第10話 人工知能のジレンマ

       ◆


 こちらからご説明します、と桐乃が発言を始めた。

 川端は集中して、その話す内容を手元のタブレットに入力していった。

 特段、おかしなことは話していない。問題の人工知能と同型の製品では誤作動は起こっていないし、同系列の製品でも誤作動はない。開発社である電脳境界社でも五十項目ほどのテストを繰り返し、自己学習の結果をモニタリングしたがやはり異常はない。

 桐乃は自分でそこまで説明してから「詳細は岡田さんからご説明を」と技術者に話を振った。

 え、あ、などと言ってから、岡田は手元のタブレットを見ながら技術者らしい説明を展開した。

 電脳境界社は国際基準の人工知能規格を遵守しており、犯罪防止も徹底している。人工知能の構成情報の犯罪防止に関する項目は決して改変不可能であり、開発チームとしてもその部分の堅牢性には自信がある。

 岡田はチラチラと川端の方に視線を向けていた。川端が電脳査察官だということは挨拶の時に伝えたので警戒しているようだった。川端からすれば有名企業ではないとしても人工知能の開発に関わっている人間は雲の上の、ある種の天才だ。川端が岡田に勝る部分は技術の面ではないだろう。

 それでも川端は真剣に話を聞き、いくつかの説明を求めた。犯罪への利用を防ぐためにどのような仕組みを組み込んでいるか、電脳境界社の製品でこれまでに犯罪に利用された人工知能はないか、製品化するまでの試験期間と学習加速の倍率、ベースの型番などだ。

 人工知能は基本的に自己学習していくが、製品として世に出る人工知能は事前にある程度のことを学習させる。しかし人間よりはるかに早い学習速度があるとはいえ、人間と同じ時間で学習するのでは割に合わない。

 そこで人工知能開発の現場では、短い試験期間で学習をより広く深い質の高いものにするため、学習加速という処置を取る。ベースと呼ばれる人工知能が用意され、ベースから新規の人工知能に対して極端な高速で学習が行われる。

 ベースからの学習を避けられない以上、全ての人工知能にはベースの個性が反映される。人工知能は様々な現場に最適化されるものの遡っていくと、必ず世界基準のベースのいくつかにたどり着く。

 いわばベースは、人工知能の始祖なのだ。

 岡田は少し困惑したようだが、試験期間、学習の倍率、そしてベースの型番について川端に詳細に答えた。それを川端は端末に入力し、汎用的に用いられる計算装置で問題の人工知能の発展レベルを割り出してみた。これは警察の方でもやってる。念のための作業だったが、数値にズレはなかった。

 岡田が発言を終えて、部屋は沈黙に包まれるが、川端は顎に手をやりながらじっと考えた。

 人工知能の誤作動の可能性は否定できない。しかしでは何故、二〇〇〇万円をだまし取り、なおかつ莫大な数の口座へ分散したのか。

「岡田さんに質問があります」

 川端は岡田をまっすぐ見たが、明らかに岡田は怯んだ。何か自分が岡田を責めているようで、そうではないことを弁明したい気持ちになったが、そういう場ではないと思い直した。

「人工知能は、お金を必要とするでしょうか」

 川端の隣で、栗原が視線を川端に向け、次に向かいに座る岡田の方を見た。川端は岡田を見ている。桐乃も胡乱げな顔になった後、岡田の方を見ている。

「お、お金ですか? どういう意味ですか?」

 場慣れしていないのがありありと見える岡田に、川端はどう説明すればいいか、頭の中で言葉を選ぼうとした。ただ、自分でも観念的なので、言葉を選ぶのに苦労した。

「人間は、お金を必要としますよね。例えば食べ物を手に入れるためとか、住む場所の確保とか、服の確保とか、この社会ではとにかくお金が必要になる。人間で、お金は少しもいらない、と言う人間は、まぁ、ほとんどいないでしょう。かなり特異なケースを除いて。では、人工知能は?」

 はあ、と岡田は呆れたような声を漏らして、何かを確認するように隣の山崎を見て、山崎も怪訝な顔になっているのを見ると、次に桐乃を確認した。桐乃は頷いたようだが、困惑している。それは川端の隣の栗原も同じだが、川端は岡田だけを見ていた。

