に戻した。あまりに集中しすぎたせいで、無意識にチキンカツとウインナーを平らげていて、悔しい気もしたが鶴見の話に意識を向ける。

「なんだ? あまり俺を困らせないでくれると助かる」

「問題の人工知能とコミュニケーションを取ること、川端さんならできますよね」

「おいおい、無関係の一般人を同席させることは禁止されている。もし露見すれば、俺は刑務所にこそ入らないが、全く別の職種でなくちゃ就職は難しくなる」

「テキストのみによるやり取りにすれば、バレませんよ。僕は部屋の隅にいて、川端さんの独り言に答える、というだけのことです」

 バカを言うな、と川端はさすがに声に険が混ざった。鶴見が入っていることはグレーゾーンどころか、完全にブラックだった。

「川端さんの損にはならないようにしますから」

「やらん。絶対にやらんぞ」

「安心してください。ねえ、川端さん、犯罪に関わった人間はどうしてか影も形もない。その影法師が出てくれば全ては解決ですが、今、僕たちが真相に迫る道は人工知能しかありません。誤作動にせよ、ジレンマが無力化されているにせよ、もしかしたら悪用した人間について情報を引き出せるかもしれない」

「それは警察がやっている」

「電脳査察官のスーパーテクを見せる場面じゃないですか」

 そんなものあるか、と川端は答えた。

 答えたが、結局、食後にアルコールを口にしたことで、川端はぼんやりとした記憶で鶴見のごり押しに負けたのだった。

 数日後、実際に鶴見が訪ねてきて、川端は仕事場のデスクで端末に向かいながら、激しい頭痛を感じることになった。二日酔いとは種類が違う痛みだったが、考えることはやめにした。

 端末のモニタでは、守秘回線を使っての人工知能とのアクセスが進行する表示が出ている。

 完了するまでの数十秒がいやに長く感じた。

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