第9話 第二回立件審査

     ◆


 二回目の立件審査が開かれた時、会議室に入った川端はいきなり面食らうことになった。

 警備員が一人、室内にいるのである。そしてすでに検事の栗原が席について待ち構えていた。

「どうなっているのですか」

 川端の短い問いかけに、栗原が鷹揚に頷いた。ただ、少しだけ疲れているようにも見えた。

「原告とされる被害者が、出席を希望してきた」

「いつですか? 今日、ここへ来ると?」

「そうだよ。不意打ちで悪いが、止められるものでもない。それもあって、今回の立件審査はネット上で配信されるし、全部が録画録音される」

 川端は部屋の隅を見て、三脚とセットの小型のカメラがそこにあるのを確認した。仕事では何度も目にしたことがある装置で、自然、撮影中を示す緑のランプが灯っているのを確認していた。今はまだ会議は始まっていないからネット配信されてはいないだろうが、記録は残る。

 下手なことは言えないな、と思ったが、よくあることだ。

「今、人工知能の開発者と対面させるのはあまり望ましくない気がしますが」

 声をひそめることで逆に不信を招くことを加味して、川端は普通の声量で隣の席にいる栗原に問いかけた。栗原は頷きながらも、すぐには答えなかった。

「他にやりようがないんだ。立件審査はあと二回か三回というところだよ。それまでに立件が可能になるかどうか、微妙でしょう」

「被害者の心情を訴えるのは、正式な法廷が妥当なのではないですか。栗原さんはまさか、被害者の声で人工知能の開発者か企業が罪を認めると思っていないですよね」

 当たり前だよ、と栗原は平然と答えた。

「他にやりようがない、ということだよ。打つ手は全部打ちたい。それには川端くんの発見した新情報も含まれる。残念ながら、それはないわけだけど」

 すみません、と答えながら、川端は自分の中にある違和感を口にするべきか、迷った。どれだけ調べても、考えても、今回の一件には不自然さがいくつもつきまとうのに、それへの解答が出てこない。

 だが直感で立件してはいけない。

 扉がノックの後に開かれ、弁護士の桐乃が男性と女性を連れて入ってきた。二人ともが背広を着ているが、年かさの男性の方は着慣れている様子でも、女性は落ち着かないそぶりだ。

 桐乃がまず挨拶をして、二人を紹介した。男性が電脳境界社の法務部の人間で、名前は山崎ウツミ。女性は同社の人工知能開発チームに所属する技術者で、岡田ユメ。山崎は名刺をいかにも自然に取り出したが、岡田はそれだけのことにもまごついていた。技術開発一本槍、と頭の中で川端はぼんやり考えた。

 そうこうしているうちに裁判官が入室し、全員が席に着いた。

「最初に」

 この場が録音録画されることを説明した裁判官が続きを口にする。

「この件における被害者がこちらへ出席し、意見を表明します」

 裁判官が警備員に視線を向けると、彼が頷き、ドアを開けて何か声をかけている。川端はその間も山崎と岡田の様子を見ていたが、山崎は堂々としていても、岡田は緊張が表に出ている。どうも、岡田は苦情を受け付けるような立場でもないらしい。

 室内に女性が入ってきた。川端は何度も資料で見ている顔だ。

 二〇〇〇万円を詐取された被害者。名前は絹田ショウコ。年齢は六十代のはずだが、七十代にも見える。さすがに二〇〇〇万円を失ってはショックが大きかったのだろう。足取りも覚束ないように見えたが杖をついていたりはしない。

 裁判官が真っ先に絹田に意見を口にするように促した。絹田はその場の面々を一度、二度と見回してから、ボソボソと話し始めた。

 この場に出席すると決定した時点から何度も話をする練習をしたはずだが、あまりにも拙く、支離滅裂になりかける場面が頻繁にあった。

 言いたいことは一般的な内容だ。

 詐欺事件に関する経緯を説明してから、自分は何も悪いことはしていない、二〇〇〇万円は老後に絶対に必要な財産で、どうしても取り戻したい、電子マネーの行方は国家機関なら追跡できるはずだし、早く犯人を見つけて欲しい。

 絹田が話をしている間は、誰も何も言わなかった。その相槌も何もない空気が絹田を不安にさせただろうが、川端からしても絹田の発言は警察から提供されている調書の内容と重複しているし、絹田の感情のようなものでこの場が先へ進む理由はなかった。

「どうして人工知能が人間を騙すのですか」

 絹田はそう言って、ちらりと山崎と岡田の方を見た。山崎は表情を動かさず、岡田は困惑しているようだった。

「人工知能は人間を騙せないはずです。どうして悪い人がすぐに利用出来る仕組みになっているんですか。それはできないように、人工知能はできているのではないのですか」

 山崎も岡田も発言しない。代わりにでもないだろうが、桐乃が「調査中ですので、お答えできません」とだけ口にした。それで絹田の顔は一瞬、赤く染まったが、その怒りは語尾を震わせる程度でコントロールされたようだった。

「でも、実際に私のお金がどこかに行ってしまったんですよ。責任は全くないということですか」

 桐乃は栗原や川端を見ることなく、静かな調子で答えた。労わるような柔らかさも含まれていた。

「人工知能の自己学習から生じた誤作動という可能性があります。どうか、ご理解ください」

 絹田は狼狽したようだが、すぐに栗原、そして川端の方を見た。二人ともが視線を逸らさなかったが、口を閉ざしているために、絹田はすぐに俯いた。

 裁判官が退室するかを確認した時、絹田は「そうします」とだけ言って一礼し、警備員に寄り添われて部屋を出て行った。室内の空気は妙なものになったが、川端からすればそれは予想通りである。きっと栗原も予想していたし、桐乃も想定していたはずだ。

 その沈黙の中で川端が考えていたのは、絹田の発言の一部だった。

 絹田は、誰かが人工知能を悪用した、という趣旨の訴えをした。

 しかし川端にも、栗原にもその人間が見えていない。桐乃も、そんな人間はいない、という姿勢だ。

 人間がいないのに暴走を起こす人工知能に責任能力はない一方、犯罪を人工知能に学習させた人間には責任がある。

 奇妙な捩れである。

 川端は改めて向かいの席に座る二人の人物を見た。

 山崎と岡田。

 この二人から何を聞き出せるか、それが重要になりそうだと川端は判断していた。

 どうやらまだ今日の仕事は半分も済んでいないようだった。

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