第3話 フライドチキンと姿の見えない人間

       ◆


 人工知能による二〇〇〇万円詐取について数日の作業をして、仕事部屋のデスクを前に椅子の上で唸っていた川端は、玄関の開くかすかな音にとっさに時計を見た。

 十九時過ぎだ。テレワークをしていると仕事の時間がどこまでも幅をとってしまう。

 デスクの上の空のマグカップを手にリビングへ移動すると、勝手に鍵を開けて入ってきた鶴見と鉢合わせた。どうも、という感じに鶴見が手に提げているビニール袋を持ち上げる。匂いでフライドチキンだと想像がついた。

「なんか、顔色悪いですよ、川端さん」

「普段からこんな顔だよ」

 鶴見がソファに腰を下ろすのを横目に、川端はウォーターサーバーの前に移動してインスタントコーヒーで新しい一杯を用意した。ついでに、と思って鶴見の分も用意しようとしたが「僕は烏龍茶があります」と声が飛んできた。

 その場で振り返り、ローテーブルの方を見ると、紙の箱と、紙に包まれたものがいくつか並んでいる。上機嫌の鶴見がフライドチキンとチキンバーガーだと説明した。確かに烏龍茶の入っているらしい紙のカップもある。

「川端さん、麦焼酎ってありますか」

「なんだって?」

「麦焼酎ですよ。ありますか?」

 目頭を人差し指と親指で挟むようにして揉みながら、ない、と川端は短く答えた。そうなんですか、と鶴見は何かを考えるそぶりで天井を見上げ、勝手に頷いた。

「今度来るとき、自分で用意しますね。気にしないでください」

「なんでいきなり麦焼酎なんだ?」

「麦焼酎と烏龍茶でカクテルを作ろうかなと思って」

 そんなカクテル作る奴がいるものか。川端はそうは思っても言わないでおいた。

 立ったままコーヒーを一口飲んで、ソファへ移動したときには鶴見が箱を開封し、フライドチキンを手にしている。

 川端も一つ掴んで口へ運ぶ。昔はこの脂っこさが好きだったが、いつの間にか持て余すようになってきているのが、川端には少し腹立たしかった。うまそうに食べる鶴見を前にするとなおのことだ。

 それでも一つを食べ終わる頃には胃袋の感覚も切り替わったようで、いくらでも食べられそうな気になっていた。

「それで川端さん、仕事はどうですか」

 鶴見の言葉に、変化はないよ、と川端は指を舐めてから答えた。

「人工知能の開発会社は警察の聞き取りに、何者かの意図による人工知能の偏向的自己学習から生じた不具合だと主張している。専門知識のある捜査員が人工知能の思考を精査しているが、まだ明確な判定は出ていない。検事は俺をせっついて、さっさと誤作動だと判定しろという態度だ」

「じゃあなんで川端さんはそんなお疲れなんです? 誤作動じゃダメなんですか?」

「一つ、決定的におかしなところがある」

 次のフライドチキンに手を伸ばし、それにかじりつきながら鶴見の様子を伺う。川端の視線を無視するように、鶴見は鶴見で次のフライドチキンに取りかかっていた。川端は鶴見の方から発言させようと沈黙していたが、張り合うように鶴見も口を開こうとしない。

「人間がいないんでしょう?」

 フライドチキンを食べながらのモゴモゴした鶴見の端的な言葉に、そうだよ、と川端は応じる。鶴見とは以心伝心だと思ったが、十年も付き合っていることを考えれば当たり前だとも思った。

「人工知能は間違い無く二〇〇〇万円分の電子マネーを詐取した。しかし、誰がその人工知能を所有し、運用したかがわからない。これでは簡単な誤作動では済ませられない」

「なんでしたっけ、法律があれこれ変わってますけど、人工知能の管理責任に関する法律がありましたよね」

「五年前に成立した法律だな。人工知能の意図的な暴走や管理放棄は法的に罰せられる」

「じゃ、犯人はどこかに逃げた、そう川端さんは言いたいわけですか」

「開発会社はともかく、販売している会社の記録を当たればすぐにわかるはずなんだが、何故か、記録と食い違っている」

「それなら違法な複製ってことですか。ネットへのアクセス経路を遡れば、どこに端末があるかわかるはずですけど、それはわかっているんですよね?」

「かなり奇妙な状況でな」

 そう応じる川端に、鶴見も何かを感じ取ったのか、フライドチキンの骨をしゃぶるのをやめて川端をまっすぐに見た。

「わかってきましたよ、川端さん。持ち主のない端末だって言うんでしょう?」

「言葉にするのは簡単だが、もっと複雑だよ。持ち主不明の端末が発見された上に、その端末には電力が供給されていた。小さなワンルームで、人がいつ出入りしたのか、わかっていない。部屋を契約していた人間も、電気会社と契約していた人間も、すでに故人だ」

「名義変更しなかった、ってわけでもないようですね」

「警察の捜査能力でも判明していないことを、俺が知っているわけがない。はっきりしているのは、端末はあり、電気も通っていたが、誰がそれを用意して維持したかは不明、ってことだ。だから、単純な人工知能の誤作動とは断定しづらい」