 岡田は少し考え、小さく唸ってから答えを口にした。

「人工知能はお金を必要としませんが、利用する人間がお金が必要だから用意せよと指示すれば、お金が必要だということは理解するかもしれません。ですが、犯罪とされる行動は選べません。犯罪防止の仕組みは無視できないので」

「それは人工知能のジレンマが生じるという意味でしょうか」

「え、ええ、そう考えてくださって結構です」

「ではジレンマを解消すれば、人工知能は犯罪だとしても金銭を手に入れる行動を取りうるわけですね?」

 待ってくれ、と山崎が初めて言葉を口にした。

「電脳査察官からの指摘は当社の製品への疑念ということでしょうか」

「いえ、そうではありません」

「では、先ほどの発言の真意は何ですか。当社への疑念ではないのなら、他の人工知能への懸念ということでしょうか。それはこの会議で必要な発言でしょうか」

 川端は山崎を見てから、岡田を見る。岡田の困惑は申し訳なくなるほどだ。

 山崎の意見は真っ当だ。山崎の仕事は電脳境界社の開発した人工知能に不具合などないと主張することなのだから、ささやかな疑念ですら、避けたいだろう。

 答えることを先送りにして、川端は視線を自分の手元、デスクの上にある端末に向けた。

 詐欺事件に人工知能が関与しているのはわかっている。しかしそこに関与した人間は影も形もない。人間は巧妙に姿を消したのかもしれない。それなら分かりやすい。分かりやすいが、ここまで綺麗に痕跡を消せるだろうか。いや、人工知能の端末だのワンルームだのというものを残しているから、痕跡が全く消えているわけでもない。

 ちぐはぐだ。何かが噛み合わないまま、ここまで来てしまった。

「川端さん、山崎さんの質問に答えられますか」

 裁判官の言葉に、川端は小さく頷き、「失礼しました、軽率な発言でした」と頭を下げた。山崎はまだ不服そうだったが、川端が「申し訳ありません」ともう一度、頭を下げてみせると怒りや不快感は引っ込めることができたようだった。

 裁判官が第三回の立件審査の開催を提案し、栗原、そして桐乃が同意し、それで今回の立件審査は終了した。山崎と岡田が先に退室したが、山崎はネット配信が終わったからでもないだろうが、露骨に川端を睨みつけてから姿を消した。岡田はまだ困惑しているようだったが最後にはお辞儀をしていった。

「川端さん、先ほどの発言は危ないですよ」

 桐乃が近づいてきて、穏やかな笑みを見せて川端に指摘したが川端自身、踏み込み過ぎた自覚があった。

「失礼しました。ご迷惑をおかけして」

「今回は問題にはならないと思います。しかし川端さんには何か、腹案がおありなのですか」

 その桐乃の問いかけには、川端は正直に「わかりません」と答えた。桐乃は微笑んでいる。

「秘密、というわけではなさそうですね」

「それくらいにしてあげてください、桐乃さん」

 横合いから栗原が口を出し、川端を守ってくれたようだった。桐乃も謝罪を口にして、部屋を出て行った。すでに裁判官も退室しているので、部屋には川端と栗原だけになった。

「何か確信があるのかい?」

 栗原の口調には少しだけ呆れが含まれていた。川端の極端な発言に相当に気を揉んだと見える。川端は、すぐには答えられなかった。

「確信というほどではありません。ただ、二〇〇〇万円分の電子マネーの行き先が、一番の問題です。そこから探れないのですか?」

「警察と金融庁の動き待ちだが、どうやら電子マネーはまだ動いていない」

「余罪、別件の電子マネーもですか?」

「それは全てを監視するのは難しいのはわかるだろう。しかし目立った動きはないようだよ。さっきもお金の話をしていたね。そこが気になる?」

 ええ、と頷いて、川端は端的に疑問を表現した。

「誰が大金を欲しがったかが、最大の疑問なんです」

 こちらでも少し動いてみるよ、と栗原は川端の肩を叩いたが、川端としては反応に困った。

 人工知能の誤作動にしてしまった方がいいのではないか、と思いたくなる自分もいるが、川端は否定的でもある。自分が自分を否定しているのに、否定する根拠はあまりに薄弱だった。

 帰ろう、と栗原に促されて、やっと川端は頷くことができた。

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