第5話 膠着
◆
弁護士の桐乃は裁判官に、実に滑らかに話をした。
彼は今回の事件の人工知能を開発した「電脳境界社」からの聞き取りの結果や、提出された各種の情報を元に、開発者や開発企業にも予想がつかない、不規則な誤作動だと説明した。開発会社で誤作動の原因を精査し、対応するという。
川端は自分のタブレットにその言葉を入力しながら唸るしかなかった。
二〇〇〇万円に関しては、手続きを踏んで回収する予定でもあるという。
川端としては、警察が行っている人工知能の開発に関する記録の解析について、桐乃が栗原に質問した時は声が漏れそうだった。栗原や警察と情報を共有している川端にも、その問いかけが事実上の決定打を引き出すものだと分かった。
人工知能の開発記録に怪しいところはないと聞いている。つまり、開発者を訴えることはできない。
栗原はすぐには答えず、椅子の背もたれに寄りかかって何かを考えるそぶりをした。ブラフといえばブラフだが、川端にはそれが栗原の逡巡の気配に見えた。
栗原にも川端にも、立件に直結するような情報はなかった。
栗原が姿勢を正し、咳払いをしてから答えた。
「警察からの情報を総合すると、どうやら電脳境界社から重大な情報は上がっていない、ということになります」
裁判官が微かに息を吐き、桐乃は少しも反応を見せなかった。
ただ、この時に桐乃は少しの間、川端に視線を注いでいた。川端もそれに気づいていたが、発言はしなかった。桐乃は気を悪くしたようでもなく、再び口を開いた。
「開発者や開発企業に問題がないとなると、これは人工知能の自己学習の結果の誤作動ということでよろしいですか、栗原さん」
言葉を向けられた栗原は、しかし即答しなかった。まったく豪胆なことに栗原は腕組みしたまま目をつむり、それきり動かなくなった。桐乃は真剣にその様子を見ているし、裁判官も同様だった。どこか滑稽ですらある光景に、川端は場違いな空腹を感じた。
栗原は何を考えているのか。立件審査は今回の一回だけで済むものではないから、現時点で何も断定できないのはこの場の全員が理解している。それでも、見通しのようなものは立つのが自然だ。検事と弁護士の発言によって。
それが今、検事の側が発言をしようとしない。珍しいことだ。
また桐乃が川端の方を見たが、この時は先ほどとは少しだけ目の色に違いがあった。
何か知っているのか、というような疑念のこもった視線に、川端は興味を引かれた。引かれたものの、桐乃はすぐに栗原へと視線を向けている。今度は川端が桐乃に視線を送る形になったが、桐乃は目を合わせようとはしなかった。
「栗原検事、発言を」
裁判官が促すのに対し、栗原はやっと瞼を上げ、一度、軽く頷いた。
「状況に不可思議なものがありますので、人工知能の誤作動かどうかは、曖昧と言わざるをえません」
室内の空気がその言葉で変質し、川端は何かがのしかかってくるような気がした。
桐乃が真剣な様子で頷く。
「ワンルームに端末があった、という点ですね。その状況は人間の関与があったと見るのが合理的です。ですが、それと開発者と開発企業の責任は無関係です。違いますか?」
栗原は顎を引くように小さく頷くが、桐乃が言葉を発する前に素早く意見を口にした。
「しかし、開発企業、もしくは開発者が何かを知っている可能性はある。いずれ、この場でお話を聞かせていただきたいのですが」
わずかに目を細めたものの、桐乃はすぐに笑みを作った。
「構いません。栗原検事の疑念は解消されるはずです。裁判官、電脳境界社からの立件審査での聞き取りを提案します」
良いでしょう、と裁判官が即座に頷く。栗原はまた腕組みをして、黙っていた。
川端には誤作動以外の落着は見えなかった。桐乃どうこう以前に、栗原と共有している情報を当たる限り、開発者や企業に問題はなさそうだ。そして人工知能を悪用した人間が見当たらないのも事実。
これでは聞き取りは栗原と川端に有意義なものにはならず、形だけで終わりそうだった。
会議が終わり、裁判官が真っ先に退室していき、栗原と桐乃が挨拶をしている。川端はそばで聞いていたが、桐乃は愛想よく栗原に声を向けている。栗原も先ほどまでの気難しい様子はおくびにも出さず、答えていた。
桐乃は川端にも挨拶したが、川端には必要以上のことは言わなかった。
桐乃が退室し、栗原が溜息を吐き、川端に肩をすくめる。
「逆転ホームランが打てると思うかい、川端くん」
川端は苦笑いして答えるしかなかった。
「まぁ、少しでも塁を埋めておけば、逆転の目もあるかもしれません」
「すでにツーアウトのような気もするが、さて、どうやって出塁するかな」
栗原が自分の荷物を手にして、「何かわかったら教えてくれ」と言葉を残して先に部屋を出て行った。川端も自分のカバンを持ち、退室するときに部屋の電気を消した。
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