第2話 電子マネー二〇〇〇万円の謎

       ◆


「とある人物が、人工知能に電子マネーを詐取された。よくあるパターンの詐欺だ」

 ははぁ、と鶴見はベーグルを口にしながら頷いている。

「人工知能を悪用した詐欺ですか。おきまりのパターンですね」

 人工知能を利用した詐欺は後を絶たない。

 かつては人間があの手この手で詐欺を働いていた。しかしそんな手法を駆逐したのが人工知能を多用した詐欺だった。

 電話詐欺においては人工知能の合成音声は人間そのもので、しゃべる内容も隙がない。演技は完璧で人間ではないと見破るのはかなり難しい。

 詐欺師のやり口は極端にシンプルになったと言える。人工知能をコーチするのだ。

「いくつか問題はあるが、たぶん、いつものパターンなんだろう」

 鶴見が、少し首を傾げながら、しかしベーグルを咀嚼するのはやめない。

「問題って何ですか?」

 ベーグルを飲み込んだ鶴見が一口、コーヒーを飲んで問いかけるのに、川端は眉間にしわを寄せた。

「高額という点なのが一つだ」

「いくらです? 三〇〇万くらいですか」

「二〇〇〇万だ」

 これには鶴見も口を閉ざしてマグカップを下げ、ふむ、と勝手に頷いた。

「余罪があるとなると、厄介そうですね」

「総額で一億くらいにはなるかもな」

「で、川端さんのお仕事はその詐欺に悪用された人工知能に関する調査ってことですか。開発会社をあたって、販売元をあたって、って感じですかね」

「そうなるな。ただ、別の問題の一つが悩ましい」

「どんな問題ですか?」

「二〇〇〇万の行方が、な」

 パチパチと鶴見が瞬きをして、また首を傾げる。

「どこかの誰かが現金化して、雲隠れじゃないんですか?」

「現金化はされていない」

「え? 電子マネーのままってことですか。それはありえない。警察も、金融庁も、電子マネーの追跡はやろうと思えばできる。それが捜査の常道ってもんです」

「もちろん、追跡はやっている。時間がかかるだろうがな」

 へぇ、と鶴見が何かを察した様子で応じる。

「どこか、海外の口座にでも移されましたか。賢いとは言えませんけど、時間稼ぎにはなる」

「海外の口座は、全体の半分らしい」

「なら半額は国内ですか。それなら被害者もちょっとは安心ですね」

 違う、と川端は唸るように口にした。

「二〇〇〇万円分の電子マネーが移動した先の口座は、一〇〇〇を超える」

 鶴見が口を閉じて川端をまっすぐに見た。なかなか口を開こうとしない。

 それが片手のベーグルにかじりつき、黙々と顎を動かしてゆっくりと飲み込んでから、川端に少しだけ身を乗り出すようにした。覗き込むようにされて、川端は少しで背を逸らして間合いを取った。

「一〇〇〇を超える口座に分散したことですが、いったい何のために? 一つの口座に二万円で、どんな得があるんです?」

「知らないよ。それが分かれば苦労はしないさ。分からないから俺の仕事になる。まったく、何を考えているのやら」

「人工知能の発想は、時々、人間を超越しますからね。でも、もし川端さんが言っている通りなら、人工知能を使った詐欺師はどうやって二〇〇〇万円を使うんだろう?」

「それも知らん。今はまだ分散させておいて、いつかのタイミングで一つにまとめるのかもしれない。ただ、現状を見る限り、今回の件の一〇〇〇万も、あるいは余罪で生じているかもしれない大きいな電子マネーも、容易には現金化も使用もできない。完全に監視されているから」

 それもそうか、と鶴見はベーグルに噛み付き、あっという間に一つを口に押し込んでいく。ローテーブルの上にはいつの間にか残り一つになったベーグルがあり、鶴見はなんでもないようにそれを掴んだ。川端も手を出そうとするが、話すのに一生懸命になりすぎて、まだ両手が塞がっていた。

「鶴見、俺のためにベーグルを買ってきたんじゃないのか」

「え? 川端さんはインスタント麺と野菜ジュースがあるんでしょう」

 思わず毒づきそうになるのを、川端は堪えた。体に肉こそつかないが川端は大食漢だった。特に仕事が忙しくなると空腹に悩まされる。まだ本格的に仕事に取りかかっていないが、難解さを想像するだけで腹が減ったような気になる。

「さあ、鶴見、俺は明日から忙しくなる。ここに来ても相手はできないかもな」

「またまた、川端さん、そんなこと言わないでくださいよ。また何か、持ってきますから」

「俺を餌付けするつもりか? 犬でも猫でもなく、人間だぞ」

「餌付けなんて人聞きの悪い。友人関係を円滑にするためですよ」

 そういう鶴見が、川端の仕事に興味を持っているのは川端にははっきりとわかっていた。

 神田電脳調査という会社はテレワークを推奨している。それでも週に何回かは事務所に出社する必要がある。そのために背広を用意したり革靴を用意したりするのも最初は馬鹿らしいと思ったが、何年も仕事を続けるうちに、出社するときには特別な気持ちになる自分に川端は気づいていた。

 部屋で仕事をしているのでは、学生時代と何も変わらないし、単調なのだ。

 仕事をしている実感がない。

 もっとも、激しく緊張して逃げ出したくなる場面も他にあるのだが、自分の部屋で仕事をしている時は、やや孤独で、それが続くと気が滅入ってくるのも事実だった。

 そんな時、鶴見の存在はありがたい。未だにフリーターの鶴見は全くの不意打ちで川端の元へやってきて、自由に振る舞う。

 それが日常に色を添えて、刺激になっているのは否定できなかった。

 働くということは、逆説的に、プライベートをはっきりさせることを意味するのではないかと、川端は思ったりする。

 仕事の邪魔であり、機密の確保に苦労するのは事実だが、しかし川端は鶴見を拒絶するのをこの時もやめた。口が固い男なのは知っているし、たまに鋭い助言を口にすることもある。

 何度か首を左右に振ってから「勝手にしろ」と川端は告げ、鶴見はにっこりと笑ってうなずくと、堂々と答えた。

「じゃ、勝手にまた来ますね。食べたいものはありますか?」

 やっぱり餌付けのつもりだろう、とは川端は口にしそうになり、ぐっと堪えた。

 何か自分では買いづらい高額な料理を想像しながら、ベーグルを口へ運んだのだった。

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