第8話 二〇〇〇万円詐欺の顛末

       ◆


 報道番組が再生されている間に、川端は自分のために新しいコーヒーを用意した。時計を見るとまだ七時台。始業時間まで間がある。

 鶴見は勝手にリモコンを手に取ると、件の場面を繰り返し再生している。席に着いた川端はその様子をただ眺めた。鶴見の瞳には好奇心が溢れている。品がないかもしれないが、何事にも興味を持つ性格は人生を楽しむ最短距離だと川端は思った。

 鶴見は満足したのか、リモコンをローテーブルにおいて、顎に手をやりながら川端の方に向き直った。

「今の放送によると、被害者は六十代女性で、老後の資金として確保していた二〇〇〇万円を騙し取られたってことしかわかりませんけど、川端さんは詳細を知っているわけですよね」

「だから、守秘義務って奴がだな……」

「でももう、全部放送されているじゃないですか。例えば不動産投資に見せかけた詐欺だった、って放送してますよ。どういう内容だったんですか」

 それを聞いてどうする、とも思ったが、こういう時の鶴見がテコでも動かないのは川端も承知していた。

「絶対によそに漏らすなよ」

「約束します。僕と川端さんの仲じゃないですか。あれ? もしかして疑ってますか? 僕たちの友情を?」

 なにか、わざと抵抗する気力を奪われている気もした川端だったが、少しはいいだろうという気にもなった。鶴見が言う通り、テレビからネットから新聞から週刊誌から、報道を丹念に追っていけば大概のことはすでに公表されているに等しい。

 結局、川端は大きくため息を吐いてから、説明した。

「被害者の名前は伏せるが、すでに仕事はしておらず、夫に当たる男性の年金で生活していた。今回の事件にその男性は関係ないとされている。つまり、被害者女性は家族に内緒で資産を増やそうとしたわけだ。で、最悪の形でその秘密の行動が露見した」

 それで、と鶴見はマグカップ片手に川端を促してくる。

「事件の始まりはどこにでも転がっているような、うまい話からだ。被害者はネットで、たまたま不動産投資を行っている企業を知ったらしいが、その時点ではあまり興味はなかったらしい。しかしその会社から自宅のポストに郵便が届き、送られてきたパンフレットで魔が差した」

「今時、郵便ですか。そこから犯人を追えるんじゃないですか?」

「追えなかった。郵便事業が廃れすぎたせいで、逆に、郵便物を制作、発送する企業の活動が雑すぎて、追えなかったんだ。郵送物を作成する企業は依頼主とは電子メールでしか接触していないし、その電子メールへの返信や、場合によってはチャットもしたが、その全てが人間ではなく企業の人工知能の担当だった」

「そうですか。で、郵便が届いて、その被害者は不動産投資にいきなり契約するわけですか?」

「さすがにいきなり、一〇〇〇万とか二〇〇〇万とかを放り込むほど大胆な人物はそうそういない。被害者は不動産投資を行う会社に問い合わせ、まず電子メールでやりとりした。丁寧な対応と、様々な資料を提示されたことで、最初は二十万円からスタートしたようだ」

 大金だなぁ、と鶴見が呟く。川端からしても二十万円は決して安い額ではない。電脳査察官など名称こそどこかエリートに聞こえるが、薄給である。ただの民間企業のサラリーマンなのだ。

「で、被害者女性は二十万円を預け、二ヶ月後、それが二十五万円になった。通知もあったし、銀行口座にも確かにそれだけの額があるらしい、と確認した。問題はこの次からだ。女性は原資を五十万円に拡大し、やっぱり二ヶ月後、これが八十万ほどになった」

「そんなうまい話があるわけない、と思いそうなものですが」

「被害者は念がいったことに三十万円を銀行口座から引き出した。実際に三十万円を受け取った。正真正銘の現金でだ」

「それで詐欺ではないと思ったわけですか。つまり三十万円は、犯人からすれば捨ててもいい額ってことだ」

 鶴見の言葉に、その通り、と答えてから、川端はマグカップからコーヒーを一口飲んだ。

「被害者は満足して、三十万円を原資に追加しつつ、さらに投資した。一〇〇万、二〇〇万とトントン拍子だ。その間、投資先からは順調に金が戻ってきて、被害者の銀行口座にあった二〇〇〇万円は気付くと三〇〇〇万にもなろうとしていた。あっという間に資産が五割増しになるなんて、夢のようだっただろうな」