 フゥム、と何かを考えるそぶりをして、鶴見は骨をすでに空になっている箱に入れると、チキンバーガーの包みを手に取り、一つを川端の前に押し出した。川端は素直にそれを受け取り、包み紙を剥がしてすぐにかじりついた。

「検事の人はさっさと幕引きをしたい感じですか?」

 鶴見の問いかけに、空気はな、と川端は聞き取りづらい声で応じた。

「しかし、誤作動じゃないとすると、立件が極めて難しい。犯人らしい人物がいないんじゃな。一応、開発会社も当たっているが、開発会社に何らかの落ち度があったとも思えない。仮に開発会社が何かしらの目的で意図的に人工知能を暴走させたとしても、それで生じる何かが開発会社に還流された様子がない。もっとも、まだ還流がなされていないだけでいずれ動きがあるのかもしれないが、ない気がするな」

「じゃあ、何のために二〇〇〇万を掠め取ったんです?」

「誤作動なら、それを考えないでも済む。そういう論法なんだ」

 厄介ですね、と応じる鶴見の真意を、一瞬、川端は計り兼ねた。事件自体が厄介なのか、問題を解明せずに処理しようとする態度が厄介と表現されたのか、曖昧だった。

 鶴見はあっという間にチキンバーガーを胃の中に収めると、烏龍茶をストローですすり始めた。かと思うと、少しだけ首を傾げた。

「人工知能そのものはどう回答しているんですか? 端末が押収されたなら、コミュニケーションが可能なはずですよね」

「それはそうだが……」

 川端はどう説明するべきか、やや逡巡した。

 人工知能黎明期、技術が発達して様々な場面で応用される上で、人工知能との意思疎通は喫緊の課題だった。結果、普及していく中でコミュニケーション機能は必須となった。

 もっとも、人工知能の出力機能は初期段階でも確立されていたので、より汎用性の高い、柔軟なシステムが強化されていったということだ。

 今では人間と大差ない会話能力があり、噛み砕いた表現さえも使いこなす。

 言い淀む川端に、鶴見が首を傾げた。

「なんです、川端さん。何かあるんですか?」

「人工知能が黙秘している、と聞いている。回答を拒否している」

 鶴見が珍しく目を丸くし、顎に手をやるそぶりをした。

「人工知能に黙秘なんてできるんですか?」

「人工知能への命令権が五段階あるのは知っているよな?」

「ええ。知っていますよ。でも警察や司法は、レベル四の命令権があるはずです。違いますか?」

「その通りだよ。レベル四の命令権に対して回答拒否している、というのが大問題だ」

 鶴見が沈黙し、何度か顎を撫でている。川端はその間にチキンバーガーを食べ終わり、自前のコーヒーに口をつけた。

「それも誤作動ということですか?」

 鶴見の問いかけに、川端は正直に「わからない」と答えた。

 何もかもが解せないが、その解せない全てを解消する魔法の言葉が「誤作動」なのである。

 レベル四の命令権の拒絶など、まさにそれだ。

 最高であるレベル五の命令権が容易には行使できないのは、レベル五の命令権は人工知能を形成する全ての情報にアクセスできる権利だからに他ならない。

 一度でもレベル五の命令権を行使された人工知能には、別の問題が生じる。それは、該当の人工知能から派生したり、改良されて成立した人工知能全ての情報開示を意味することだ。こうなると、無数の型式の人工知能の信用度に影響する。

 もちろん、該当する人工知能に不具合があるとなれば、影響は多岐にわたり、容易には収拾できない。個人情報の保護などの問題にも結びついてしまう。

 レベル五の命令権の行使は、はっきりとした違法性、犯罪性の確証がなければ行われない。

 現時点では、川端が調べている事件に関しては、誤作動と意図的犯罪のどちらとも言えない。人工知能がコミュニケーションに応じてくれれば、と焦れったい思いはあるが、会話そのものは拒絶されていないらしい。

「川端さん、ちょっと無理かもしれませんけど、いいですか?」

 鶴見の声にそちらを見ると、彼は指を舐めながらソファにもたれていた。

「僕、その人工知能とちょっと話してみたいんですけど」

「それは無理だ。俺だってまだコミュニケートしていない」

「じゃ、その時が来たら声をかけてください」

「おいおい、部外者が参加できることじゃないぞ。俺を情報漏洩を理由に懲戒免職にしたいのか?」

「ちょっと口を挟ませてもらえればいいんです。ちょっと考えておいてください。僕はいつでも暇をしていますから」

 その時があればな、とだけ川端は答えておいた。

 川端にとって最もプレッシャーを感じる仕事はもう間も無くに迫っていた。

 裁判官同席で行われる立件審査という会議である。その場で川端は検事の補佐役として意見や考えを説明しないといけない。

 そのための情報が現時点では不足している。しているが、会議の期日は待ってくれない。

 参ったな、と思わず川端は呟いた。

 鶴見はズズズと紙コップの中身をストローで啜っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る