第4話 第一回立件審査

       ◆


 立件審査の会議は川端の悩みが解消される前に第一回が開かれた。

 裁判所にある狭い会議室で行われるこの会合では、人工知能による犯罪が立件可能かを検討することになる。この会議には裁判官、検事、そして弁護士が出席するのが基本だ。この場合の弁護士は立件された時の被告人弁護士とはやや異なり、人工知能の開発者、または運用者との接点という形になる。もっとも、開発者も運用者も立件を避けるために、この弁護士に少なくない額の報酬を払うのも常である。

 外行きの格好、背広と革靴で裁判所へと歩いている川端に背後から声がかけられた。

 振り返ってみると、検事の栗原イチロが足早に近づいてくるところだった。

 栗原イチロは外見年齢は若々しく見える。髪は豊かで黒々としているし、肌ツヤもいい。均整のとれた体型で背広もよく似合う。実年齢は五十代だと川端は聞いているが、四十歳でも通るだろう。

 川端は栗原と何度か仕事をしたことがあった。栗原は特別検事と呼ばれる立場で人工知能犯罪を立件へ導く立場であり、川端は電脳査察官としてそれをサポートする立場だ。二人で立件した犯罪も三つや四つではない。

「おはよう。久しぶりだね、川端くん」

「おはようございます、栗原さん。車じゃないんですか?」

「うん、少しは歩いたほうがいいと思ってね。それに年のせいか、車の運転も疲れる」

 運転免許証は川端も持っているが、最近、実際に運転したのがいつだったか、すでに忘れていた。いつの間にか、自動運転車も当たり前になりつつあった。

 二人は並んで歩きながら、近況を交換した。メールでは何度かやりとりしているが、それは仕事の上でのやりとりで、私的な内容は一切、やりとりしていない。それが栗原の流儀のようだし、川端にも否やはなかった。

 栗原は既婚者で、娘が二人いる。二人ともが大学を卒業し、すでに企業に勤めているということをざっくりと栗原は口にした。夫婦だけで家にいると静かすぎてね、と栗原はしかし楽しそうだ。

「川端くんは結婚とかしないのかね」

 実にあっさりと栗原が踏み込んでくるので、川端は思わず口元に笑みを浮かべてしまった。

「僕に恋人がいるように見えますか? 栗原さんのような立派な人間じゃないですよ」

「職業で交際したり結婚したりする女性が今時いるかね」

「いると思いますけどね。少なくとも僕に魅力を感じる女性はいないようです」

 踏み込み過ぎたと気付いたようではないが、栗原は話題を転換した。仕事の話にだ。川端も意識を切り替えた。

「今回の一件は、立件できそうもないね」

 栗原の言葉に、少し不自然ですけどね、と川端は答えた。

「誰が、どんな意図で人工知能を駆使したのか、そこがわからないのでは立件は難しいと僕も思います。栗原さんは何か、立件する妙案がありますか?」

「川端くんが解決できないのでは、難しいね」

「すみません。僕の力不足です」

「そんなことはないよ。あるいは、人間が関与していない、単純な誤作動なのかもしれない」

「ワンルームに端末を置いて、電源を確保する誤作動なんて、不自然過ぎますけどね」

 短く声を漏らして栗原が笑う。それから二人ともが黙った。川端は栗原が、不自然すぎる状況を放置しないつもりなのをその沈黙から感じ取った。ただ栗原にも論理的な説明はできないようだ。

 川端は人工知能の誤作動か、あるいは人工知能を悪用した犯罪かを解明するのが仕事だ。一方、栗原は検事として犯罪を起訴したり、法廷で論戦を行う立場にある。川端には犯罪者の実際や、裁判での争い方は守備範囲外である。

 栗原は一件のどこかに人間の影がないか、それを気にしているように川端には思われた。

 それが当然の疑念である。

 人工知能の発達はめざましいし、人間の知性と並びつつある。

 ただ、一つだけ、人工知能にはないものがある。

 それはいわば、自身の肉体、である。

 人工知能はプログラム上の存在にすぎず、つまりは記録装置の中の情報だ。しかし人間は肉体から生じている。

 情報は物理世界にそのままでは関与出来ない。それは人間は赤ん坊でさえ無意識に、本能的に、偶然にでも、物体を動かすことができるのに対し、人工知能は誰かしらが用意した端末がなければ、何も物理的には動かせないことを意味する。

 つまり今回の一件も、人工知能だけでは困難な場面がある。

 電気会社との契約はネット上で行えるから、何らかの偽装を行えば無人の部屋に電源を引くことはできる。端末も通販会社に頼めば端末自体はその無人のワンルームに届けさせることはできるかもしれない。ただ、端末のセッティングやその他の人間がいなければ立ち行かない場面は、人間が必要に違いない。

 人間そっくりのアンドロイドという可能性はありえない。それはまだ夢物語の中だけの存在で現在の工学では実現していない。かといって、明らかにロボットにしか見えないものが街中をうろうろしている社会でもない。迷子になったロボット掃除機がごく稀に道を走ったりすることもあるが、旧世代の逆に珍しいロボット掃除機だ。

 ワンルームの端末は判然とはしないが、人間の気配を感じさせる。

 それなのに情報の上では誰もヒットしない。

 さすがにいもしない人間を法廷には立たせられない。

 人間がいるのなら裁判の出番だが、いないとなると人工知能の誤作動という線が濃厚になる。

「これはどうも、無理かもな」

 栗原がそう言うのに、川端は、かもしれません、とだけ答えた。

 二人は地方裁判所のすぐそばに来ていた。栗原が時計を確認するが、無言。今日は川端も腕時計をつけていたが、栗原が腕時計を見るまで存在を忘れていた。

 建物に入る時、玄関の警備員が無言で頭を下げる。頭を下げ返した時、川端は玄関の壁に設置されている時計をちらりと見た。立件審査の開始まで十五分はあった。もう裁判官も弁護士も来る頃合いだ。この種の仕事をしているものは誰もかれもが忙しく、時間にルーズではやっていけないと川端も学んでいる。

 実際、二人が割り当てられた会議室に入ると、一人の人物が待ち構えていた。上等の背広を着ていて、川端は自分の安物の背広が少し恥ずかしくなった。収入がこういうところにも出るものだ、と思いながら名刺を交換する。名刺もどこかセンスが良く見えた。

 弁護士の名前は桐乃ミキオというらしい。

 桐乃は気取ったところもなく、丁寧で、穏やかそうに見えた。その点では川端とどこか似ている。ドラマなどで登場する高圧的だったり、変に落ち着きすぎているタイプの弁護士は実際にはあまりいないと川端は経験上、知っていた。弁護士といえども、人間である。

 席にもつかずに、栗原と桐乃が最近話題の人工知能犯罪について話しているのを、川端は少し離れたところで聞いていた。話題の中心は人工知能を意図的に暴走させることで交通事故を装った殺人事件である。一時はメディアがこぞって報道したが、犯人が捕まってからは報道は沈静化していた。まだ裁判は始まっていないので、いずれ話題としては復活するだろうと川端は斜に構えていたりする。

 定刻前に裁判官が入室し、検事と弁護士の世間話は終わった。四人がそれぞれに席に着き、会議が始まる。川端は不意な緊張に喉が乾くのを感じたが、栗原と桐乃の会話に気を取られていて水のペットボトルは鞄の中だった。タブレットを取り出した時に一緒に出しておくんだった、と思ったが、すでに遅い。

 裁判官が静かな声で「第一回の立件審査を始めます」と口にした。

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