「で、悪夢になった?」

「投資会社が別の投資を持ちかけてきた。不動産だが、海外の不動産だ。やっぱり丁寧な説明と対応、わかりやすい資料もついていた。被害者は言われるがままに、二〇〇〇万円を電子マネーに変えて、投資に突っ込んだ。が、ここで全てが暗転する」

「戻ってくるはずの額が振り込まれないし、投資会社に連絡しても通じない、ってことですか」

 そうだ、と川端は頷いて、マグカップの中身を飲み干した。鶴見もゆっくりとマグカップを口元へ運ぶ。

「コーヒー、もう一杯、飲むか?」

「これから家に帰って寝なきゃいけないんですよ。飲み過ぎだら眠れなくなります」

 川端は自分の分だけコーヒーを用意した。ウォーターサーバーからマグカップに適当にお湯を注いでいるところへ、鶴見が声を向けてくる。

「でも、被害者は三〇〇〇万円を詐取された、ってことじゃないんですか」

「解釈の問題だな。余罪のことはいつか話した気もするけど、この件の被害者に一時的に振り込まれた金は、別の詐欺事件でどこかへ流れた金が巡っているだけらしい。その辺はまだ警察が調べているだろうが、意外に、多くの詐欺事件とリンクしているのかもな。とりあえず今回の件の被害額は二〇〇〇万円とされている」

「三〇〇〇万は夢ですか。川端さんは、その詐欺事件に使われたものに関する情報を得ているんですよね。例えば、被害者に送られたメールとか、チャットのログ、投資に関する資料とか」

 立ったままマグカップから一口だけコーヒーを飲んで、川端は鶴見をジロリと見下ろした。

「見せることはできないぞ。それだけは無理だ」

「川端さんから見て、どうでした?」

「どう、とは?」

「人間の仕事に見えますか?」

 その言葉に、川端は眉間にしわを寄せ、意味もなく多機能モニタの方を見た。一時停止された報道番組の一場面が静止画として映っている。

「どうなんですか、川端さん」

「こういう事件では、大なり小なり、人工知能が関与するのが普通だ。そして人工知能の能力は人間と同等か、場合によってはそれ以上になる」

「つまり?」

「不動産投資を促すメールも、被害者に応じるチャットのログも、不動産投資に関する資料もよくできている。資料に関して言えば、一昔前なら専門業者が作っていると想像が働くほど、よくできていたよ」

 どっちですか、と鶴見が首を傾げる。

「どっちとは?」

「僕の質問にまだ答えていないですよ。人間を騙した仕事は川端さんから見て、人間の仕事に見えましたか? それとも人工知能の仕事に見えましたか?」

 鶴見が相手でも、答えづらい質問のひとつだった。相手が検事や弁護士、裁判官なら冷や汗が噴き出すところだ。

「俺には、人工知能の仕事に見えた」

 そう答える川端に、鶴見の目が少しだけ輝いた気がした。

「それだから、川端さん逆に今回の一件が人工知能の誤作動とは言えないんですね? 出来すぎているから」

「まぁ、引っ掛かりの一つだ」

「電脳査察官の勘、って奴ですね」

「そこまでカッコよくもないし、ただの些細な違和感があるだけだ」

 カッコイイですよ、と笑った鶴見が腕を上に上げて伸びをすると「そろそろ帰ります」と立ち上がった。川端は時計を見て、意外に時間が経っていることに気づいた。

「じゃ、また来ますね、川端さん」

「昨日のドーナツが余っているが、持って帰るか?」

「川端さんのおやつにでもしてください」

「俺は絶対に餌付けされないからな」

 鶴見は短く笑うと、それじゃ、と頭を下げたかと思うとあっという間に去って行った。川端は玄関まで見送りに行ったが、廊下を離れていく鶴見の様子は颯爽と言っていい動きだ。

 玄関を施錠してから、川端は改めて時計を見た。そろそろ仕事が始まる。

 鶴見に話したように、例の案件には言葉では説明できない違和感がある。しかし直感などというもので全てが通るような世界ではない。そんな世界はどこにもないだろう。明確な疑念を探り出すのが川端の仕事であり、それが見つからなければ、違和感、直感は勘違いだったということになる。

 勘違いすること、錯覚することが恥ずかしいと川端は思わない。

 それよりも、そうして何かが見過ごされてしまう方が怖い気がした。

 リビングを片付けてから、川端は仕事のための部屋に入った。やや足が重い気もしたが、考えないことにした。

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